けやきパートナーズとは
税理士法人いび会計センターは、創業50年を機に「けやきパートナーズ税理士法人」と名称変更いたしました。 けやきパートナーズは、揖斐川町に位置する地域密着の「税務」・「法務」・「労務」・「保険」サービス等を提供する「ワンストップ型」事務所です。
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コラム
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待ち望んだキャッシュレス乗車に一歩前進した養老鉄道
養老鉄道、地域の足となるローカル鉄道ですね。普段の朝早くは大勢の高校生が乗る鉄道です。私も、私の息子たちも、この電車の始発駅揖斐駅から大垣駅まで乗車して通学しました。高校生当時の車両は、すべて冷房などついておらず、ただ天井の扇風機が回る夏仕様であったと思います。この猛暑、酷暑が当たり前となった現代に扇風機だけならば、倒れる人も多く出ただろうなあと思います。幸い、現在となっては、冷暖房完備は当たり前の車内になりました。快適になったものだと思います。 ただ、自家用車へのシフトも著しく、「少子化」も影響して、乗車数はずっと減少してきたのではないでしょうか。沿線自治体の補助がなければ、存続は大変厳しいところでしょう。沿線自治体の取り組みとして、養老鉄道の利用促進を訴えたり、パークアンドライドのために駅前駐車場の整備をしてきました。鉄道会社側の取り組みは、東京から中古車両を導入したり、発射案内が、LED化されたり、待合室の快適さを向上させたりしていました。ところが、キャッシュレスが普及してきても、定期券購入はキャッシュレスでできるようになっていても、片道乗車券は、券売機で硬貨、紙幣を入れて購入しなければなりませんでした。これが、私にとっては面倒くさくて、養老鉄道に乗車するハードルを上げるものでした。 ところがようやく、キャッシュレスに対応した券売機に取り換えてくれたことを3月に知りました。財布をバッグより取り出して、硬貨を取り出すわずらわしさから解放され、スマホの交通系タッチ決済にも対応しました。しかも、片道乗車券のみならず、往復乗車券購入、回数券購入もできるように改善されていました。往復乗車券を買っていれば、帰りに大垣の券売機に立ち寄らずにすみますからね。利便性を格段に上げてくれたなあと感じました。 惜しまれるのが、乗車時の激しい縦揺れです。高校生の時には、椅子から飛び上がるような揺れはなかったように思うのですが。経年劣化でしょうかね。揖斐駅から大垣駅まで約25分、これは我慢できない時間ではないでしょう。駅から近い商店、飲食店が目的地ならば、自家用車で行くよりも私は気楽だと思いますね。とりわけ、朝夕の交通渋滞の中で、岐阜、名古屋方面に通勤するのはストレスですから。健常者であれば、一宮から名古屋の間の混雑以外は、「耐えがたい辛さ」とは思わないのでは。 そして、何より自家用車でなく、公共交通で移動する最大のメリットは、運動不足を解消できることだと思います。自家用車で通勤者がほとんどの当事務所は、運動不足になるメンバーが多数います。私も、時間に追われる毎日を送る結果、車で動きすぎて、運土不足になったのが、「脳血管疾患」となった一つの要因だったと思います。「焦ることなく」公共交通を使う、自分の足を使って歩くという習慣をつけようと思います。 郊外の広い道路、広い駐車場は別に苦にならないのですが、都会の駐車場を探しつつ運転することの危険性を思うと、気持ちに余裕をもって、公共交通を使うというのが、一番健康に良いことでしょう。私にとって、キャッシュレス拡大は、公共交通を利用するインセンティブとなります。「キャッシュレス化」をすすめていただいた養老鉄道にまずは、感謝ですね。
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38年前の大学入学時代を思い出すと
現在、私は56歳です。大学には、高校を卒業してすぐに入学しましたので、38年前に大学に入学したことになります。もうずいぶん遠くなってきた昭和の末期です。昭和62年、西暦で言えば1987年なのですね。今から、1987年を観てみれば、時代の転換期ともいえる時代であったと思います。大きな話題とすると国鉄が分割民営化されたのが、1987年のことでした。JRという新しい民間鉄道会社が発足しました。岐阜県内の国鉄だとJR東海に、首都圏ないだとJR東日本へと変化しました。国鉄時代は、たびたび値上げがあり、赤字だらけと批判されたものが、JRとなってからは、運賃の値上げがほとんどなくなりました。値上げは、消費税が導入された時くらいだったように思います。そのことを考えるならば、民営化は成功だったと言えるのですが、「赤字路線」を切り捨てて第三セクター方式に移行する路線が数多く出ました。どうしても、営利企業となれば、不採算の部門(路線)は切り捨てることになるのはやむをえないことでしょう。そのローカル路線の維持について、地方自治体の予算が割かれていっているわけなのでしょう。あと、国が作ってきたものを民間に切り売りしていくという手法はさて、公平なのかという疑問はあります。民営化の先例である日本電電公社、のちの郵政民営化も同じだと思えます。人口が多い地域については、手厚くなるが、人口が少ないところでは、サービスが手薄になっていく傾向にあると思います。「地方を元気にする」政策とは、逆を行くのが、公営事業の民営化という側面もあるようにも思います。いかがでしょうか。大多数の幸福を追求するという理念のもとに、公営企業が民営化されていると信じたいと思います。 1987年といいますと、携帯電話はほとんど普及していませんでした。「ポケットベル」というものはあって、呼び出しをして、その折り返しを待つというものがありましたが、すぐにコミュニケーションをとれないもどかしさを感じたものです。さらに、「ポケットベル」を持つのは限られた人だったと思います。携帯電話は、自動車についた電話機や、重い機器を肩から下げて通話するものがありましたが、いずれも学生が持つものではありませんでした。 