コラム

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国内便ANAがやっぱり好きだな。
国際線で面倒だと思うのは、入国審査があって、手荷物検査が厳しいことです。また、日本語が通じないこともあることですね。空港のチェックインを2時間前に済ませなければならないことも、海外旅行に出かけたくなくなる要因なのではないでしょうか。もちろん、飛行時間も韓国以外は長いので、窮屈な思いをしなければなりませんしね。トイレを我慢するのも限界で、機内の狭いトイレで用を足さないといけません。当たり前のことでしょうけど、パスポートを常時携帯しなければならず、たびたび提示する必要があったりします。 これらを乗り越えてまで、海外旅行に出かける価値はあるのだろうかとも思わされたのが、先日行った北海道へのフライトでした。 やはり、手軽な国内旅行。空港には1時間前に着いていればよいのがうれしいことです。手荷物検査、荷物預けが終われば、すぐに飛行機に乗り込めるぐらいに待ち時間なく行けるのは、ありがたいものであるし。日本国内程度の飛行だと、さほどトイレを意識する必要もないのではと思います。何より、客室乗務員が、ほぼ日本人であることでしょう。言葉が使い慣れた日本語であるというのは、本当に気分をらくにしてくれるものです。 さらに、その航空機がANAとなると、なんとなくさらに安心感があると思うのは私だけでしょうか。あの青空色を基調にしたロゴマーク、落ち着いた機内デザインも、自分の心を安堵させるものです。機内の席の前にあるポケットにイヤホンを入れずに、乗務員がイヤホンを必要な人に配るというのは、良い工夫だなあと思いました。イヤホンを必要とせず、自身のスマホで音楽を聴いたり、映像を見たりする人もいるだろうから。そして、飴を希望者に配っていましたが、これもコストはさほどかからないけれど、良い工夫だなあと思います。飴をなめていることで、飛行機の上昇下降で発生する気圧の変化が原因の耳の違和感を軽減しやすくなりますね。 セントレアから北海道新千歳空港までは、1時間半程度と、新幹線で言うと、名古屋品川間に近いと思うのですが、あっという間の到着なので、機内では、機内食がなく、ドリンク1杯だけですが、これは特に気になりませんでした。 私にとっては、「ANA」は、なぜか落ち着きを感じさせる、身をゆだねられる存在なのです。これが、ブランドというものでしょうか。「ANA」には、ずっと良いイメージを持たれる会社であり続けてほしいなあと思っています。
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7年ぶりに2泊3日の従業員旅行を7年6月上旬に実施。
当事務所は、2泊3日の従業員旅行を2012年からやり始めました。2012年というと、東日本大震災の翌年だというのもあります。当事務所でいうと、揖斐川町に事務所一本化して2年目。私が代表になって3年目ということです。私が、この事務所に入った2002年より以前は、定期的に北海道に行っていたようなんですが、いつの間にかそれがなくなっていたというのです。古参の職員から、それを復活するのを望む声もあったのです。そこで、3年に一度、遠方に2泊3日の旅行をしようではないかということになりました。 そこで、この2泊3日の旅行を振り返ってみようというのが今回です。 2012年は、当事務所始まって初の海外渡航でした。台湾へという希望が多かったので、台湾になりました。海外のツアーについては、慣れていないので、手配は大手の旅行会社にお任せしました。現地台湾人のガイドさん付きで、案内をしてくれたので、非常に気が楽でした。それなりに、日本語も話せる人で、助かった記憶があります。海外だと現地ガイドが必須だと思います。二泊とも台北に宿泊し、台湾北部の名所を巡る旅でした。 2015年は、九州長崎、福岡を巡る旅でした。2泊3日の宿は、この年より1泊目を温泉宿、2泊目をビジネスマンが宿泊するホテルということにしました。