コラム
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事業承継計画はお早めに相談を
私どもは、先代が事務所を立ち上げてから50年が経ったということは、すでに多くのお客様にお伝えしてきたところであります。この通信でも、事業承継についてはたびたび触れていますが、今月はより強く「事業承継」を意識する出来事があったので、それを選んでみました。 人間は、だれしも「老い」がきます。40歳代では、あちこち飛び回り、同時に様々なことをこなしていくことができたのに、それができなくなってきます。確かに、「経験と勘」は若い時と比較するとその積み重ねによって、向上していくのでしょうけれど、時代の変化についていけなくなるとか、若い世代に話を合わせられなくなるとか、近くが見づらくなるとか、耳が遠くなるとか、疲れやすくなり、病気にかかりやすくなるリスクも高まっていきます。70歳でどこも悪くないという方はまれでしょう。 70歳になっている代表者を前にして、取引を始めたいというお得意先は現れるでしょうか。その商品サービスが、特殊な事業であるか、明確に後継が決まっているならば、可能性はあるでしょうけれど。 私どもの事務所のお客様ですと、やはり親から子へのリレーが多いように思います。見た感じうまく承継できているなあと思うお客様も多いですが、あらあ、なぜこうも親子で対立してしまうのかと思うケースもあります。 「親から子へのリレー」が、一番周囲に安心感をもたらすように思います。普通は、子供は親の背中を見て育ち、先代のやり方をおおむね継承していくのではないかと思えるからです。「経営者」であった家庭で育ったという生い立ちがありますから。とは言いながら、何も心の準備をせず、後継者教育を系統的・計画的にしないのでは、バトンを渡すのが遅れることになっていくでしょう。 よく「現役社長」が言われるのは、会社を「きれいな状態」にして引き継がせてあげたいということ。さて、そのために何をすればよいのでしょう。やはり「良い会社作り」ではないでしょうか。 ◎商品面での優位性の確保 お客様に歓迎される商品サービス作り ⇒お客様が自社商品を高く購入してくれるのか、「付加価値」を高める工夫 ◎生産設備、作業スペースの他社との比較での優位性を高めよう。 ⇒オフィス作業に十分ICT活用をしているでしょうか。 ◎社会性の高い「経営理念」のもと、全スタッフが同じ方向に向かって歩む会社 ◎「企業は、人なり」と言われます。スタッフが、人間性に優れ、高い専門性を有するよう採用活動が円滑で、教育制度ができている。とりわけ後継者教育に熱心である。 ◎「自己資本」が潤沢で、財務的に安定し健全な会社になっている 上記実行するためには、「経営計画」が必要です。まずは、経営者ご自身が動くことが必要ですが、「良い会社作り」のため、税理士事務所などの「認定支援機関」に相談されるのも一つの手段です。
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50周年の記念撮影を行いました
7月1日金曜日、夏の素晴らしい快晴の下、50周年の記念撮影を行いました。 今回の撮影は、季節に合わせて白の上着で統一させていただきました。 夏らしい雰囲気で良かったかなと思います。全員がそろう第一営業日に設定し、雨天の場合の予備日を 設けていましたが、全く心配する必要もなく、降水確率0%の中での撮影でした。 バックに樹が見られますが、「けやき」の木であります。 単なるけやきの木ではないということをここでお知らせしておきます。 約20年前に当事務所によって植樹された30周年記念の「けやき」が、育ってこの大きさになったわけです。 この写真では、人物から樹木まで近くに見えるのですが、実はかなり離れた位置で撮影しています。 この場所は、揖斐川町の施設内である「健康広場」のアリーナとプールの間にある駐車場スペース付近です。 背後にも揖斐川町の美しい山並みが眺められる自然豊かな場所にあります。 植樹をしたときにいた職員はほとんどいなくなりました。残っているのは創業者の国枝隆を含めて3人です。 総入れ替えのようになりました。人は、入れ替われど、同じ良き精神が息づいている企業体でありたいと思います。 経営理念である「中小企業の経営者の良き永続的パートナーとなる」を直実に実践できる事務所であり続けます。 この日、このように「けやき」の植樹を20年前に行った事務所であるということをスタッフ一同、胸に刻んだことでしょう。 けやきパートナーズの一員として。
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6月に視聴したクラシックコンサートレビュー
