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5並びの日・「こどもの日=いび祭り本楽」

今日は、令和5年5月5日ということで、和暦ですと5が3つ並び日でした。和暦で次の5並びというと再び元号が変わった5年5月になるのでしょうか。

この前は平成5年5月5日でしょうけど、私はそのころ大学を卒業して2年目でしたが、無職で資格試験の勉強をしていたため、祭りを観に帰省することはなかったのではないかと思います。ですから、平成の初期のころのいび祭りに対する思いはありません。その前の5並びになると、昭和55年5月5日があります。この年は、私は小学6年生で、いび祭りの子ども歌舞伎に出演させていただいた年でした。今から43年も経っているのですね。いまだに冒頭のセリフを覚えているので、それほどまでに心に残っているということでしょう。

5月5日、久しぶりに5つの山車が三輪神社に勢ぞろいしての子ども歌舞伎披露でしたが、前年からは太夫三味線は素人が担当することになったりと大きな変化がありましたし、5つの山車すべてが、大規模な修理を終えて揃えられるのも初めてということでありました。とりわけ一番最後に修繕した「上町・高砂山」の屋根に乗っかった「三日月」は、ピカピカに新調されていたのが印象的でした。

5月5日の16時からの第二回目の公演を観に行こうと三輪神社に行くと、懐かしい人に会えました。祭りは、地元に生まれ育った地に戻ってくる良い機会なのかもしれません。懐かしい人たちのうちの1人が、いび祭りのポスターの顔になっている女性でした。当時小学6年生であった彼女は、13年前に私の長男二男とともに、子ども歌舞伎に出演しました。日本の伝統芸能である歌舞伎が世界へ羽ばたくことを意図しての写真なのかは分かりませんが、このポスターの女性は、日本人の両親を持つ子ではないのです。日本で育っているので、日本語は十分にできますが、食生活は日本の子とはずいぶんと違っていたようにも思いますが、他の女子出演者とは仲良くしていたことを思い出します。目が大きく、目力があって、声もきれいで美しく、本当にあでやかな「花魁」であったと思います。そんな24歳おのじかんたいにいになった彼女は、お母さんとボーイフレンドを伴って見に来ていました。「毎年でも、見に来たい」と言う彼女の言葉に、13年前の思い出が、やはりずっと残っているのであろうなあと思わせてくれました。

そのあと長男の同級生3人が、並んで歩いているのに遭遇。にっこりと話しかけてくれたその子たちに、少しずつほめましたが、きっちりと笑顔で返してくれました。さすがに社会人ですね。偶然に会える機会になるのが、いび祭りのようなイベント事なのでしょう。やっぱり「祭り」の開催って地域内の人間関係を保つ上で大変重要なのだと感じさせられました。