温泉宿で、ツインベッドというのは寂しいと思います。和室が必ずついた大部屋にしています。宿泊は、雲仙温泉でしたが、非常に食事も美味しく、温泉風呂も広くて、目の前にも雲仙地獄が広がる良い宿だったなあと思います。1日目は、長崎市内の観光名所グラバー園などを見て、「軍艦島」に上陸してと、日本の近代化を象徴する場所を見て回り、2日目は「ハウステンボス」観光をして、特急「ハウステンボス」で、博多入り。この回は、貸し切りバスの手配をせず、様々な交通機関で移動したことが特徴だったかなと思います。路線バスに、ジャンボタクシー、通常のタクシー、鉄道、船、飛行機。飛行機以外の手配は、私がやりました。この旅のシミュレーション、行程を決めて、手配するというのが大好きなんです。2日目の夕食は、福岡市内の料理店で食べて、3日目は太宰府天満宮に行って、福岡空港へというルートでした。 2018年、この年は、北海道に行こうと決めていたのですが、直前に地震が発生したので、急遽九州に変更したのです。福岡から入り、由布院の町を巡り、黒川温泉へ。黒川温泉の落ち着いた温泉街、温泉巡りはとても楽しく、馬刺しの食べやすさは感動的だったことを覚えています。2日目は、美しい自然の高千穂峡、阿蘇山を巡り、熊本へ。「熊本城」は、地震の影響で「復興中」でした。2日目の宿は、熊本市内。熊本の街は、意外に大きく発展しているのを覚えています。「くまもん」がなんといっても良いキャラクタだなあと思うのでした。3日目は、酒蔵を見学して、球泉洞を観に行きました。この回は、貸し切りバスを利用。やっぱり、荷物を置いておけるのは楽ですね。バスガイドの名調子もかなり良かったと思うのですが、それを子守歌にして相当寝たような気がします。意外に、バスの中の時間が長かったように思います。熊本駅から小牧空港まで飛んで帰路に就いたのでした。 さて、7年ぶりの2泊3日は、宿泊地は「登別温泉」「札幌」でした。北海道の大きさから言うと、ほんのわずかな区域です。ただ、人の多い地域ですね。私は、北海道は4度目ですのですが、スタッフの多くは、北海道が初めてというものも多く、楽しみにしている職員も多かったように思います。 詳細については、次に譲ります。昨年、息子の受験ということで、自粛していた旅行。その反動で、旅行見聞録が、多くなっていますことをお詫びします。
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初めての韓国 感想2 食事、言語、国民性
いたって平和な雰囲気 ちょうど韓国の大統領選挙も終わりましたが、昨年の「戒厳令」「大統領弾劾裁判」などで、政治的に不安定と思いきや、韓国に行った5月中旬は、観光にも一番良い季節であるということも手伝ってか、ソウルの街中には一切不穏な空気は漂っていませんでした。明洞の商店街、露店はとても活気があり、物騒だとか、不気味とか怖いということは、一切思いませんでした。時に韓国は、「反日」とか言われますが、街中で日本人だから、差別を受けたと感じる瞬間はありません。お金を落としてくれる日本人に対して、嫌なことをして良いことはないでしょうからね。 さて食事処の接客は? 身振り手振りを交えつつ、スタッフは、食べ方を伝えようとするのですが、韓国語しか話せないスタッフさんが多いように思いました。ガイドさんが、店のスタッフとの間に入ってやりとりしていただいた感じがしました。とはいっても、不愛想ということはなく、せわしく動き回っているのが印象的です。ホテルのブッフェでは、テーブルが狭いせいか、食べ終わった皿は、すぐさま片づけてくれるのは気持ちよいです。全般的に、ホテルを除くと、ばたばたと動き回るスタッフさんが多いです。 食事は口に合うのか? これは、人それぞれだとは思うのですが、刺激のある食べ物が多いせいか、胃腸の調子が悪くなってしまいました。なんか、どこもワンパターンな出され方です。団体向けの料理ばかりだからでしょうか、テーブルの上に所狭しと並べられる料理、ちょっとボリュームが多いお店が多いような気がしました。