コラム

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待ち望んだキャッシュレス乗車に一歩前進した養老鉄道
養老鉄道、地域の足となるローカル鉄道ですね。普段の朝早くは大勢の高校生が乗る鉄道です。私も、私の息子たちも、この電車の始発駅揖斐駅から大垣駅まで乗車して通学しました。高校生当時の車両は、すべて冷房などついておらず、ただ天井の扇風機が回る夏仕様であったと思います。この猛暑、酷暑が当たり前となった現代に扇風機だけならば、倒れる人も多く出ただろうなあと思います。幸い、現在となっては、冷暖房完備は当たり前の車内になりました。快適になったものだと思います。 ただ、自家用車へのシフトも著しく、「少子化」も影響して、乗車数はずっと減少してきたのではないでしょうか。沿線自治体の補助がなければ、存続は大変厳しいところでしょう。沿線自治体の取り組みとして、養老鉄道の利用促進を訴えたり、パークアンドライドのために駅前駐車場の整備をしてきました。鉄道会社側の取り組みは、東京から中古車両を導入したり、発射案内が、LED化されたり、待合室の快適さを向上させたりしていました。ところが、キャッシュレスが普及してきても、定期券購入はキャッシュレスでできるようになっていても、片道乗車券は、券売機で硬貨、紙幣を入れて購入しなければなりませんでした。これが、私にとっては面倒くさくて、養老鉄道に乗車するハードルを上げるものでした。 ところがようやく、キャッシュレスに対応した券売機に取り換えてくれたことを3月に知りました。財布をバッグより取り出して、硬貨を取り出すわずらわしさから解放され、スマホの交通系タッチ決済にも対応しました。しかも、片道乗車券のみならず、往復乗車券購入、回数券購入もできるように改善されていました。往復乗車券を買っていれば、帰りに大垣の券売機に立ち寄らずにすみますからね。利便性を格段に上げてくれたなあと感じました。 惜しまれるのが、乗車時の激しい縦揺れです。高校生の時には、椅子から飛び上がるような揺れはなかったように思うのですが。経年劣化でしょうかね。揖斐駅から大垣駅まで約25分、これは我慢できない時間ではないでしょう。駅から近い商店、飲食店が目的地ならば、自家用車で行くよりも私は気楽だと思いますね。とりわけ、朝夕の交通渋滞の中で、岐阜、名古屋方面に通勤するのはストレスですから。健常者であれば、一宮から名古屋の間の混雑以外は、「耐えがたい辛さ」とは思わないのでは。 そして、何より自家用車でなく、公共交通で移動する最大のメリットは、運動不足を解消できることだと思います。自家用車で通勤者がほとんどの当事務所は、運動不足になるメンバーが多数います。私も、時間に追われる毎日を送る結果、車で動きすぎて、運土不足になったのが、「脳血管疾患」となった一つの要因だったと思います。「焦ることなく」公共交通を使う、自分の足を使って歩くという習慣をつけようと思います。 郊外の広い道路、広い駐車場は別に苦にならないのですが、都会の駐車場を探しつつ運転することの危険性を思うと、気持ちに余裕をもって、公共交通を使うというのが、一番健康に良いことでしょう。私にとって、キャッシュレス拡大は、公共交通を利用するインセンティブとなります。「キャッシュレス化」をすすめていただいた養老鉄道にまずは、感謝ですね。
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38年前の大学入学時代を思い出すと
現在、私は56歳です。大学には、高校を卒業してすぐに入学しましたので、38年前に大学に入学したことになります。もうずいぶん遠くなってきた昭和の末期です。昭和62年、西暦で言えば1987年なのですね。今から、1987年を観てみれば、時代の転換期ともいえる時代であったと思います。大きな話題とすると国鉄が分割民営化されたのが、1987年のことでした。JRという新しい民間鉄道会社が発足しました。岐阜県内の国鉄だとJR東海に、首都圏ないだとJR東日本へと変化しました。国鉄時代は、たびたび値上げがあり、赤字だらけと批判されたものが、JRとなってからは、運賃の値上げがほとんどなくなりました。値上げは、消費税が導入された時くらいだったように思います。そのことを考えるならば、民営化は成功だったと言えるのですが、「赤字路線」を切り捨てて第三セクター方式に移行する路線が数多く出ました。