けやきパートナーズとは
税理士法人いび会計センターは、創業50年を機に「けやきパートナーズ税理士法人」と名称変更いたしました。 けやきパートナーズは、揖斐川町に位置する地域密着の「税務」・「法務」・「労務」・「保険」サービス等を提供する「ワンストップ型」事務所です。
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コラム
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38年前の大学入学時代を思い出すと
現在、私は56歳です。大学には、高校を卒業してすぐに入学しましたので、38年前に大学に入学したことになります。もうずいぶん遠くなってきた昭和の末期です。昭和62年、西暦で言えば1987年なのですね。今から、1987年を観てみれば、時代の転換期ともいえる時代であったと思います。大きな話題とすると国鉄が分割民営化されたのが、1987年のことでした。JRという新しい民間鉄道会社が発足しました。岐阜県内の国鉄だとJR東海に、首都圏ないだとJR東日本へと変化しました。国鉄時代は、たびたび値上げがあり、赤字だらけと批判されたものが、JRとなってからは、運賃の値上げがほとんどなくなりました。値上げは、消費税が導入された時くらいだったように思います。そのことを考えるならば、民営化は成功だったと言えるのですが、「赤字路線」を切り捨てて第三セクター方式に移行する路線が数多く出ました。どうしても、営利企業となれば、不採算の部門(路線)は切り捨てることになるのはやむをえないことでしょう。そのローカル路線の維持について、地方自治体の予算が割かれていっているわけなのでしょう。あと、国が作ってきたものを民間に切り売りしていくという手法はさて、公平なのかという疑問はあります。民営化の先例である日本電電公社、のちの郵政民営化も同じだと思えます。人口が多い地域については、手厚くなるが、人口が少ないところでは、サービスが手薄になっていく傾向にあると思います。「地方を元気にする」政策とは、逆を行くのが、公営事業の民営化という側面もあるようにも思います。いかがでしょうか。大多数の幸福を追求するという理念のもとに、公営企業が民営化されていると信じたいと思います。 1987年といいますと、携帯電話はほとんど普及していませんでした。「ポケットベル」というものはあって、呼び出しをして、その折り返しを待つというものがありましたが、すぐにコミュニケーションをとれないもどかしさを感じたものです。さらに、「ポケットベル」を持つのは限られた人だったと思います。携帯電話は、自動車についた電話機や、重い機器を肩から下げて通話するものがありましたが、いずれも学生が持つものではありませんでした。 親元離れて、一人暮らしする学生に不可欠だったのは、加入電話であり、「電話加入権」でした。電話加入権は、当時72800円で売っていたと思います。一度に72800円は、かなりの出費ですよね。さらには、通話料です。当時は、遠距離通話が割高であったので、東京から岐阜まで気軽に電話するのも躊躇しました。公衆電話でテレフォンカードの1000円分があっという間に「度数」がなくなっていきました。そこで、現状報告には、よく「手紙」を書いたものです。この手紙を母は、大事に持っていてくれるのですが、自分では「恥ずかしくて」読む気がしません。きちんと丁寧な字でびっしりと書いた手紙です。しかし、この手紙の内容は、思い出すことはできません。 今の学生は、ノートパソコンは必須アイテムなのですが、当時「パソコン」はまだ登場していませんでした。コンピュータは、存在していたものの、身近ではなく使いにくいものであったのを記憶しています。当然、画面はカラーではなく、奥行きの長いブラウン管でした。ようやく出始めたのが「日本語ワープロ」でした。しかし、表示される範囲も狭く、機能も乏しかったと思います。ただ、手書きよりははるかに楽であった記憶があります。大学1年の時は、学級があって、担任の先生もいたのですが、先生が作成された名簿は、「手書き」でした。「名簿」の存在すら、後に作られた「個人情報保護法」により、珍しいことですよね。さらには、「手書き」ということで、今思うと「昭和感」が非常に強いと思います。 そう、現代にはある「インターネット」も当時ありませんでした。これが、一番大きな違いなのではないでしょうか。これは、ソ連崩壊、冷戦構造の崩壊を原因とするものということを言われていますが、私の学生時代と今の違いで一番大きな違いは、「インターネット」ではないかと思います。通信技術、情報技術の著しい発展によって、私たちの生活は、大きな変化を遂げ、格段に便利になりました。その恩恵には、感謝するべきだと思いながら、この文章を書いております。
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大学入学式にて感じたこと
4月5日土曜日、三男の大学入学の晴れ姿を見るために、名古屋大学に出かけてきました。 残念ながら、入学式が行われる会場には、収容人員の関係でしょうか親は入らせていただけませんでしたので、学部の講義室で中継映像を観ることで、入学式の雰囲気を味わいました。式典が始まる前によくあるのは、「記念演奏」です。この日は、ワーグナー作曲「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第一幕への前奏曲でした。クラシックファンにとっては、耳なじみの曲ですね。CMでも使われた曲であるようです。学内のオーケストラの演奏、演奏者が同じ大学の学生というのが、やはり愛校心を育むのによいと思いました。演奏の巧拙については、アマチュアレベルで言っても仕方ないでしょう。 私も、このように入学式の際に男声合唱団の一員として演奏させていただいたこともあるので、思い出深くもありました。私の出身校である中央大学ですと、入学式の記念演奏は、オーケストラとともに男声合唱団がさせていただいていました。