コラム

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11月は、「旅行」の季節①姫路までの旅行記
景気対策として行われている「全国旅割」。この2年以上のコロナ禍で、数多くの人々が移動を控えてきたことでしょう。当事務所においても、一昨年、昨年と従業員旅行は自粛しました。ようやく待ちに待った従業員旅行も、自粛するべきというムードも収まってきたということもあり、今年はちょうど「事務所創立50年」という節目の年ということもあり、従業員旅行を決行することにしました。50周年ということで、大型旅行を企画したいと思っていたのですが、控えめに1泊2日ということになりました。11月は、暑くなく、寒すぎることもなく旅にはうってつけの季節であると私は思います。もちろん、日中が短いのが難というのもありますので、それは違うといわれる方もいらっしゃるでしょう。 今回は姫路での宿泊をメインにしたほぼ兵庫県の大都市をめぐる旅のような予定となりました。 1日目は、やや長いバスでの移動時間がありました。休憩で立ち寄った宝塚北サービスエリアがなんともおしゃれ。まさに「宝塚」カラーに染まったサービスエリア、トイレがこれまた最新で快適なのが印象的でした。姫路に到着する前に、バスに異常が発生。異常を知らせるランプが点灯したということで、別のパーキングエリアで臨時で停車して異常の箇所がないか丁寧に営業所と連絡しながら調べる運転手。途中、乗客の私たちに丁寧に現状を冷静に時にはユーモアを交えながら知らせる運転手には、まさしくプロであるなあと感心させられました。名阪近鉄バスさんは、本当に良い運転手が所属されているのだなあと。トラブルで、予定から30分以上遅れて、最初の目的地「灘菊酒造」に到着しました。いつもは遅くなるとイライラするのに、全くイライラしなかったのは、運転手さんの的確なトラブル対処を間近で見聞したからでしょう。運転手のいわゆる神対応に感激させられていました。 「灘菊酒造」の歴史ある建物群。歴史ある酒蔵を感じさせられます。昼食場所は、2階。この古い建物には、エレベータはついておらず、趣のある古い階段を古いスリッパを履いてのぼることになりました。「城」の階段も急であるけれど、この酒蔵の食事処への階段もずいぶんと急であり、高齢のお客さんも多いだろうから、しっかりとした手すりが取り付けられていました。食事の内容は、普通の和定食という感じ、団体客には使いやすいとても広い食事処でした。残念ながら、私は下戸でありますので、飲めませんので、アルコール分を飛ばした甘酒をいただきましたが、嫌なにおいがせず芳醇な香りに味わい。家でまた飲みたいと買っていくことにしました。やはり、商売上手な酒屋さんです。思わず買いたくなる仕掛けが盛りだくさん。酒好きな父への土産はこちらで買うことに。1万円以上買うと送料が無料、これも購買意欲をかきたてますね。
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けやきパートナーズの1年目終了!
私ども「けやきパートナーズ」は、11月1日にスタートしました。心機一転「けやきパートナーズ」に名称を変更してからちょうど1年が経過しました。 この1年は、名称の変更にあたり、数多くの方々に新名称をアピールしてきましたが、「清新でいいイメージだね」と言われることが多いです。 まだまだ旧名称「いび会計センター」というのが頭に残っておられる方も多く、「いび会計」とか「会計センター」と言われる時も頻繁にあります。 「けやきパートナーズ」を略して「けやき」と呼んでいただけるときもありますが、「木材」のイメージがあればよいのではないかと思います。 けやきは、揖斐川町の町の木であります。最近は、町が建設する建築物には多くの木材が使われており、「木材」が再評価されている時代であります。 先代が建てた現社屋一部三階建ては、鉄筋コンクリート造、平成22年に建てられた増築部分は、木造。時代の流れに沿っていると思っています。 この1年、数多くの職員の入退社があり、人員が数多く入れ替わっていきました。しかし、「経営理念」は不変です。 「経営者の良き永続的なパートナーとなる」と毎朝唱和して、業務を始めています。口だけでなく、実際の行動で示すことを徹底していくことが大事であると思っています。
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映画「ふるさと」上映会
10月27日に行われた映画「おふるさと」。本当に心に染み入る名作であると思いました。 中学の頃に学校で鑑賞した映画「ふるさと」。記憶に残る映画でしたが、その上映40年というので、再度上映を このふるさとの舞台である揖斐川町で行うということで、その趣旨に賛同して、実行委員に加わらせていただきました。 ダムの底に沈む「徳山」を舞台にするこの映画。40歳以下にの方たちには、以前存在した徳山のことは、知らない人もいるだろう、 徳山があったころの美しい自然や、地元商店の存在なを知ってもらいたいという思いに共感させていただきました。 揖斐川のほとんど人が足を踏み入れないような辺境地の映像。実に川の流れが美しい。心現れるような清い流れに目を奪われます。 ゆきそれは、中学生時代になかった感覚でした。「あまご」の釣れる清流、ひょっとして、ダムによってそんな自然を破壊してしまっていたのかなあとも思えました。 