コラム

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「徳山ブルース」に出演しました
熱狂のうちに閉幕したようなそんな印象でした。10月28日、29日の両日、揖斐川町地域交流センターはなもも大ホールにて上演された市民参加型オペラに出演させていただきました。ステージ上に立つのは今年の2月以来、オペラのようなものに出演するのは、結婚前年以来のこと。四半世紀ぶりの参加でした。 昔からなじみの脚本家でもあり豆腐屋社長の弓削氏に依頼されて、どちらかと言うと渋々承諾したのがはじまりでした。去年映画「ふるさと」が上映されましたが、それに引き続き、ダムの底に沈んでしまった「徳山」に思いを馳せてみようではないかというイベントでありました。オペラというと、歌は当然ある、セリフもある、動作も結構あるということで、動作についても不安視していたのですが、脚本を書いた弓削氏は、「動きがない役だ」「そんなに出番は長くない」と。イベントの1年以上も前から声をかけられたのを覚えています。私しかいないと言われたのです。楽譜渡されましたが、難しい音符ではないですが、当たり前に歌詞もある。さらに手本となるような、真似できるような音源は創作オペラですからないというところで、役柄がつかみにくくて。私の役は、民衆に対して「自然を壊すな」「自然と共生するのだ」と忠告する神の役!出番は短くステージ上に2分から3分。まさにチョイ役という感じでした。もちろん、暗譜しなければならない!なんか、以前より覚えが悪くあったなあと思いながら、家でも空き時間でも、歌詞を覚えようと頑張りました。なぜ、頭にはいたないのだろうと悪戦苦闘しながら稽古を開始したのは4月からであったのに、ようやくぎりぎりの10月になって覚えられたのです。 本番、「着ぐるみ」を着て歌うかのような衣装で、歩きにくいので、ステージの裏方さんに、衣装の一部を持ち上げていただきつつ階段を上り下りすること10回以上ありました。階段を上るにつれて本番で声を出す瞬間に近づいていくドキドキ感を味わうことになりました。階段の上に着いてからしばらく待機して、実際に歌う位置に移動するのですが、裏方さんの手が、かかっていたので、なんか落ち着くなあという感じがしました。なんというか不安感が減っていくといいますか、人間の熱の持つパワーというものはすごいですね。「着ぐるみ」のような衣装でみなさんに暑いでしょう?と聞かれました。以前の自分であれば、暑かったかもしれません、太めでしたので。しかし、体重が減った今となっては、10月下旬というさほど暑くない季節でしたので、かえってその「ぬくとい感覚」は、精神を落ち着かせるのに十分であったように思います。途中、出番がない時はうとうとと眠くなったり。ステージ上以外では、リラックスモードで、アルファ派が発生しているような感覚でした。ただし、ステージ上の私が歌う位置はかなり高い位置でした。人間2人分近いくらいの高さはあったでしょうか。怖さのために足がすくんでしまい、頭の中で、「安全確保」モードが発令していたようでした。 ほとんど舞台袖で聞いていた身としては、本当に心地の良い音楽がたっぷりで、とりわけ生の管弦楽の演奏付きで聴ける幸せ、すごく楽しい編曲とともに味わえました。ソプラノの高井さんの歌声が素敵、灰塚さんの力強い声の威力もすごいなあとか感じながら。カーテンコールの行進曲調に編まれたメインテーマに乗りつつステージ上を闊歩するのは気分が良かったですねえ。やや奥まったところにいたので割れんばかりの拍手には思いませんでしたけど、2度のカーテンコールで、観客に1人で頭を下げるのも気持ちよさがありました。そこがまた、ステージ上の醍醐味でしょう。「山の神」という特別な役だから、群れて礼は似合わないですからね。 終演後、お客様の見送り。これが一番泣けました。多くの人から、良かったよ!感動した!満足できた、うまかったという声をかけてもらえるのです。「久しぶりに芸術を見せてもらえてよかった」という男性、私となぜか記念撮影したがりまして、撮影しました。あの衣装、さほど重いわけではないですが、制作いただいたご近所の方、非常にステージが気に入られ満足気でうれしくて泣かれてました。私も、それにもらい泣きでした。 多くの人が一つの作品を作り上げる、総合的な芸術品であるオペラって素晴らしい!人々を笑顔にさせる芸術、平和であるからこそ、このような芸術が楽しめるのですよね。一番忙しく駆け回っておられたのが、演出の「なみ先生」であったと思います。練習の際は、ここは、こういう思いで演じてほしいというのがはっきりと打ち出される指導でしたね、声のメリハリも大事なことであると強調されつつ、「演ずる」とは、こういうものだということを素人にも分かりやすく説明いただけたと思う。弓削氏の脚本は、ユニークさ、ご当地方言の活かし方、詩的な味わいを含めて何度も読むほどその良さが身体に染み入ってくる感じがしました。舞台が大昔のことでも、架空のことでもなく、まさに現実に起こったことを題材にしていることが、数多くの観衆のハートを捉えたのであろうと思います。作曲、当オペラの企画実行の中心を務められた森三恵子さんの精力的にこのイベントを成功させるという熱意は、多くの団員の気持ちを突き動かすものがあったと思います。もちろん、悲しみの歌、喜びの歌、労働歌と様々は歌を作曲され、どの曲も耳になじむ力強さを感じるものでした。 こうして、この1か月気をもんできた徳山ブルースの公演は、ほぼ満席のお客様に見ていただいて成功裡に終わりました。どうも、年配者ほど心に染み入るのか両親4人とも大満足で帰っていってくれたようでした。1時間かけて来てくれた妻の両親に感謝でした。
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第49回日税連公開研究討論会-税理士の絆を再認識する場