どうしても、営利企業となれば、不採算の部門(路線)は切り捨てることになるのはやむをえないことでしょう。そのローカル路線の維持について、地方自治体の予算が割かれていっているわけなのでしょう。あと、国が作ってきたものを民間に切り売りしていくという手法はさて、公平なのかという疑問はあります。民営化の先例である日本電電公社、のちの郵政民営化も同じだと思えます。人口が多い地域については、手厚くなるが、人口が少ないところでは、サービスが手薄になっていく傾向にあると思います。「地方を元気にする」政策とは、逆を行くのが、公営事業の民営化という側面もあるようにも思います。いかがでしょうか。大多数の幸福を追求するという理念のもとに、公営企業が民営化されていると信じたいと思います。 1987年といいますと、携帯電話はほとんど普及していませんでした。「ポケットベル」というものはあって、呼び出しをして、その折り返しを待つというものがありましたが、すぐにコミュニケーションをとれないもどかしさを感じたものです。さらに、「ポケットベル」を持つのは限られた人だったと思います。携帯電話は、自動車についた電話機や、重い機器を肩から下げて通話するものがありましたが、いずれも学生が持つものではありませんでした。 親元離れて、一人暮らしする学生に不可欠だったのは、加入電話であり、「電話加入権」でした。電話加入権は、当時72800円で売っていたと思います。一度に72800円は、かなりの出費ですよね。さらには、通話料です。当時は、遠距離通話が割高であったので、東京から岐阜まで気軽に電話するのも躊躇しました。公衆電話でテレフォンカードの1000円分があっという間に「度数」がなくなっていきました。そこで、現状報告には、よく「手紙」を書いたものです。この手紙を母は、大事に持っていてくれるのですが、自分では「恥ずかしくて」読む気がしません。きちんと丁寧な字でびっしりと書いた手紙です。しかし、この手紙の内容は、思い出すことはできません。 今の学生は、ノートパソコンは必須アイテムなのですが、当時「パソコン」はまだ登場していませんでした。コンピュータは、存在していたものの、身近ではなく使いにくいものであったのを記憶しています。当然、画面はカラーではなく、奥行きの長いブラウン管でした。ようやく出始めたのが「日本語ワープロ」でした。しかし、表示される範囲も狭く、機能も乏しかったと思います。ただ、手書きよりははるかに楽であった記憶があります。大学1年の時は、学級があって、担任の先生もいたのですが、先生が作成された名簿は、「手書き」でした。「名簿」の存在すら、後に作られた「個人情報保護法」により、珍しいことですよね。さらには、「手書き」ということで、今思うと「昭和感」が非常に強いと思います。 そう、現代にはある「インターネット」も当時ありませんでした。これが、一番大きな違いなのではないでしょうか。これは、ソ連崩壊、冷戦構造の崩壊を原因とするものということを言われていますが、私の学生時代と今の違いで一番大きな違いは、「インターネット」ではないかと思います。通信技術、情報技術の著しい発展によって、私たちの生活は、大きな変化を遂げ、格段に便利になりました。その恩恵には、感謝するべきだと思いながら、この文章を書いております。
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大学入学式にて感じたこと
4月5日土曜日、三男の大学入学の晴れ姿を見るために、名古屋大学に出かけてきました。 残念ながら、入学式が行われる会場には、収容人員の関係でしょうか親は入らせていただけませんでしたので、学部の講義室で中継映像を観ることで、入学式の雰囲気を味わいました。式典が始まる前によくあるのは、「記念演奏」です。この日は、ワーグナー作曲「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第一幕への前奏曲でした。クラシックファンにとっては、耳なじみの曲ですね。CMでも使われた曲であるようです。学内のオーケストラの演奏、演奏者が同じ大学の学生というのが、やはり愛校心を育むのによいと思いました。演奏の巧拙については、アマチュアレベルで言っても仕方ないでしょう。 私も、このように入学式の際に男声合唱団の一員として演奏させていただいたこともあるので、思い出深くもありました。私の出身校である中央大学ですと、入学式の記念演奏は、オーケストラとともに男声合唱団がさせていただいていました。