B級グルメの国ということもあるのでしょうかね。こういうのは、若い人たちには良いのかもしれません。それにしても、ホテル周りの食事処は、どこもかしこも「焼肉」だらけ。韓国料理は、日本でも味わえますが、本場の方が確かに美味しいとは思いました。ただし、毎日韓国料理って食べたいとは思わないのです。日本の食生活に慣れてしまっているからでしょうかね。私の主観ですが、まだ台湾の方が口に合うのかなと思います。中国料理の方が、まだなじめます。 食事処の狭さは気になる ソウルは、非常に人口密集地ということもあるからでしょうか。テービルの狭さは気になります。余裕がないです。狭いのに、店員が慌ただしく動き回るので、ゆったり落ち着いて食べるという感じにはなりません。頼むとすぐに応じてくれるスピーディさは良いのでしょうけど、どこもかしこも「狭い」「せわしい」という印象でした。ただし、スターバックスはあわただしさはありません。韓国料理を食べた後には、甘いものが食べたくなります。 日本語は通じない、英語も分かってくれない場合が多い バスガイドさんは、お二人付き添ってもらえましたが、一生懸命にガイドしてくれました。お1人は、久しぶりの日本語ですと言いながら、冗談も交えて、韓国の事、ソウルの事、ホテル内の事、など案内してくれました。懸命にやってくれたのですが、ちょっといそがしい感じの動き、スピーディにと思うのでしょうね。元気さはある反面、落ち着きがないなあと思わされます。そして、バスの運転が荒いのですね。車線変更を頻繁に行いますね。これは、日本のバスでは遭遇したことがありません。あ、日本語を流ちょうに話せるのは、「免税店」店員さんですね。日本人相手に、いろんなものを買わせるためには、日本語磨かないとという感じでしょうか。これは、台湾でも同じでしたね。工場見学をさせていただいたときに、工場の方が、日本語で説明してくれたのですが、ぎこちない日本語でした。仕方がないでしょう。ハングルと日本語、お互いの言語を話せる人は、少数派だろうと思います。 Wi-Fi環境が素晴らしい ホテル内では、スマホが存分に使うことができました。Wi-Fiが非常に快適です。それゆえなのか、紙のガイドマップがないと言われました。地図は、スマホでというのが当たり前なのでしょう。IT、デジタル化は韓国がずっと進んでいるのかと思わされます。 悠長に、デジタル化を納得させながら進める日本と、デジタル化を国策として強制的に進めてきた韓国の違いなのでしょう。 さて、どちらが正解なのか、10年のうちに答えが出るのでしょうか。
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好評の「相続無料相談会」を5月24日(土)に開催しました。
昨年は、4回開催した相続相談会ですが、今年も引き続き土曜日を中心にして開催していきます。 平日は、お仕事の都合などで時間が取れないという方々のために、私どもの知識を活用していただきたいという思いも込めて行っています。 5月24日は、揖斐川町三輪の当事務所内にて実施いたしました。 完全にプライバシーを確保した個室で相談させていただいていますので、周りの目を気にせずにお越しいただけると思います。 当事務所は、車を駐車するスペースを十分に確保して、お客様をお待ちしていますので、気楽にご来場いただけます。 時折、当事務所の場所についてお尋ねいただくことがあります。所在地は、揖斐川町役場西に300mほどの場所であり、道路に沿って所在しているため、 非情に分かりやすい位置にあると思います。「役場南側の道路沿い」で山の方に向かい左側に事務所はあります。 今回のご相談会には、多くの問い合わせ、お申込みをいただきました。「相続」「相続税」に対する世間の関心は強くなっていると感じさせられました。 とはいいますが、本当に事前に対策が必要だと思う方々にご来場いただきたいと思うのが本心です。 どんな人が必ず、相続について「対策」していくべき方ってどんな方なのかをお知らせしましょう。 