今となって、ダムが必要だ不要だという議論は、仕方ないと思いますが、あんなに美しい手つかずの自然が失われるのは惜しいことでもあります。 認知症の始まったじいさんと、少年が心を通わせ、認知が一時的に治ったような。自然と、少年がじいさんを一時的によみがえらせたのかとも解釈できます。 じいさん役の加藤嘉氏、その息子の長門裕之氏、その嫁役の樫山文枝氏の熱のこもった演技、地元の当時の少年少女たち、熱演でした。 最後の「ふるさと」の合唱、「YMCA」が懐かしすぎて、目頭があつくなりました。 当日は、神山監督の講演もあり、この映画はモスクワ映画祭で大喝采を浴びた思い出の映画であるという紹介がありました。 全日の監督との懇親会では、同映画が公開されたのは、「E・T」が大ヒットした年と同じであったとのことでしたが、「ふるさと」は、岐阜県では大人気で、E・Tをしのぐほどでもあったということでした。 当日の入場者数は、おおむね2度の上映で800名。上映を心待ちにしているん年配方が多く、「よくこんな機会をつくってくれた」との喜びの声がいっぱいあがりました。 原作者である平方さんも、会場に来られていて、原作者のファンも新刊書サイン会に列を作る盛況でした。 揖斐川町を舞台にした、「ふるさと」。これからも、長く愛されるといいなあと思います。 私は、監督、原作者がそろって来場される貴重な機会に立ち会えたことがうれしく思いました。お2人とも80歳を超えられていているので。当時は、お2人は、40歳代という働きざかりだったんのだなあと。当時の写真、神山監督、石原裕次郎に似てました。ご本人の言われる通りで、驚きでした。
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名古屋の街中を歩いてみた
10月25日、名古屋の街の中心街を貫く「広小路通り」を歩いてみました。 時には、都市を歩くのも楽しいものです。 昼は、街路樹の美しさを楽しんだり、店舗の外側のディスプレイを楽しんだり、伝統的西洋建築を味わったり。 秋の落ち葉が散る中、以前ホテルであったところが空きビルになっているのを見たり、ホテル名が変わっていたり、 リニューアル工事中なのかホテルが営業していなかったりすると、寂しいなあという気持ちにもなりました。 栄えていたもののが、いつまでもそこにあるわけではなく、「永遠の命」が吹き込まれるものばかりでなく、 衰えていくものもあるなあと。 なんか最近の日本の凋落ぶりを見るようだなあとか思ったりもしました。 しかし、いや、そういうわけではないよというTKC飯塚社長の話がありました。 東日本大震災後の2013年から比較するに、日本は高い成長率ではないが、成長しているのだと。 2013年からしばらくは自民党の安倍政権であったのですが、そのような稀有な業績のあった元首相が凶弾に倒れるという事態に対し、 岸田政権は、国葬を執り行ったというのは、正しい判断であると私は思います。これほどまでに世界の中の日本の地位を上げてくれた首相はいただろうか という気持ちであります。 名古屋の目抜き通り「広小路通り」の歩道の美しいこと、歩きやすいこと、通り沿いの店舗も、ふっと入っていきたくなるような魅力を持っているように思います。 安全に景色を眺めながら、都市を散策できるというのは、なんてありがたいことか、日本の良さを感じたひとときでした。 秋になると、早くに日が暮れてきます。夜の広小路は、街路灯のデザインの良さが際立っています。 夜は、危険という都市も多い中、安全に歩けるありがたさをかみしめて歩きました。 やはり日本は、もっと世界から多くの人たちに来てもらいたいなあと。円安は、海外客にとっては大変なメリットですからね。
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3年ぶりの現地開催!!税理士会の『公開研究討論会』に参加して
日税連(日本税理士会連合会)主催、東京税理士会共催の公開研究討論会に10月7日現地にて参加してきました。 一昨年は、コロナのため中止。昨年は、コロナ禍の中リモート開催となりましたので、会場での開催は、3年ぶりということになりました。 3年ぶりに会場開催ができたということで、会場である京王プラザホテルは、かなり「密」の状態。前後左右のあけ方も十分とは言えず、詰め込みすぎなのではないかというくらいでした。それほど、会員の期待感が高かったのではないでしょうか。私も、胸を躍らせて参加させていただきました。「満員御礼」ともいうべき入りで、拍子木によって開始を告げるという粋な演出に驚きました。木を打ち鳴らす音がも耳に大変に心地よく高揚感をますますかきたててくれるものでした。そして、東京都知事の小池百合子さんの来賓でのあいさつもあり、やはりこの討論会が特別であることをより印象付けるものになりました。発表者の熱のこもった討論に、総時間4時間程度でしたが、聞き入らせていただきました。時に著名人からの映像あり、音楽あり、事前のアンケート結果の発表ありと、聴き手に対して分かりやすくプレゼンテーションを行おうとする意識がよく感じられたものでした。それぞれの「提言」は、思い切りの良いものであり、その理由付けについても、ある程度の説得力があるもので、うんうんと頭を振りながら聴いておりました。 私は、名古屋会の調査研究部部員として6年間在籍したので、討論会に参加したのはこれで、5回目でした。うち、名古屋では、会員の前で発表者として登壇させていただき、本当に思い出に残っています。