中央大学が、英吉利法律学校が前身だということで、イギリスの作曲家エルガーの代表作である「威風堂々」を演奏しました。新入生の時は、これを聴いて、男声合唱に入ろうとは思っていなかったのですが、体験入部に行った時の楽しさと男声合唱のハーモニーの妙に魅了されてしまって、男声合唱部(グリークラブ)に入部することにしたのです。それ以降の3年間恒例の行事のように、「威風堂々」をともに歌ってきました。それも良い思い出ですが、早いもので38年経ってしまいました。最近、中央大学の入学式の模様をYouTubeで見たのですが、昨年もなお「威風堂々」が記念演奏されていました。ただ、そこに「私の青春の1ページであった」グリークラブはありませんでした。続く、続けることの難しさを感じさせられます。グリークラブは、10数年前から、部員の極端な減少に悩み、とうとうコロナに最後のトドメをさされたという感じで、昨年廃部が決定してしまいました。 記念演奏のあと、総長が大学の歴史、大学生として学んでほしいこと、やってほしいことなどご教示いただけました。自身の大学生活を振り返り、充実したいろんなことができた中身の濃い大学生時代だったなあと感じました。大学時代の友人からよく学んだり、グリークラブに入っていたことから、様々な学び、失敗があってそこから学んできたなあというのも思い起こしました。ご来賓には、ノーベル賞受賞された野依良治さんからお祝いの言葉をいただけるなど、名古屋大学の偉大な先人たちに圧倒される思いもしました。新入生として聴くのと、親になってから大学を出てから聴く姿勢では全く違うなあと感じつつ、じっくり拝聴しました。 入学式が終了したのち、「入学式」の看板前で長蛇の列ができていました。新入生に交じって、部活サークルの勧誘をする先輩たちの姿に、これは変わっていないなあと感じさせられました。ところが、私の大学入学式に親が同伴している人はいなかったように思うのですが、今時はかなりの割合でいるようです。多くは、親と新入生で記念撮影をしていました。本当に、式が終わって開放感があるのか、みんな(親も先輩学生たちも)本当に良い笑顔です。この大学に来られてよかったという雰囲気が充満していました。 「勇気ある知識人」になるためには、海外に目を向けてということも多く含まれるのでしょうか。「海外留学」を何度も勧めていました。コロナも明けて、海外留学がより盛んになるということです。確かに、若い思考が柔軟なうちから、海外に出て、「日本以外」の文化に慣れておくということも「国際人」になるには必要なことだろうなあと思う反面、金銭的なことが頭をよぎります。 今日の株式市場は、また一段と株安が進んでいます。これは、きっと「トランプ関税」の影響だろうなと思うのです。より世界の経済が日本に与える影響は大きくなる今、「世界で起きている事」に関心をもつことの重要性は増すばかりでしょう。
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経営者としての務めとは何かを考えたい
年度替わりの4月は、新入社員が、新入生が希望と夢を胸に新たなステージに足を踏みいれる季節です。この季節の「少し肌寒く」「ピリッとした緊張感」の中、桜の咲く雰囲気が私は好きです。皆様の中で、ご進学、ご就職でお子様が巣立たれた方も多くいらっしゃると思います。新しいステージで、成長されること、ご活躍されることを祈ります。 気持ちを入れ替える、初心に帰る機会ともなるのが、新年でもあり、新年度もあると思います。事業を始めた時の初心を思い出してみていただきたいです。最近、昔の意気込みはどこにいったのか?入社当初のさあやるぞといった意気込み、新しいことを学ぶ意欲にあふれた新入生当時の思いをこの機会に思い起こされてはいかがでしょうか。それとも、「起業」当初の意欲にあふれたご自身、親から引き継いで代表になり気持ちのたかぶった当時の自分を思い起こされてはいかがでしょうか。 さて、企業の代表者である皆さんは、自社をどのような会社にしたいという思いはあるのではないでしょうか。食べていければそれでいいと思っている代表者は、いないと信じています。どなたも、自社が『社会的に認められて、儲かる会社でありたい』と思っていると信じています。例を挙げるならば、「会社の利益を1000万円、代表者自身の役員給料も年1000万円には最低限したいな」というものです。