まず、お子さんがいない方です。 「お客様の相続人は、まずご両親、ご両親がいない場合は、ご兄弟になります」 息子がなくなって、その稼ぎが貯まったから、それをもらってうれしいと思うご両親は少ないのではないでしょうか。相続財産は、やはり年長者から年少者へと引き継がれていくのが自然な流れであると思うのですけど。 それなら、どうしていかなければならないのでしょう。年少者で、あなたの財産を引き継がせたいという人はいますか?いるとするならば、その意思を残していく「遺言書」を作成するのが良いでしょう。 ある方は、「生きている兄弟姉妹」には財産を引き継いでもらいたいと思っていました。ところが、兄弟姉妹のうち亡くなった人がいる場合はどうでしょうか。そうしますと、兄弟姉妹のお子さんたちに、財産が引き継がれることになってしまいます。今までさほど交流がなかった甥や姪に財産を引き継がせるのは不本意なことなのではないかと思います。しかし、何も備えていなければ、ご自身の意思通りの財産の引継ぎができません。こんな時は、特に「遺言書」がその効果を発揮します。 これからは、「生涯結婚しない」という方が、増えていくことが統計調査を見ていると予測されます。50歳を超えて、自分は結婚しないと決めている方も、自分の財産を受け継いでほしい人を決めておくとよいでしょう。その人に財産を受け継いでほしいという意思をのこすのに「遺言書」が良いのです。ぜひ、「行政書士」「税理士」などの専門家に相談していただくことをおススメいたします。 次回は、8月23日午後に大野町総合町民センターに出張して開催する予定です。ぜひ、相続に関して分からないこと、お尋ねください。初めての方のご相談については、無料で受け付けております。もちろん、平日にご相談をお受けすることもできますので、お気軽にお問い合わせください。電話0585-22-5660、担当横山または代表の国枝まで。
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初めて韓国行った感想
5月中旬に、隣国である韓国に行ってきましたので、その感想を記しておこうと思いました。 3日間という限られた中であり、韓国の中でもソウルとその周辺に行っただけあることなど行動範囲もさほど広くなかったのですので、それは違うんじゃないか?と言われる方もおられるでしょう。その点、ご了解いただきたいと思います。あくまで私個人の感想ですので、ご理解ください。 1.やはり近く、身近な韓国 中部国際空港を飛び立って約2時間も経たずにソウルの玄関口の国際空港、仁川国際空港に到着できる手軽さが良いと思います。中部国際空港にいた時間の方がかえって長いんじゃないかというくらいですね。飛行距離で言うと、中部国際空港から北海道の新千歳空港まで行く距離と同じほどの1000キロ未満です。距離だけでなく、韓国のアシアナ航空内の乗務員さんも、日本人と大きくは変わらない容姿(黄色人種)であり、機内でも日本語のアナウンスが聞かれて、仁川国際空港までは異国の感覚は薄い感じです。 2.街中は、ハングル文字の看板だらけ ハングル文字が分からない私にとっては、記号としか思えません。さっぱり何が書いてあるのか分かりません。ハングルだらけの看板を見て、ここは韓国、異国に来たのだと実感します。「英語」の表記すら少ないのです。少ない英語に目がいきます。まだ英語の方が身近だと感じてしまうのは、中学から大学2年まで8年の英語教育のためでしょうか。 3.ソウル市街地の車での交通事情の悪さ ソウル市内は、車で移動するのがとても不便に思えました。非常に多い一方通行、目的地に直線的に行けない道路網になっているかのようです。あまりにソウル市街地への集中がひどいためか、ホテル前や繁華街前でのバスの乗り降りは非常に余裕がない感じはしました。これは、日本の大都市、台湾でもあることでしょう。地下鉄がソウルにはあるようなので、地下鉄で移動するならスムーズな移動ができるのかもしれませんが、今回は乗車していません。