6月は、梅雨の季節でジメジメと嫌な季節というイメージがあります。しかし、そのような梅雨の中、出掛けた名古屋でのコンサートでした。2回とも感動があり、そんなコンサートに出会えて幸せでした。外国で書かれた外国人による作品であるのに、芸術作品は、言語の垣根を超えて人々に感動を与えて、生活に潤いを与えてくれるものという認識を強く持ちます。泥臭い損得勘定、人間関係を忘れさせて快楽を与えてくれるものが音楽、美術、書道、食の「美」なのかなと思います。 さて、名古屋の老舗のオーケストラというと「名古屋フィルハーモニー交響楽団(名フィル)」です。一番規模が大きく、集客力もあります。名フィルは、定期演奏会年間11回がメインで、その次に重視しているのが、市民会館名曲コンサートであると思うのですが、その名曲コンサート年間5回分のシリーズは今年は、「欧州音楽紀行」と題されて開催されました。私は、2年前に会員であったのですが、見事に「コロナ」と重なってしまい、まったく行けなかったので、久々に堂々と行ける状態になってきましたので、再度会員登録しました。1回目は、4月にハンガリーということで終了。6月は、フランスの有名な作曲家2人の有名な作品を取り上げていました。 ビゼーとベルリオーズの交響曲。残念ながらビゼーの曲は、聴くことができず、ホール外のホワイエで聴くことに。楽しげで陽気な調べをスピーカーを通して聴くことができました。あとから、アマゾンミュージックで検索してみたら、とっつきやすいどことなく聞き覚えのあるメロディがたくさんあって、名曲だなあという印象の曲でした。 休憩後のベルリオーズ幻想交響曲は、本日のメインディッシュというところでしょう。指揮は、名フィル正指揮者川瀬賢太郎氏。川瀬氏が、名フィルとの共演を待ち望んでいたこの曲ということであったので、楽しみで楽しみで、胸をわくわくさせていました。第1楽章の慎重な出だしから、引き込まれていきました。指揮者のタクトに懸命に応えようとしているオーケストラの団員の必死さも伝わってくる熱演でした。オーボエはじめ各管楽器ソリストの音色も美しかったけれど、最高に良かったのは川瀬氏の全身を使ったダイナミックな指揮であろうと思いました。約1時間近くの大曲を飽きずに聴かせる力量を川瀬氏は備えていると思わされます。音のダイナミックさ、繊細さを合わせて表現し、第二楽章の舞踏会をほうふつとさせる華麗な舞いは、クラッシックは、聴くだけでなく目でも楽しんでもらうものだと言わんばかりであったと思います。私は、ビジュアルも演奏会では大事な要素であると感じます。幻想交響曲は、生演奏を3度聴きましたが、この日のが一番に思えました。川瀬氏の表現は、作曲家ベルリオーズの心情に一番寄り添っているものでしたから。 その川瀬賢太郎氏が、来年4月から名フィルの音楽監督に就任されるというニュースが7月1日に発表されましたが、この演奏会を聴いた余韻がまだ残っているときでしたので、これも運命だから、今後も現在37歳と若い川瀬氏を応援していこうと決意するのでした。 もう1つは、愛知室内オーケストラの定期演奏会。愛知室内オーケストラ、はじめて聴きに行きましたが、そのオーケストラが目当てではなく、その共演者であり、指揮者であるオッテンザマー氏の演奏聴きたくて出掛けたのです。 オッテンザマー氏は、世界一といわれるベルリンフィルのクラリネット奏者。ベルリンフィルの管楽器ソロ奏者の音の美しさと言ったら、もう筆舌に尽くしがたいですね。フルートのエマニュエル・パユ氏の演奏を名フィルの定期演奏会で聴いたのですが、もう次元が違うという気持ちになったものです。 ベートーヴェン、モーツァルト、メンデルスゾーンというオールドイツ音楽のコンサートで、すべてオッテンザマー氏の指揮。指揮者としては、あまり経歴は良く知りませんが、切れ味鋭く抑揚のついた演奏と感じました。しかし、クラリネットソロをされたメンデルスゾーンの曲が、もう貴意ていて観ていて実に幸福を感じる瞬間であったように思います。真ん中にクラリネットを持ってそれを吹きながら時に指揮をするオッテンザマー氏。クラリネットの音色が、あまりにふくよかで芳醇で、歌心も豊かに、メロディーを歌い上げる様に聴きほれるばかり。もっとも感じたこと2つが、ピアニシモでの音の安定感、品の良さ、美しさ。管楽器で、それなりのボリュームで吹奏するのは容易いことなのですが、小さい音で安定的に美しく奏でることは、大変な技術を要します。もう一つは、他の走者との調和をとりながらの演奏をされていたこと、クラリネットが目立ちすぎず、ヴァイオリンと寄り添いながら吹いている、そんな様子が、オーケストラとの一体感をより強くさせていたようにも思わされたのでした。そのようなこともあってでしょうか、オーケストラの奏者が、大変楽しそうであったのです。この世界的演奏家の近くで音楽ができる喜びというものをかみしめているようでした。超一流の音楽家に触れて、その楽団の芸術力も増すのでしょう。 音楽は国境を超えた共通言語。音を通してつながる友情。大学時代のグリークラブ=男声合唱部の合言葉に「メンタルハーモニー」というのがありましたが、音楽をともに演奏することにより、人々が精神的につながるって大事だよなあと思うところであります。