ところが現状、「利益は出ていない、役員給料は、600万円しかとれていない」としましょう。そのような会社は、『社会的に認められていない儲からない会社』と言って過言ではないと思います。このギャップを埋めるためには何をしなければいけないですか? その「ギャップ解消方法を考え、実行に向けて組織を動かす」のが管理者の仕事であり、経営者の仕事であると思います。中小企業の場合は、現場の仕事を代表者が自らやる必要もあるかもしれませんが、それに没頭しすぎてはいけません。代表者は、日々の業務に追われない環境に自らを置くようにしていくべきです。大所高所より会社を見て、方向性を決めるのが経営者です。現場仕事に没頭しすぎていては、本来経営者が行うべき仕事ができないのではないかと思います。今は、現場仕事を数多くやっているが、それを部下に委ねていくようにしないと組織的な仕事ができません。企業の成長発展がもたらされません。 ですから、会社を大きく強い会社にしていくには、次の点を考えるべきです。 代表は、代表しかできないか代表がやるべき仕事のみをやりましょう。 代表しかできない仕事ばかりの場合は、仕事ができる部下を作りましょう。 仕事ができる部下に、代表がやっている仕事を任せましょう。 代表は、常に会社の経営成績や資金繰りを把握しておきましょう。 代表は、この会社で、何をなし遂げるかという「目的」、「ビジョン」を作り、公表しましょう。
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受験。初志貫徹、よくやったな!
息子が、就活、受験という1年でしたが、この3月にようやくピリオドを迎えることができました。 高校1年生からずっと同じ大学を第一志望に掲げてきて、そこに合格することを目標として高校3年間を送ってきました。親からの「もっと受かりやすいところで」という言葉にも心揺るがずに、「初志貫徹」してくれました。第一志望校を受験して、見事に合格を勝ち取った息子に、よくがんばったと言ってやりたいと思います。やり切ってくれたことを誇りに思うし、本人は大変な自信になったことでしょう。 受験は、2月下旬ということで、その間は緊張して待っていたのですが、その間に高校の卒業式がありました。 岐阜県の高校は、3月1日に卒業式を行うと決めてあるのでしょうか、3月1日は土曜日であるのですが、実施されました。土曜日実施であるためか、両親とも参加するという方も多かったですね。よく晴れた日に、緊張しながらも堂々と体育館に入場してくる卒業生たちを観させていただき、やはり人生の一区切りを見届けるというのは大事なことだなあと思わされました。入場は、音楽部の合唱「365日の紙飛行機」をバックにしてでした。これも、卒業式にふさわしいと思いました。卒業生代表らの言葉に、すべて入学1年目での「コロナ」でのマスクありでの辛い生活が思い起こされ、特につらい時期を送ってきた年代だったんだなあと胸が熱くなってきました。コロナを乗り越えて、大きく成長した高校時代だったと胸を張って言えるという卒業生が多かったのかもしれません。退場の際は、吹奏楽による「エール」(いきものがたり)が流れる中で。歌詞はないものの、歌詞を思い起こしながら聴くと、じんわりと涙が出てきました。式典の中で、生徒たちが演奏する音楽って、上手い下手は関係なく、感動してしまう。これで、3人とも高校を卒業させることができたんだなあと思う安ど感も相当ありました。 卒業式終了後に、クラスルームに移動して、最後のホームルームを親も見学させていただいたのですが、大半の生徒が合格発表待ちであるだろうに、すごく明るい表情で、「このクラスで楽しかった」という感想を言っていましたが、本当に良い仲間たちと切磋琢磨して学習できたのだなと実感できて、これにもまた感謝の気持ちがわいてきました。この高校は、自由と明るさがあって、やっぱり素晴らしい伝統校であるなあと。晴れ晴れした気持ちになって帰宅しました。そのあと約1週間ほど後の合格発表。 やっぱり、まわりの仲間たちも高い目標を掲げて頑張り続けているから、それに引っ張られてもいるのだろうなあと思わされたのでした。親として、「遠出しない、演奏会いかない」ということをしていましたが、久しぶりに夫婦で3月中旬に名古屋フィルハーモニーの演奏会に出かけました。
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スマホで確定申告、今年もやってみました 「乙」欄ってなにか?