同じ団体で、タクシーを使った人がおられましたが、非常に安かったと言っていました。タクシーについては、日本が高すぎるのではないかと思えます。 4.物価については、高いとは感じなかった 最近、海外旅行に行くと外食費がとても高いということを聞かされます。しかし、ソウル市内のコンビニ、セブンイレブンで売っている飲料は、日本とほぼ変わらない値段、100円以上200円以下でミネラルウオーターを売っていました。おにぎりも150円前後であったと思います。お菓子も、日本と同じ「オレオ、おっとっと」も売っていましたが、高い感じはしませんでした。日本でも人気のスターバックスのドリンク、これもさほど値段は変わらないと思いました。 5.日本の快適さとほぼ変わらない高速道路のサービスエリア トイレは、十分にきれいに掃除されており、トイレットペーパーは、備えられていました。手洗い場も清潔で、安心して使えるというイメージでした。おみやげ物もあるし、ファーストフードも売っているのですが、タコ焼きまでもありましたので、日本のサービスエリアと比べても何ら変わらないという感じでした。 6.高速道路の車線数の多さ 大都市間を結ぶメインの高速道路の車線数は、片側5車線。うち1車線は、乗合自動車専用というのは、すごい。おかげで、バスは混雑する一般路線を尻目にスムーズに動けるというシステム。日本だと一般道路にバス専用レーンというのはあるが、高速道路にはなかったと思います。ただ、バスの運転の荒さには、気分が悪くなってしまいました。急な車線変更を頻繁に行うのです。カーブをスピードを落とさずに通るのです。全般的に、せっかちな運転をする国民性が影響しているのかもしれません。あと路面状態は、日本よりも良くないこともあるかもしれません。 7.林立するマンション群 ソウル近郊の高速道路からは、数多のマンション群が所狭しと立ち並んでいるのが見られます。マンションは、さほど新しいものが多くなく建築後20年から40年ほどのものが多いのではないかと思われました。日本のマンションと違って、ベランダが付いていないのに目がいきました。東京都の場合だと、ある程度都心部から外れると、一戸建てが増えてくると思うのですが、ソウルですと、途切れることがなくマンションが立ち並ぶ地域が続くのです。これを見ると、ソウルは世界でも有数の人口密集地というのがわかると思いました。 ある程度長くなってきましたから、次のコラムに「国民性」「食事」「デジタル化」などは譲りたいと思います。
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大学生までに海外に行こう
5月中旬、コロナ禍以降初めての海外旅行に行きました。私の海外渡航経験など、さほど多くありません。今回で6度目です。その中で、一番近いのが、今回の韓国です。韓国は、地図上でも近く見えますが、実際、飛行機で行っても2時間程度なので、近くてすぐ行ける国であると実感できました。 隣国、近くとは言っても、海外なのです。公用語は、韓国語であり、韓国語しか通用しない人も多いのです。街中での表記は、「ハングル」だらけで、漢字表記などありません。ところが、宿泊したホテル客室内の表記は、韓国語と「英語」の表示がほとんどです。一部に、日本語が書いてあるのも、その室内にありましたが、日本語メニューがありません。 そんなときに、英語をじっくり読もうとできるかどうかではないでしょうか。私は、英語であれば、読む気になれば読みます。地球環境保護のためにとか題された文書、比較的易しい英語で記載されていたので、その意味は手に取るように分かりました。「地球環境保護のために、原則として連泊の場合はシーツの取替えを行ってません、もし必要であるならば、この紙を枕元に置いてください」「タオル等の消耗品の取替えは、原則的には行いませんが、タオルの交換を希望される場合は床にタオルを置いてください」「その他消耗品補充の希望がある場合は、フロントまでご連絡を」特段、英語の辞書を用いずに理解できたのです。 