けやきパートナーズとは
税理士法人いび会計センターは、創業50年を機に「けやきパートナーズ税理士法人」と名称変更いたしました。 けやきパートナーズは、揖斐川町に位置する地域密着の「税務」・「法務」・「労務」・「保険」サービス等を提供する「ワンストップ型」事務所です。
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COLUMN
コラム
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パワハラについて思うこと
パワハラ防止が最近声高に叫ばれていますけれど、私から言わせるとどうしてこうも「パワハラ」と叫ばれないといけない時代になったかというのを疑問に思います。 私たち税理士は、常に経営者様と向き合っていますけれど、従業員との関係に悩む経営者は多いように見受けられます。 「従業員から残業代不払いでいきなり訴えられた」 「回収した代金を横領されてしまった」 「ハローワークに求人票を出しているが、まったく応募がない」 「従業員がけがを負ってしまった。なんとかしてあげたい」 ということを聞かされる一方で、 「うちの社員は、よく働いてくれる。そのおかげでずっとわが社は成長している。それに報いなければならない」 と話していただける社長もおられます。というように、法律に沿って事業運営はしないといけませんが、どちらかというと従業員思いの社長が大半なのではないですか。 そして残念ながら従業員側が、社長の思いを理解できないケースが多いように思います。 愛情ある指導が、いつしかパワハラになっている、その従業員を思って言ったことがかえってパワハラととらえられる。なんとも寂しい限りです。 私も以前は、従業員という立場がありました。その当時の上司の厳しい口調や態度に腹が立ちましたが、今思うと厳しく叱責されることで、気持ちが引き締まった、身になったようにも思えます。かえって、20数年経った今となっては、当時は懐かしくもあり、’鬼’になって叱ってくれた上司には恨みもなく感謝しかありません。 従業員が生き生きと快く働いてもらえる環境を作るのは経営者の務めです。それを怠ると経営にも悪影響が出るのは間違いないでしょう。会社の業績アップには、「経営者」の成長、そして「従業員」のレベルアップが不可欠なのではないかと思います。レベルアップを図るためには、社内での教育、訓練が欠かせません。愛情を注いだ指導を受け入れる「心」を作るのが先ということでしょうか。『企業は人なり』とよく言われますが、従業員と経営者の向かっていく気持ちを一致させていくことが、会社を前進させるための原動力です。 まずは、「経営者」たるもの、従業員が変わってくれるのを待っていてはいけないと思います。まずは、経営者が従業員から信頼されファンになってもらえるように自らそのやり方を変えていく、『「他」を改める前に自らを改めよ』と言われますが、今一度その言葉をかみしめていかねばならないと感じます。愛情をもって言ったつもりなのになぜ「パワハラ」と捉えられるのか、その原因を自ら考えてみるほかないと思います。職場の人間関係をより良くするために。それが会社業績アップにつながるでしょう。
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私の大学時代 「税理士への道」vs「クラシック音楽」
上旬のコラムには、私の趣味のクラシック音楽との付き合いについて掲載していたのですが、「税理士」「クラシック音楽」ともに関係してくるのが大学1年の時でありました。そのころの事の回想をさせていただこうと思います。中央大学商学部会計学科に進学したのは、昭和62年4月(1987年)のことです。東京での一人暮らしに大きな夢と希望を抱いて親元である岐阜県揖斐川町を離れました。父は、私が小学校高学年くらいから「自分の後を継いで税理士になってくれ」ということをずっと言ってきました。そこで、大学に進学したからには、公認会計士受験の勉強に専念するのだと、大学合格の頃から言われてきたと思います。中央大学ですと、学内で公認会計士受験のための講座として「経理研究所」の講座が設置されていましたので、そこに入って勉強するのだと親子で決めていたのです。 ところが、大学の中の新入生歓迎の独特のムードというものは恐ろしいものです。その決意を揺るがす’集団’と出会ってしまいました。「グリークラブ」という男声合唱団でした。そう、部員は男性のみです。女性禁制というわけではないですが、「男声」の音域が普通は出せないでしょうから。キャンパスの中で、懸命に勧誘している上級生の方に出会い、高校の時に合唱やっていたから、どんなものか「一度覗いてみよう」とついていった練習室でした。