中央大学が、英吉利法律学校が前身だということで、イギリスの作曲家エルガーの代表作である「威風堂々」を演奏しました。新入生の時は、これを聴いて、男声合唱に入ろうとは思っていなかったのですが、体験入部に行った時の楽しさと男声合唱のハーモニーの妙に魅了されてしまって、男声合唱部(グリークラブ)に入部することにしたのです。それ以降の3年間恒例の行事のように、「威風堂々」をともに歌ってきました。それも良い思い出ですが、早いもので38年経ってしまいました。最近、中央大学の入学式の模様をYouTubeで見たのですが、昨年もなお「威風堂々」が記念演奏されていました。ただ、そこに「私の青春の1ページであった」グリークラブはありませんでした。続く、続けることの難しさを感じさせられます。グリークラブは、10数年前から、部員の極端な減少に悩み、とうとうコロナに最後のトドメをさされたという感じで、昨年廃部が決定してしまいました。 記念演奏のあと、総長が大学の歴史、大学生として学んでほしいこと、やってほしいことなどご教示いただけました。自身の大学生活を振り返り、充実したいろんなことができた中身の濃い大学生時代だったなあと感じました。大学時代の友人からよく学んだり、グリークラブに入っていたことから、様々な学び、失敗があってそこから学んできたなあというのも思い起こしました。ご来賓には、ノーベル賞受賞された野依良治さんからお祝いの言葉をいただけるなど、名古屋大学の偉大な先人たちに圧倒される思いもしました。新入生として聴くのと、親になってから大学を出てから聴く姿勢では全く違うなあと感じつつ、じっくり拝聴しました。 入学式が終了したのち、「入学式」の看板前で長蛇の列ができていました。新入生に交じって、部活サークルの勧誘をする先輩たちの姿に、これは変わっていないなあと感じさせられました。ところが、私の大学入学式に親が同伴している人はいなかったように思うのですが、今時はかなりの割合でいるようです。多くは、親と新入生で記念撮影をしていました。本当に、式が終わって開放感があるのか、みんな(親も先輩学生たちも)本当に良い笑顔です。この大学に来られてよかったという雰囲気が充満していました。 「勇気ある知識人」になるためには、海外に目を向けてということも多く含まれるのでしょうか。「海外留学」を何度も勧めていました。コロナも明けて、海外留学がより盛んになるということです。確かに、若い思考が柔軟なうちから、海外に出て、「日本以外」の文化に慣れておくということも「国際人」になるには必要なことだろうなあと思う反面、金銭的なことが頭をよぎります。 今日の株式市場は、また一段と株安が進んでいます。これは、きっと「トランプ関税」の影響だろうなと思うのです。より世界の経済が日本に与える影響は大きくなる今、「世界で起きている事」に関心をもつことの重要性は増すばかりでしょう。
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経営者としての務めとは何かを考えたい
年度替わりの4月は、新入社員が、新入生が希望と夢を胸に新たなステージに足を踏みいれる季節です。この季節の「少し肌寒く」「ピリッとした緊張感」の中、桜の咲く雰囲気が私は好きです。皆様の中で、ご進学、ご就職でお子様が巣立たれた方も多くいらっしゃると思います。新しいステージで、成長されること、ご活躍されることを祈ります。 気持ちを入れ替える、初心に帰る機会ともなるのが、新年でもあり、新年度もあると思います。事業を始めた時の初心を思い出してみていただきたいです。最近、昔の意気込みはどこにいったのか?入社当初のさあやるぞといった意気込み、新しいことを学ぶ意欲にあふれた新入生当時の思いをこの機会に思い起こされてはいかがでしょうか。それとも、「起業」当初の意欲にあふれたご自身、親から引き継いで代表になり気持ちのたかぶった当時の自分を思い起こされてはいかがでしょうか。 さて、企業の代表者である皆さんは、自社をどのような会社にしたいという思いはあるのではないでしょうか。食べていければそれでいいと思っている代表者は、いないと信じています。どなたも、自社が『社会的に認められて、儲かる会社でありたい』と思っていると信じています。例を挙げるならば、「会社の利益を1000万円、代表者自身の役員給料も年1000万円には最低限したいな」というものです。ところが現状、「利益は出ていない、役員給料は、600万円しかとれていない」としましょう。そのような会社は、『社会的に認められていない儲からない会社』と言って過言ではないと思います。このギャップを埋めるためには何をしなければいけないですか? その「ギャップ解消方法を考え、実行に向けて組織を動かす」のが管理者の仕事であり、経営者の仕事であると思います。中小企業の場合は、現場の仕事を代表者が自らやる必要もあるかもしれませんが、それに没頭しすぎてはいけません。代表者は、日々の業務に追われない環境に自らを置くようにしていくべきです。大所高所より会社を見て、方向性を決めるのが経営者です。現場仕事に没頭しすぎていては、本来経営者が行うべき仕事ができないのではないかと思います。今は、現場仕事を数多くやっているが、それを部下に委ねていくようにしないと組織的な仕事ができません。企業の成長発展がもたらされません。 ですから、会社を大きく強い会社にしていくには、次の点を考えるべきです。 代表は、代表しかできないか代表がやるべき仕事のみをやりましょう。 代表しかできない仕事ばかりの場合は、仕事ができる部下を作りましょう。 仕事ができる部下に、代表がやっている仕事を任せましょう。 代表は、常に会社の経営成績や資金繰りを把握しておきましょう。 代表は、この会社で、何をなし遂げるかという「目的」、「ビジョン」を作り、公表しましょう。
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