もちろん、税理士事務所ですから、自身の申告についても「事務所で使っている所得税の確定申告ソフトを使えばいい」のでは?という声もあるのでしょうけど。「スマホ」と「マイナンバーカード」で完結するから「スマートに確定申告」しようという税務当局の呼びかけに応じて今年もやってみました。 興味半分でもありますし、ひょっとしてお客様より聞かれるかもとか思うと、「試しに」やってみるというのは税理士として大事なことではないかと思うからです。 まず試したのは、給料2か所にふるさと納税の1か所の申告の妻の申告。これは、さほど難しいものではないなあと感じました。「年末調整を行った源泉徴収票」「行っていない源泉徴収票」を別々に入力するところ、まずわからない方がおられるかもしれません。。「年末調整を行ったか否か」の判断は、「摘要」という文字が用紙の中央あたりにあると思うのですが、その横に「年末調整未済」と書いてあるかどうかで判断できます。それか通常、年末調整していない源泉徴収票は、金額が3ヶ所書いてあるだけです。「支払金額」「源泉税額」「社会保険料」の数字です。逆に入力しようとしても、入力できる欄が足りないということで、間違いに気が付くことでしょう。 「年末調整を行った源泉徴収票」は、1枚しか入力できません。これは、年末調整については、1番支払いの多い勤務先で行うということです。当然、2か所以上で年末調整を行うことはできないということも意味します。年末調整は、メインの給料から行い、メイン外の給料のほうでは年末調整を行わないということです。メインでない給料のほうは、必ず「源泉徴収額」が出てくるのです。メインでない給料のほうを税額表の「乙」欄で源泉徴収を行っています。 ですから、2ヶ所以上の給与を支給される人は、確定申告しなければ、正しい年間の所得税を算定することができません。 ただ、何らかの理由で年末調整されていない給料のみしかない方を見ることがあります。この場合は、税金を払いすぎていることもありますので、確定申告することです。そして、払いすぎた税金を戻してもらうのです。 そのようにならないために、「扶養控除等申告書」は、必ず給与をもらっているいずれか1ヶ所に提出しましょう。この申告書を提出している先で、年末調整を行いますから。 スマホによる申告に戻ります。感想としては、専門的な知識を持っている人が、隣にいて用語について確認しつつ進んでいくならば簡単だと思います。ただ、税に対する知識が乏しい方にとっては、「用語」に戸惑うのではないでしょうか。 インターネット上に数多くの専門用語の解説が掲載されていても、説明がわかりにくいかもしれませんね。そんな時に、ちょっと聞ける存在として税理士は、存在しています。どちらかというと、税理士は「教えたがる」タイプが多いのではないでしょうか。軽い質問でもお待ちしていますよ。そう、複雑な案件については、やはり料金はいただくことになりますが、専門用語の意味を分かりやすくってところは、税理士事務所は、得意であると思います。
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名古屋市立美術館にて
名古屋の伏見駅から南に行くと「白川公園」があります。その白川公園の中に、名古屋市科学館と美術館があります。科学館は、プラネタリウム見学で数回行ったことがありますが、美術館は今年2月に初めて行きました。ほぼ科学館と隣り合わせで、入りやすい美術館ですね。美術に対して、素養が全くありませんが、2番目の息子が、大学で油絵を専攻しているので、親として、絵画の良さを味わう機会を持つべきだと思い、美術館に入場しました。「FORON展」が特別展示で開催されていましたので、鑑賞しました。カラーを重ねる技法ではなく、シンプルな描き方の中に、「どきっと」させられる社会風刺を盛り込んだ画風であり、想像力を掻き立てられました。 FORON展を見終えてから、常設展示を見て回ろうとしたとき、「私、ボランティアで、作品の解説していますが、よろしければガイドを受けませんか?」という女性に、無料ガイドをしていただきました。「ガイド」さん一人、そして説明されるのは私一人です。そのガイドさんは、一方的に話すのではなくて、私に「この絵画に書かれている女性は、どんな職業だと思いますか?」「どんな表情をしているのでしょうか?」のように、私が考えたことを表に出すようにしてくれるのですよね。