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参議院通常選挙公示、必ず投票しましょう!
3年に1度実施される参議院通常選挙が6月22日に公示されました。国政に自らの意思を示す重要な機会であります。 必ず投票所に出かけて1票を投じましょう。 各新聞には、各政党、各候補の主張を分かりやすく対比して比較しています。もちろん、政見放送などでも主張、選挙公約を知ることは可能でしょう。 私は、投票できる機会を逃さず、すべての選挙で投票に出かけています。権利を得て約年になりますが、棄権したことは一度もありません。 「白票」を投じたことが1度きりありましたが、愚かなことをしたなあと思っています。 今般の「参議院」の選挙は、特に投票率が低いというのが残念です。 投票率アップのために、投票に行ったら、何かがもらえる、選挙いかないと罰せられるというのもどこか違うと思います。自発的に選挙にいきたくなる仕掛けがあればと思います。 参議院は、全県で一つの選挙区で、候補になじみがないからであろうかと思えます。私は、職場の関係で、現職候補とは身近に接したことがありますが、 思いのほかフレンドリーに話しかけていただけて、良かったと思います。 政治スキャンダル報道が目立っていますが、各議員さんが「国の重要課題」に真摯にむきあっている姿を分かりやすく報道して欲しいものです。 さて、最近は「期日前投票」ばかり行っていますが、投票所でひそやかに楽しみにしていたことがありました。 投票所に朝一番乗りすることです。一番乗りした人だけに得られる特典?があるのです。 度ってことないと言われるかもしれませんけど、「投票箱に何も入っていないこと」を確認する証人になれるのです。 投票箱をのぞきこんで、確かに何も入っていないと確認した後、投票した経験が3度ほどありましょうか。 最近は、息子たちも投票できるようになり、家族そろって投票に揖斐川町役場に徒歩で行っています。もちろん、息子たちは嫌がることなく。 若年層の政治離れが言われていますが、我が家ではまったくあてはまりません。 家族そろって投票に出かけましょう!その「意識」が政治に緊張感をもたらすのではないでしょうか。
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良い経営者の共通項は
私どものお客様は主に中小企業の経営者です。経営者の鑑と思うのが、やはり経営成果を上げていることではないかと思うのです。 経営成果というと、多くの得意先から支持されて売上が上がっていることでしょう。そして、従業員を数多く雇うことができ、 その給与水準が高い、その上に利益が十分出ていて「納税」を通して社会にその成果あがを還元できる、そのような会社が良い会社となると思います。 そのような良い会社を作り上げる経営者の共通項はと考えたことですが、 「エネルギーに満ち溢れていて、自分の言動に自信を持っている(ように見える)」 「朝が早い、とにかく早起きされていて、朝を有効に使われる。部下が来る前に出社して、従業員を出迎える」 「神や仏を尊いものであると信仰される気持ちを常に持ち合わせている。よく神社、寺院に対して寄進される」 「正当な対価と思えば喜んでこれを支払う器量を持ちあわえておられる」 「大変にこやかで明朗で、周囲を明るくさせる陽気さを持ち合わせている」 「会社の数字を頭の中に入れていて、さっと言うことができる。金勘定が速い」 「良いことであると認めれば、すぐさまでも行動に移る。情報は、速く手に入れたがる」 「周囲への感謝を口に出す。とりわけスタッフに恵まれてというのが先、 自分が良い経営者だから、良い経営成績であると言わない」 「勉強熱心、好奇心旺盛、声が大きく」 おそらく人生の成功者となろうとするならば、上記のような良い経営者の姿勢を見習うことであろうと思います。 この世にそんな経営者が数多く生まれることを願って。
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労務に関するご相談は社労士にお任せください!