親元離れて、一人暮らしする学生に不可欠だったのは、加入電話であり、「電話加入権」でした。電話加入権は、当時72800円で売っていたと思います。一度に72800円は、かなりの出費ですよね。さらには、通話料です。当時は、遠距離通話が割高であったので、東京から岐阜まで気軽に電話するのも躊躇しました。公衆電話でテレフォンカードの1000円分があっという間に「度数」がなくなっていきました。そこで、現状報告には、よく「手紙」を書いたものです。この手紙を母は、大事に持っていてくれるのですが、自分では「恥ずかしくて」読む気がしません。きちんと丁寧な字でびっしりと書いた手紙です。しかし、この手紙の内容は、思い出すことはできません。 今の学生は、ノートパソコンは必須アイテムなのですが、当時「パソコン」はまだ登場していませんでした。コンピュータは、存在していたものの、身近ではなく使いにくいものであったのを記憶しています。当然、画面はカラーではなく、奥行きの長いブラウン管でした。ようやく出始めたのが「日本語ワープロ」でした。しかし、表示される範囲も狭く、機能も乏しかったと思います。ただ、手書きよりははるかに楽であった記憶があります。大学1年の時は、学級があって、担任の先生もいたのですが、先生が作成された名簿は、「手書き」でした。「名簿」の存在すら、後に作られた「個人情報保護法」により、珍しいことですよね。さらには、「手書き」ということで、今思うと「昭和感」が非常に強いと思います。 そう、現代にはある「インターネット」も当時ありませんでした。これが、一番大きな違いなのではないでしょうか。これは、ソ連崩壊、冷戦構造の崩壊を原因とするものということを言われていますが、私の学生時代と今の違いで一番大きな違いは、「インターネット」ではないかと思います。通信技術、情報技術の著しい発展によって、私たちの生活は、大きな変化を遂げ、格段に便利になりました。その恩恵には、感謝するべきだと思いながら、この文章を書いております。
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大学入学式にて感じたこと
4月5日土曜日、三男の大学入学の晴れ姿を見るために、名古屋大学に出かけてきました。 残念ながら、入学式が行われる会場には、収容人員の関係でしょうか親は入らせていただけませんでしたので、学部の講義室で中継映像を観ることで、入学式の雰囲気を味わいました。式典が始まる前によくあるのは、「記念演奏」です。この日は、ワーグナー作曲「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第一幕への前奏曲でした。クラシックファンにとっては、耳なじみの曲ですね。CMでも使われた曲であるようです。学内のオーケストラの演奏、演奏者が同じ大学の学生というのが、やはり愛校心を育むのによいと思いました。演奏の巧拙については、アマチュアレベルで言っても仕方ないでしょう。 私も、このように入学式の際に男声合唱団の一員として演奏させていただいたこともあるので、思い出深くもありました。私の出身校である中央大学ですと、入学式の記念演奏は、オーケストラとともに男声合唱団がさせていただいていました。中央大学が、英吉利法律学校が前身だということで、イギリスの作曲家エルガーの代表作である「威風堂々」を演奏しました。新入生の時は、これを聴いて、男声合唱に入ろうとは思っていなかったのですが、体験入部に行った時の楽しさと男声合唱のハーモニーの妙に魅了されてしまって、男声合唱部(グリークラブ)に入部することにしたのです。それ以降の3年間恒例の行事のように、「威風堂々」をともに歌ってきました。それも良い思い出ですが、早いもので38年経ってしまいました。最近、中央大学の入学式の模様をYouTubeで見たのですが、昨年もなお「威風堂々」が記念演奏されていました。ただ、そこに「私の青春の1ページであった」グリークラブはありませんでした。続く、続けることの難しさを感じさせられます。グリークラブは、10数年前から、部員の極端な減少に悩み、とうとうコロナに最後のトドメをさされたという感じで、昨年廃部が決定してしまいました。 記念演奏のあと、総長が大学の歴史、大学生として学んでほしいこと、やってほしいことなどご教示いただけました。自身の大学生活を振り返り、充実したいろんなことができた中身の濃い大学生時代だったなあと感じました。大学時代の友人からよく学んだり、グリークラブに入っていたことから、様々な学び、失敗があってそこから学んできたなあというのも思い起こしました。ご来賓には、ノーベル賞受賞された野依良治さんからお祝いの言葉をいただけるなど、名古屋大学の偉大な先人たちに圧倒される思いもしました。新入生として聴くのと、親になってから大学を出てから聴く姿勢では全く違うなあと感じつつ、じっくり拝聴しました。 入学式が終了したのち、「入学式」の看板前で長蛇の列ができていました。新入生に交じって、部活サークルの勧誘をする先輩たちの姿に、これは変わっていないなあと感じさせられました。ところが、私の大学入学式に親が同伴している人はいなかったように思うのですが、今時はかなりの割合でいるようです。多くは、親と新入生で記念撮影をしていました。本当に、式が終わって開放感があるのか、みんな(親も先輩学生たちも)本当に良い笑顔です。この大学に来られてよかったという雰囲気が充満していました。 「勇気ある知識人」になるためには、海外に目を向けてということも多く含まれるのでしょうか。「海外留学」を何度も勧めていました。コロナも明けて、海外留学がより盛んになるということです。確かに、若い思考が柔軟なうちから、海外に出て、「日本以外」の文化に慣れておくということも「国際人」になるには必要なことだろうなあと思う反面、金銭的なことが頭をよぎります。 今日の株式市場は、また一段と株安が進んでいます。これは、きっと「トランプ関税」の影響だろうなと思うのです。より世界の経済が日本に与える影響は大きくなる今、「世界で起きている事」に関心をもつことの重要性は増すばかりでしょう。
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