やや雑然とした練習室内に40人弱ほどの部員と新入生でしたでしょうか。部の「体験」も兼ねているということで、音とりから歌詞を付けていくところまで短い曲で実際に先輩を交えながらやっていました。面食らったのがいきなり「イタリア語」の合唱曲であったこと、そして何でこうも柔らかくて暖かみのあるハーモニーなのかと初めて中に入って歌ってみて感じたのです。背筋がぞくっとする感動を覚えました。そして、先輩たちのみでの合唱も、とても美しく端正に思えました。 いえ、合唱の技術だけでない、この部の先輩たちの面倒見の良さ、ノリの良いこと、とても楽しそうにやっていて、イキイキされている様子を見ました。やっぱり男性のみというのはテレもなく賑やかでいいなあと。先の2年程度の高校での合唱は、自分自身が十分に合唱に浸ることができなかった残念で物足りない部活で不完全燃焼だったことと対比すると雲泥の差に思えました。練習見学の後で、新入生が感想と入部の意思について、全員の前でインタビューされるのですが、即日「入部します!」と言ってしまっている自分がいました。 電話で父には、「申し訳ないけど、大学のうちはグリークラブをやらせてほしい」と頼みました。相当、父からは厳しいことを言われたのですが、最終的には折れてくれました。大学1年から公認会計士受験講座をやっていたら、将来は変わっていたのであろうか、こればかりは何とも言えません。「過去」はオール善と考えながらやっていく他ありません。正式名称は、『中央大学音楽研究部グリークラブ』という公認サークルに入って活動できた4年間があったおかげで今があるようにも思えます。大学時代については、満点とは言えないけれど、「グリー」だけでなく、色んなことにチャレンジができた4年間という認識です。かといって、自分のような大学生活を息子には勧めたくはないですが(笑)。
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私の大学時代 税理士への道
大学選びは、皆さんどのように決めていましたか?私の場合は、将来的に親の後を継ぐべく税理士になることを目標としていたので、税理士、公認会計士を多数輩出している大学に進学しようと決めていました。税理士になるルートは、大きく分けると四つになるでしょうか。 まず第一に税理士試験で所定の5科目に合格することです。会計学に属する簿記論及び財務諸表論に合格したのち、所得税法または法人税法を含む税法3科目に合格して合計5科目揃えることです。 次いで二つ目は、公認会計士試験に合格することです。大学では、税理士試験ではなくて、公認会計士になることをすすめられます。理由としては、大学での開講科目に科目内容が重複することが挙げられるでしょうか。受験者層も、税理士試験受験者の年齢層が高いのに対して、公認会計士試験受験者層は、大学生や20歳代が多かったのです。父も、最初は、公認会計士試験を志していました。私も、父の勧めなどもあり、公認会計士試験を最初は、志しました。 さて3つ目、4つ目については、手短に。当時は、大学院を二つ出ることによって税理士科目が受験免除となるという制度がありました(今は最低限会計科目1、税法に属する科目1を合格することが必須)。それと税務署などの税務に関連する官公署での実務経験年数により、税理士試験が免除となる制度があります。 税理士になる1番の近道は、大学生になって早々と公認会計士試験に向けた勉強をはじめて、在学中の4年次に試験合格してしまうことだと言われます。そうすれば、順調にいくならば25歳を前に、公認会計士になれて、税理士にも登録する資格ができるわけです。 税理士試験は、1科目づつとっていけば良いという気軽さはあるのですが、かえってそれが各科目の難度を高めているように思われます。簿記論、財務諸表論については、税理士入門者が受けることから、まだ広き門のように思うのですが、税法は、会計を合格して一定のフィルターを通過した受験者となるため少数激戦です。同じような理由で父も税理士試験でなくて、公認会計士試験を勧めていたのです。 公認会計士試験合格者を数多く輩出する大学というと、慶應義塾、早稲田と続きます。その次には、明治、中央の名前が連なります。私は、それら大学の中から入試制度が変則的であった慶應義塾以外を受験しました。結果、明治商学部と中央商学部に合格できたのですが、当時は緑多き近未来的なキャンパスでいいなあと思ったこと、学科が会計学科だったことから中央を選択したのです。 私の大学時代は、公認会計士試験に向けて一直線の予定でしたが、何のはずみであったでしょうか、全く方向性が外れてしまったのです。 この後は、次回に語らせていただきたいと思います。
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