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伯父の死に接し思うこと

私の伯父が先日天に召されていきました。配偶者である伯母の死を見届けてからわずかに1年でした。1年ほど前、伯父さんの辛そうな表情を見て、母が「お兄ちゃん、しっかりしてよ」と声をかけていたのが、つい先日だったような気がします。従姉妹からは、「早かったなあ」という声が聞かれました。83歳でした。世間の平均から見ると早いのかな、人一倍健康に気を遣っていたのにって。伯父は、一宮に住んでいたので、「一宮のおじさん」と呼んでいました。大人になってからはあまり会う機会もなかったのですが、いつも意識していました。なぜか?自分の顔が徐々に伯父さんに似てきたからです。伯父は、若いころから頭髪が薄かったのですが、私も40代50代と年が経つごとに、徐々に抜けていきました。もともと目が細いところなども似ていたので、ああ自分もこの伯父のようになっていくのかなあと。職業は伯父はサラリーマンでありましたけれど、出身大学が私と同じなのです。「中央の法科」というのを、母が自慢げに語っていました。葬儀式場にて従妹たちに聞き取りをして作成されたと思われる「娘からの手紙」の中身を見ると、やはり私はこちらの血も引いているのであるなあと思わせてくれたのです。「旅行するのが好きで、私たちをよく旅行に連れて行ってくれました」とか「やると決めたことは、すぐにやらないと気がすまない性分」であったとか、それって私ではないかと思うくらい。家族を引っ張って旅行に連れて行っていた以前の自分を思い起こさせるものでした。

長男はどちらかというと母親に似ると言われていますが、あまり似ていると言われない創業者の父親と比較すると、圧倒的に私も母親に似ていると言われ続けてきました。そのお兄さんであるので、よく似ていて当然なのでしょう。棺桶の窓が開けられて、伯父の死んだ顔を見るに、自分も30年後くらいには、このようになるのかなあと想像してしまいます。高校以上に大きくなった孫にも囲まれて旅立たれた生涯は、悔いはなかったであろうなあと想像します。死の瞬間がいつ来るかが分からないので、人生は荒波の中を行く航海にようにも思えます。平穏な海を漕ぎ出すイメージではありません。荒波を何度も超えていくという覚悟をもって人生を歩んでいきたい。そして、我が人生に、一点の悔いもなしと高らかに宣言できるように生き方を見つめなおす。そのきっかけを与えてくれる伯父の死であったなあと思います。

伯父との思い出というと、おじさんの家から、電車に乗って名古屋駅まで一緒に行ったことでしょうか。高校3年生の時の夏休みに、大学予備校に2週間だけ通った際に、私にしてくてくれたことでした。満員電車の中で、伯父さんと一緒に行った名古屋、だから安心して受験勉強ができたのかもしれません。一宮のおじさん、ありがとう!安らかにお眠りください!