当グループの一つに社会保険労務士業務を行う、けやきパートナーズ社会保険労務士法人があります。 昨年の税理士法人の名称変更に合わせて、社労士事務所も法人化し、名称もそろえて新たに出発しました。 こちらのコラムを読まれている皆さんは社会保険労務士がどのような業務を行っているかご存じでしょうか? 「社会保険労務士」は名称が長くて呼びにくいため、通常は「社労士」と呼ばれています。 数年前までは他の士業と比較すると、知名度はあまり高くないというイメージでしたが、 2019年から始まった働き方改革や、コロナ禍での雇用調整助成金等の需要拡大から、 だんだんと注目をされるようになりました。 社労士の主な業務としては、 ①労働社会保険に関する申請書類の作成、提出代行 ②労働社会保険に関する帳簿書類(賃金台帳等)の作成 ③労務管理についての相談指導業務 などがあります。 この中でも①②は社労士の独占業務となっているため、他の士業の方には行うことが出来ません。 当事務所では労働社会保険の新規適用から、従業員の入退社、労災の申請、助成金の申請等、 会社に関わる手続きについて一通り承っております。 また、最近は労務関連の法改正も多く、労働時間の管理や有給休暇の付与取得の管理、 従業員の就業や、退職に関して発生する労務トラブルのご相談も多くなってきております。 「労働基準監督署の調査が入り、是正報告をしなければならないが具体的な記載の方法が分からない」 「従業員から有給休暇のことについて質問されたが、自社の場合はどうなるのか確認したい」 などのご相談も承っております。 労務に関する専門家として、皆様の悩みを解決できるようお手伝いさせていただきたいと思っておりますので、 お気軽にご相談ください。 当グループから毎月関与先のお客様に向けて発行している事務所通信には「けやき労務通信」を同封しております。 労務や社会保険に関する最新情報を掲載しておりますので、そちらもお読みいただければ幸いです。 社会保険労務士業務担当 八木 麻衣子
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わが大学生時代を振り返って①アルバイト編
このコラム読者は、大学生もいるのではないかということも想定して、私の大学時代のことを総括したいと思いました。また、時折しも、我が息子が大学前後の世代になっていて、自分自身の大学時代を振り返ってみるいい機会だろうなあと。長男は、この4月より社会人になり巣立っていきました。二男は、大学2年生。学生時代真っ只中です。三男は、高校に入学したばかりではありますが、すでに進学先希望調査という事で、志望大学を記入させられています。大学に関する知識が、自身の体験を通じて、さらに親として子育てを通して体験してきたので、より良い選択肢を三男に提供できるのではないかと思っています。 すでに、当事務所に入ってくる男子正社員は、全員が高校卒業後に大学に入学して社会人となっている経歴の者しかいなくなりました。大学卒は今や当たり前です。大学4年間で結局は何を体験して、何を得られたのかが重要な事なのではないかと思います。 私が、中央大学に入学した理由は、公認会計士を目指してということでありました。ところが、新入生歓迎イベントで出会ったグリークラブ(男声合唱部)に魅了されてしまい、公認会計士への最短ルートは遠のきました。 4年間がグリークラブにかなりどっぷりだったと思います。とは言ってもアルバイトもあり、ゼミで必死に学習したこともありと今から思い出すと恋愛は除いて、さまざまな事を経験できた4年間であったなあと懐かしくもあります。 大学4年間は、昭和から平成に変わる時、『バブル期』と言われた時でした。今との大きな違いは、スマホがないことです。あとは、小さな差でしょう。連絡を取り合うのに、携帯電話は全く一般的ではなかったということです。(一部ありましたが、普及しているのはせいぜいポケットベル程度でした)今、大学生活が送れたら、さぞかし楽しかったかもというのはあります。今となっては、携帯電話とかスマホのない生活など考えられませんよね。 