それで、「それは違います」とは言わず、「そういった見え方もありますよね」「いい発想ですね」と好意的な反応をしてくれたんですね。やっぱり気持ちいいものですね。会話する際に、できるだけ相手を否定せず肯定的に聴く、時にほめつつ聴くというのは、コミュニケーションにおける極意だと思いました。ガイドさんのおかげで、気持ちよく美術館の作品を見て回れて、名古屋市美術館にまた来てみたいと思わせてくれました。 白川公園から伏見駅に戻る途中に、やや小ぶりではありましたが、音響の良い「しらかわホール」があって、オーケストラのコンサートを聴きに行ったこともありました。指揮者の松尾葉子さんのサインをいただいたこともあった場所でもあったのですが、残念ながら閉館してしまいました。クラシック音楽に限定した会場では、維持が厳しいということですかね。私が、初めて生のオーケストラを聴いて感動した「大垣市民会館」も、昨年3月に閉館してしまいました。さびしいことです。 さて、そこで今まで行われてきた「確定申告会場」は、今年から「大垣市情報工房」に移ったようですし、税理士会が無料相談を開催していた「イオンタウン」も「情報工房」へと移っていきました。今まで定着してきた大垣市民会館が、大垣市情報工房に集約されるというのは、これも時の流れなのでしょうか。イオンタウンでの相談会だと、1階のフードコートで、ランチするのも楽しみの一つでしたが、情報工房だと、お食事処は若干不便かもしれませんね。 確定申告の話題になったところですので、次回は「確定申告」をテーマにお届けしたいと思います。
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税制は、「国民」みんなのものだ
国民民主党の訴えが大きく効いたのか「税制を国民みんなで考えよう」ではないかという機運が高まっていると思います。それが、衆議院選挙からずっと続いています。国民民主党が、税を身近にしてくれた功績は非常に大きいものであると感じます。税をどのように徴収していき、どのように使っていくのか、国家の予算を決する国会が、いつになく熱いのは、民主主義にとってとても好ましいことであると思います。 その中で、税理士会も訴えて続けてきた「基礎控除」の額がようやく動き始めたのは、良かったのですが、わずかに「10万円」の基礎控除のアップという12月に出された自民党税制調査会の結論に驚きあきれました。2ヶ月経ってようやく出してきた自民党の修正案は、また「新たな壁」200万、500万が設けられて、しかも「時限的」に基礎控除を上下させるものでした。これを聴いたときに、私は非常に腹が煮えくり返る思いがしました。結局、自民党の税制調査会=インナーは、まったく国民に対して優しさのかけらもないのだなと。国民の意思を聴くという気が全くないのだなと。そして、税制はややこしいものであるから、国民にはタッチさせまいとしているのではないかと勘繰らせるような内容だと思います。「わざわざ、ややこしくしている」のが自民党のように思えています。 そんなに財政は、危機的状況かと言ったら、そうではないらしいのです。この数年間は、税収は伸び続けているということです。景気がよく、個人所得が増えている、法人所得が増えている、物価が高くなって、消費税の税収も増えているからでしょう。それに比べて、賃金給料の伸びは、物価の伸びに追いついてはいないですよね。実質的に買えるものが減っているにもかかわらず、支払う所得税は、給料の伸びによって増えました。ということを考えるならば、思い切って「基礎控除」を3倍以上にするのが正しいのではないでしょうか。 さらに思うのが、基礎控除に「所得制限」は、やるべきではありません。基礎控除は、「最低生活費を画する機能」がありますが、それを放棄せずに貫徹するのが正しいと思います。所得により、基礎控除を上下することは、原理原則に沿っていません。また、所得制限をすることにより、税制によって「働き控え」「収入の調整」が行われることになりませんか? 「税制」をよりシンプルに、分かりやすくからどんどん離れているのが近時の税制改正です。経理処理を煩雑にする税制、納税者への説明を複雑にする税制から脱却するきっかけに今国会がなることを期待したいと思っています。 税制は、「公平」であり、経済的に中立であり、皆がわかりやすく簡便で、納得感をもって納税できるものにしてほしい。このように、税の実務家は思っています。そう、少数与党である今国会を機に、「税制を国民の手に」取り戻すべきだと思います。