私は、英語が日常的に必要ない環境で生活しています。このため、英語を勉強したり、話したり、書いたりなどはしません。英語が聞き取れて、読むことができて生活が著しく良くなるということもありません。しかし、通訳なしで英語で話されていることが理解出来たらいいなあと思います。 実は、私は高校1年生の夏休みに、イギリスに語学研修に行ったことがあるのです。イギリスの一般家庭の中にホームステイさせていただきながらですので、何か意思表示するのに、片言の英語を使わざるをえません。せっかくのイギリスなので、いろんな観光地を巡りたい、本場ヨーロッパの音楽も聴きたいとなると、その情報を集めなければなりません。その情報は、当時は冊子でした。冊子を広げて、そこへのアクセス方法を調べてと、怖いものなしによく出かけたものだと思います。失敗もしましたが、良い経験でした。もちろん、その冊子、雑誌などは英語だらけです。それを読まなければ、たどり着きません。当時は、インターネットなど存在しなかったので、英語と完全に向き合わないといけない空間でした。 若いころに体験したことは、やはり後々大いに生かせると思います。英語を苦も無く読もうとできるのは、高校一年の時の、海外研修が生きているのだと思います。名古屋大学が、海外留学をおススメしてくるのは非常に理解できるところです。そう、インターネットで、世界が身近でも、やはり現地に行き、現地の人と話すことが大事で、その経験は人生に大いに生きてくると思いますから。妻も、若いころの何度も海外に行っているので、外国人に向かい合う度胸はあるなあと思います。
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「祭り」は、同窓会のようなもの!?
5月というと、私にとっては幼少期からずっと「いび祭り」なのです。 揖斐川町の商業の中心地である「揖斐地区」(揖斐小学校校区)の中心地域の祭りで、揖斐っ子の、こどもの日のお楽しみが、このいび祭りであったと言っても言い過ぎではないでしょう。すでに私が揖斐小学校を卒業してから40年以上の歳月が経ちましたが、この40年で、大きく商店街の様相も変わってしまいました。もともと、私は実家は、この揖斐地区の商店街ど真ん中にあり、間口が短く、奥行きに長い「ウナギの寝床」のような家でした。お隣の家とも距離がなく、くっついていて、隣の叫び声が、うちにも聞こえてくるような環境でした。 お隣には、同級生の女子Mさんが、住んでいて、一緒に登校したり、遊びもしたものでした。その、Mさんと40年ぶりに長く話すことができました。きっかけは、Mさんが、話しかけてくれたことでした。子育ても、ようやく終盤戦(うちは、末っ子大学生、Mさんは高校生)ということで、気持ちにも余裕が生まれたのでしょうね。一緒に小学校の頃の思い出を語り合いました。Mさんとは、45年前にいび祭りの子ども歌舞伎で、夫と妻の役だったのです。 私は、主役である赤穂浪士・潮田又之丞、Mさんは連れ添う女房のお浪。潮田は、眼病を患っており、夜になると目が見えなくなる。そんな夫の目をわが子の命を引き換えにしてでも治す妻の献身さを物語るものでした。全部で6人が、出演したのですが、いまだにその役と誰が演じたのかは覚えています。厳しい師匠だったなあというのが、Mさんとの共通認識で、私は、「こんな難しいこと、ようやらん」という心境で、数回泣きました。練習では、槍を右手から空中に放り投げて、左で受け止めるという動作を毎度失敗して、槍を床に転がしていたのですが、本番では、一度も落とさずに務められたのが誇りでした。歌舞伎冒頭のセリフについても、覚えているのです。まさに九九や「春はあけぼの」のように。完全に記憶しているのです。 Mさんとの会話、「5つの車山で上町の車山が一番かっこいいって、誇りに思っていたでしょ。車山のうえにある三日月があるから」「このあたりみんないろんな商店がいっぱいあって、賑やかやったんやよね」と。うんうん、と頷き懐かしみあうと、私もMさんも、目がウルウル。