しかし、スマホは、なかったらなかったで、当時はワクワクだったのです。まだ、電話を持つのに電話加入権として7万円ほどを支払う時代でしたので、電話を共用することもあった時代です。 初めての一人暮らしは、八王子市にある寮から始まりました。個室ではあるものの、風呂トイレ洗面が共用、洗濯機も共用で。礼儀に非常に厳しく、先輩が威張っていて、新人歓迎でビールなどを無理に飲ませるようなことが行われて、ほとんど飲めない私には拷問としか言いようがなかったです。最初の大学生活に慣れるのに寮は良かったのですし、孤独感を紛らすのにはよかったのですが、制約の多い場所であることから3ヶ月ほどで退寮してしまいました。結局、新入生の退寮第一号であったと思います。寮生活以外で、楽しみを見つけていったからであると思います。 4月に、グリークラブに入り、下旬には新歓合宿があって、楽しく盛り上げてくれる上級生たちに居心地の良さを感じていました。このグリークラブでの活動については、別に項を設けて掲載します。また、誰でもできる肉体系の作業を一度きりアルバイト体験しました。その後、寮の先輩にホテルのフロントでの仕事を紹介してもらい就業することにしました。これは誤りの始まりだったかもしれません。週に3度、午後9時から午前8時までの仕事。途中3時間ほどの仮眠が与えられたものの、やはり翌日には影響してしまいます。眠くてかなり午前の授業を欠席してしまいました。確かにバイト代かなり入ってきました。さらに、社食も2食いただける時がありましたし、オープンしたばかりの綺麗な職場でしたし。それで、新しいオーディオやCDを購入して物欲を満たしていましたが、その反面あまり勉強ができず、肝心の単位の取得にも影響してしまいました。 勉強というと、日商簿記検定二級を11月に合格できましたが、わずか1ヶ月程度の学習期間で取得できたのは自信になりました。独学ではありませんので、効率よく学習できたということです。在学期間中に取得できた資格というと、これだけで、親の期待に背いてきた大学時代だったのかもしれません。 大学2年時は、悔い改めて、しっかりと単位取れるように、バイト時間を減らして、学業と両立がしやすい家庭教師のアルバイトをするようになりました。ただし決して効率が良くないアルバイトです。1回2時間まで程度。往復に2時間もかかる場所に出向いていました。さほど近所に家庭教師をお願いされるところはないというのもあるでしょうし、もっと優秀な大学など多くありますし、地方出身者というのも嫌がられる原因かもしれません。ほぼ中学生男子ばかりでしたけれど、教えること自体は楽しいと思いました。実質、優秀なレベルの生徒は、塾に行くので、指導レベルは低いのです。いかに理解させ、解けるようにしていくか、時間が足りないと思うことが多かったです。 アルバイトといえば、定番は飲食店系ですが、「リンガーハット」と「デニーズ」ではそれなりに長期間働いていました。いずれも仕事内容というよりも、人間関係というところで、学んだことが多かったような気がします。1年に満たない短期間働いただけなのに、夜勤明けに送別会のようなことをやって頂いたリンガーハット立川日野橋店での思い出は染みついています。一緒に働いていたアルバイト、店長、副店長など20才代前半ばかりでしたが、今はどうしているだろうなあと思います。 『学生諸君へのアドバイス』 やはり学生時代は勉強しないとダメだ。アルバイトにかける時間は、週に10時間程度までにとどめておかないと、しっかりと勉強できないのではないかと思える。『学業第一』の学生生活を送るように努めよう。(比較的、恵まれた家庭環境であるならばというのが前提。家庭の都合上、働きながら学生しないと経済的に困難な方もおられるだろう) 今思うと、アルバイトは、単に物欲を満たすためにやるようなものであり、若き頃の物欲など際限なく広がってしまうものであるから、それを一定限度に抑制することが必要だと思う。いわゆる「足るを知る」ということである。 「少年老いやすく学なり難し」という孔子の言葉は、至言である。学生時代こそ、いろんな体験ができるといっても時は有限だ。バランスよく時間を使ってもらいたい。本格的に働くのは、大学を卒業した社会人になってからで十分ではないか。学生時代でしかなし得ないことに時間を費やすべきと思う。そう、学生時代こそできるとは、学業が中心でなければならないし、その他だと一生付き合える友達、ライバルに出会う場ではないだろうか。