本番だけではないのです。長い期間、おおむね3年近くもかけて研究されて発表されているのですから、そのご努力に心から敬意を表さないといけません。 6年の長きにわたって私は調査研究部に在籍していましたので、名古屋会での知り合いになった会員も多くおみかけしました。「久しぶりに」顔を合わせるうれしさがありますね。行き帰りの新幹線の車内も、混雑度が高くなってきたようなふうにも感じられ、長かったコロナによる制限も明けてきつつあるようにも思えました。 せっかく3連休前に東京に行ったのだから、他の地域を周遊されてこられた会員もおられたようです。この「討論会」を起点に旅される会員もいますね。そのよう旅を後ろめたい気持ちなくできるときがやってくることを切に願います。 この討論会に参加すると、「税理士であってよかった」と心底思えます。日本が、「税制」を通じていかに良い国になれるのか、真剣に考えておられる同志がこれほどたくさん一堂に会して考える機会を持てるのは大変有意義なことであると思っています。
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プロ野球のレギュラーシーズンが終了して
去年に引き続きの熱い戦いが繰り広げられました。とりわけパリーグの首位争いはすさまじかったですね。 私は、野球は観るのが専門になってしまいましたが、野球ファンには、今年もたまらなく面白いシーズンだったと思います。 コロナ三年目で、入場制限もほぼ解除されて、観客席にも人が多くなりました。やはり、人は見られることによって、 発奮したり、意気に感じたりするものですよね。特にプロの世界というのは、そうなのではないでしょうか。 パリーグは、最終戦までもつれて、しかも2チームが全く同成績で並び、両チームの対戦成績で、優勝チームが決定されるという 今までに体験したことのない僅差でした。しかも、誰もがソフトバンクが優勢なのではと思われたところを、大逆転でのオリックス勝利というのは、 やはり可能性があるならば最後まであきらめないのが肝心であるということを教えてくれます。 かくいう私は、イチロー選手が日本球界最多210安打を放ったシーズンからオリックスをずっと応援してきたのであまりにも嬉しいのです。 地元の中日ドラゴンズについては、「地元」であるから応援はしているのですが、いかんせん落合監督のあとがさえない成績すぎて力が入りません。 ソフトバンクホークスの選手、悔し涙を流していた選手もいましたね。白黒のつく世界の恐ろしさでしょうか、その悔しさをバネに、より技術パワーがありプロの技に磨きを かけていったらよいのではないでしょうか。 私たちも、その道のプロです。プロは、誤りがあれば、非難され、たたかれ、あるいは「損害賠償」ということにもなります。 専門性を高める、人間的に魅力あるように思ってもらう(ファンになってもらう)という観点が、私たちにも必要なのではないでしょうか。
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防災意識をもって生活を。
この地方では、台風14号での大きな傷もなく通り過ぎていきました。 相当強い警戒が必要であるような報道がなされていましたが、私の家では、宅配された新聞が吹き飛ばされるといった程度で済みました。 毎週のスピーチで、スタッフから防災に対する心構えの話がありました。自宅の災害に対するリスクには、何があるのだろうか考えようということでありました。 当事務所では、約5年前に太陽光発電のパネルが吹き飛ばされるという事故が起こりました。その時の突風のすさまじさは、まだ記憶に新しいところです。 通行する車や人に当たらなかったのが偶然であったのか。もし、当たっていたらと考えると恐ろしくなります。 防災意識は、常に持っていなければいけないなあと感じる台風の通過でした。
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叔母の通夜に思う
私にとっては、祖母以来の近親者の他界でありました。私の母の兄の奥様が80歳で天に召されました。 最近では、結婚の時しか会うことがなかった叔母でしたけれど、一つ大きな思い出があります。 高校3年生の夏休みの時、叔父叔母の住む家に2週間泊まらせていただいのです。 大学受験勉強のため、名古屋の代ゼミ夏期講座を受講したのですが、揖斐から毎日通うのは効率が悪く、 夏期講座受講のために一宮の叔父の家に滞在して通学しました。 今考えるとよく受け入れてくださったなあという思いです。 朝夕の食事を出していただき、ふとんの用意もしてもらって、風呂も入らせていただいて。 通夜の当日、葬儀場に両親と一緒に出向くと、従妹が笑顔で迎えてくれました。その声やしゃべる言葉を聞くと まさしく叔母さんだあと思ってしまいました。私の名前を呼ぶ「むねくん」と発する声のトーン、話し方が似ているなあと。 そして従妹二人の子供とご主人たち。数回しか会っていないのですが、見覚えがあるご主人二人。 その子供たち4人は、ほとんど見覚えがないのです。一番年上の子は22歳であったのですが、この一族にないような身長の高さ(185センチ)に皆一様に驚いていました。 でも、20年近く前に会った時の面影が、あの幼き時の顔の感じは変わっていないのです。 従妹たちも、50歳前後。ともに遊んだ時から40年程度。 懐かしい思いが強くなるひとときを過ごさせていただいたように思います。