今は、昔在りし日をともに思い浮かべて、流す涙。小学校時代(昭和50年頃)へとまたタイムスリップしていけたら、どれほど癒されるだろうなあ。あの当時は、同じ町内で20人上の小学生がいて、月に1度、子供会というのをやっていたのですが、今だとこの町内は小学生は指の数ほどです。 現在、私の家は中心市街地から離れた場所。しかし、45年前の思い出は、永久に失われません。そんな思いに引き寄せられて、祭りを機会にいびの祭りにやってくる、そんな人たちも多いのではないでしょうか。祭りは、「同窓会」のようなもの、というのは誰かが言った言葉ですが、その通りであると思わされます。
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待ち望んだキャッシュレス乗車に一歩前進した養老鉄道
養老鉄道、地域の足となるローカル鉄道ですね。普段の朝早くは大勢の高校生が乗る鉄道です。私も、私の息子たちも、この電車の始発駅揖斐駅から大垣駅まで乗車して通学しました。高校生当時の車両は、すべて冷房などついておらず、ただ天井の扇風機が回る夏仕様であったと思います。この猛暑、酷暑が当たり前となった現代に扇風機だけならば、倒れる人も多く出ただろうなあと思います。幸い、現在となっては、冷暖房完備は当たり前の車内になりました。快適になったものだと思います。 ただ、自家用車へのシフトも著しく、「少子化」も影響して、乗車数はずっと減少してきたのではないでしょうか。沿線自治体の補助がなければ、存続は大変厳しいところでしょう。沿線自治体の取り組みとして、養老鉄道の利用促進を訴えたり、パークアンドライドのために駅前駐車場の整備をしてきました。鉄道会社側の取り組みは、東京から中古車両を導入したり、発射案内が、LED化されたり、待合室の快適さを向上させたりしていました。ところが、キャッシュレスが普及してきても、定期券購入はキャッシュレスでできるようになっていても、片道乗車券は、券売機で硬貨、紙幣を入れて購入しなければなりませんでした。これが、私にとっては面倒くさくて、養老鉄道に乗車するハードルを上げるものでした。 ところがようやく、キャッシュレスに対応した券売機に取り換えてくれたことを3月に知りました。財布をバッグより取り出して、硬貨を取り出すわずらわしさから解放され、スマホの交通系タッチ決済にも対応しました。しかも、片道乗車券のみならず、往復乗車券購入、回数券購入もできるように改善されていました。往復乗車券を買っていれば、帰りに大垣の券売機に立ち寄らずにすみますからね。利便性を格段に上げてくれたなあと感じました。 惜しまれるのが、乗車時の激しい縦揺れです。高校生の時には、椅子から飛び上がるような揺れはなかったように思うのですが。経年劣化でしょうかね。揖斐駅から大垣駅まで約25分、これは我慢できない時間ではないでしょう。駅から近い商店、飲食店が目的地ならば、自家用車で行くよりも私は気楽だと思いますね。とりわけ、朝夕の交通渋滞の中で、岐阜、名古屋方面に通勤するのはストレスですから。健常者であれば、一宮から名古屋の間の混雑以外は、「耐えがたい辛さ」とは思わないのでは。 そして、何より自家用車でなく、公共交通で移動する最大のメリットは、運動不足を解消できることだと思います。自家用車で通勤者がほとんどの当事務所は、運動不足になるメンバーが多数います。私も、時間に追われる毎日を送る結果、車で動きすぎて、運土不足になったのが、「脳血管疾患」となった一つの要因だったと思います。「焦ることなく」公共交通を使う、自分の足を使って歩くという習慣をつけようと思います。 郊外の広い道路、広い駐車場は別に苦にならないのですが、都会の駐車場を探しつつ運転することの危険性を思うと、気持ちに余裕をもって、公共交通を使うというのが、一番健康に良いことでしょう。私にとって、キャッシュレス拡大は、公共交通を利用するインセンティブとなります。「キャッシュレス化」をすすめていただいた養老鉄道にまずは、感謝ですね。