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50周年行事「50周年の集い」を実施
50年続いてきたひとつの足跡を「記す」催しは、開きたいものだとずっと考えていました。 特にお客様、関係者の招待は行わず、完全に社内行事として、令和4年6月3日に50周年記念行事を開催しました。 「コロナ禍」「スタッフの思い」「私の体」のことなど様々な点から考えたら、今回のやり方はベストだったのではないかなあと思いました。 公的組織である税理士会の支部の50周年をまねてという発想は違ったのかもしれないなあと。一昔前の華やかな時代とは違いますし。 今回の行事は、創業者の創業当時の思い、事務所の歴史を写真を交えて語ってもらうことにより、「創業の原点」「事務所のあゆみ」をスタッフに知っていただき、 事務所の歴史を胸に刻んでいただきながら、次の50年を迎える「節目の」行事としていく位置づけとしました。 事務所の発展を考えると、目につくのは、まずは「事務所」の大きさなのではないでしょうか。 この事務所の歴史で、最も大きく変わったというのが目に見えるのは、揖斐川町の中心商店街の中にあった小さな事務所を現在地へと新築移転した時ではないかと思います。昭和47年2月に自宅の1階の小さなスペースで開業した国枝隆税理士事務所から私たち現在の「けやきパートナーズ」の歴史は始まります。そこから移転を決めるまで7年程度。まだ父は40歳前後。動き回るエネルギーに満ち溢れていたのでしょう。昭和55年に新事務所が建設され、移転しました。当時白亜のモダンな鉄筋コンクリート造りの一部3階建て建物は、周囲からは大変よく目につくもので、小学生だった私は大変誇らしく思ったものです。 その現在の事務所の位置は、新しい揖斐川町役場と同じ通りに存在し、近郊には、揖斐川町商工会、県総合庁舎、ハローワーク、警察署、地域交流センターはなもも、町立図書館、保健センター、建設防災センターなど公共機関が多く存在する町の中心地域として揖斐川町では最も「利便性の高い地域の一つ」であり、前の町長の話によれば、「計画的に住宅を誘導する地域」と位置付けている地域へと変貌していきました。さらに、近年では町の買い物の中心地もわが事務所の西側地域へと移転してきました。人口減に悩む揖斐川町の中では、比較的人の動きがある活力を感じる地域ではないかと思えます。昭和55年事務所移転した時は4人でやっていた事務所が、その昭和から平成になった15年後には15名近くの事務所へと成長しました。 私が事務所に入ってから20年。事務所の拡大成長速度は、世間と同じように鈍くなってきています。ところが、事務所のスタッフの写真を見ると、私の入社時にいたのは、創業者と私を含めて5人。陣容は大きく変化したのだとこの日のイベントでは感じてもらえたのではないでしょうか。技術、伝統の「伝承」も事務所の大きな課題であります。 創業者の話の次に、私は「時代の潮流、技術革新」「税理士業務の変化」「代表として取り組んだこと」の3本柱で話をし、これから発展していくための課題をあげました。 まずは、根本に立ち返り、「顧客目線の事務所運営」。まさしくお客様の永続的なパートナーとして存続できるように私どもけやきパートナーズは成長していかねばならないと再度気持ちを引き締めたイベントになりました。 今回は、谷汲の100年続く老舗企業さんで祝賀式典と懇親会を開催しました。 2年前新卒で入ったスタッフが初めて経験、参加する全社での酒が入った懇親会ということで、楽しんでもらえたことでしょう。 コロナの影響で一度延期した記念行事が、無事6月3日開催出来て、感謝でした。さらに、コロナおさまって、平穏で活気ある生活が戻ってくることを祈念します。