日本税理士会連合会の公開研究討論会は、すでに49回という回数を重ねました。「コロナによる中止」という年が最近あったため本来ならば50回目というのが今回だったわけです。50回というと本当に伝統がある行事なんだなあと思います。私の幼少期から引き続鋳く大会であるのですからね。愛知・名古屋での開催は、8年ぶりでした。前回は名古屋城の近くのホテルにて開催され、私は前夜、そのホテルに宿泊させていただき、そこの美味しい朝食をいただき、良い気分で発表させていただけました。「所得税の課税区分」を題材とする研究発表で、大学の図書館などにも行き調べて論文集の一部に加えていただきました。発表は、短時間のため成果の一部を要約して発表という感じでした。ですので、私が話していた時間は3分あったかどうかという感じでした。ただ、大勢集まっている税理士会員等から大きな拍手を浴びて大変うれしく、やって良かったという感慨にふけることができたイベントでした。 もう「あれ」から8年か、という感じですね。今回は、民法改正が相続に与えた影響と問題点の考察を研究課題に取り組まれて発表されていましたが、8年前に一緒に壇上で発表した数多くの仲間が、ほとんど再度登壇されているのですね。その継続ぶりに驚かされました。私も、税制改正建議に6度も関り所得、法人、資産税、地方税と駆け回ってきましたため、顔を多くの人に知られていて有難いことです。やはり長く続けるということは自分の心の支えでもあり財産ともなるのだと実感させられます。当時は一般研究部員であった部員が2回目の発表ということで、討論リーダーや進行役になっていったり、より大役を任せられていく当時の仲間をまぶしく感じました。それとともに、ほぼ変わらないメンバーの元気に勉強されている姿を見て刺激を受けました。発表テーマについては、時流に沿ったものをとりあげてくださっていました。「配偶者居住権」、「遺留分侵害額請求」に関する議論があるところの整理、その解決策について、実務にはまだまだなじみのないものであるので、大変であっただろうと想像するのですが、果敢に挑戦という感じはしました。難しい論点を対談形式で、分かりやすく図表を交えて発表され、眠くなるところ懸命に発表された会員の熱に感謝しつつ聴講しました。 その後の、指導教授2人によるご講評いただいたのですが、伊川教授は、またしても家康の「人生は」で始まる言葉を引きつつ、時にユーモアを交えながら話され、田中教授は、税理士会の当イベントに対する最大級の賛辞と言えるお話をいただき感激しました。前回もご指導いただいている先生、時に厳しい指摘もいただき、改めて「理論整然と」論文にまとめあげるとは、どのようなことかを学ばせていただけた思いをさせられたご指導でした。『この公開討論会では、事前に研究員がそれぞれ「研究勉強」を重ねて、それを研究員同士が「議論」を深めて、多くの会員の前で「討論発表」することにより、会員に知識を多く広めることができ「交流」を生む』そのようなイベントであると。 イベント最後には、懇親会がつきものですが、ホテル特製のその土地ゆかりの逸品を口に運ぶ楽しみに盛り上がる会だと思います。ある人にとっては、酒があればいいという人もおられましょうけど。立食の懇親会は、私にとってやや不便ではありましたが、東急ホテルの料理はどれも非常に美味しく、食べ過ぎてしまいました。食べるだけではなく、税理士同士の親睦を深めることも大事なので、発表された会員の労をねぎらってまわらせていただきました。よく来てくれたと歓迎の声をいただき、まだ仲間として認めていただいている絆の強さに嬉しくなります。やはり税理士は親子で引き継いでいく承継パターンが多いのです。私の属した発表チームのリーダーは、今回は発表者でなかったのですが、その息子さんが研究員となって活躍されていて、私にすすんであいさつに来られて、本当に頼もしく感じました。その他に、名札を見ると「◎◎」と書いてあったので、「お父さんも税理士ですよね?」と聞くと「はい」と答えてくれて、お父さんに世話になったことを話させてもらいましたり。 徐々に私が良く知っている役員をされていた会員のご子息が税理士に登録されてというのをよく見かけるようになりました。税理士界では、「先輩が後輩の面倒をよくみてくれる」「先輩が積極的に新しい会員に声をかけている」という良い文化があるように思います。そんな良い文化があるということを知っていただき、税理士になられる方は、積極的に税理士会の行事に参加して、溶け込んでいく方がいいと思っています。 そして、今回感動的なお話をいただけた田中先生には、お礼が言いたいと思ったところ、郡上踊りの法被をまとっておられて目立っておられたので、すぐにわかりました。私の名前は覚えておられないとは思いますが、何度も(20回以上でしょう)顔は合わせていますので、顔は覚えていただいていたように笑顔で会話させていただけました。田中治先生の論文は、時折拝読させていただいています。税法学会の重鎮の先生なのですが、税理士会員の間に入り混じって楽しそうになさっていたのは非常に印象的でした。 地元名古屋での8年ぶり開催は、とりわけ思い出深いもので、午後0時15分から始まり午後8時30分頃までたっぷりと勉強し、税理士会の良さを実感した1日でありました。3編にわたりましたが、今回のコラムは以上で終了です。ありがとうございました。(完)
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第49回日税連公開研究討論会・「税制」に対し提言する税理士会
公開研究討論会は、今回で49回。来年は、区切りの50回目ということで、長年続いてきた伝統ある税理士会の年中行事として存在しています。毎年のように開催地は変わり、その開催地独自のカラーを打ち出しつつ開催されるのも、また楽しいです。税に関して専門用語が多いので、できるだけ分かりやすく、親しみやすくプレゼンテーションするように工夫しているのも素晴らしいと思います。中には、「寸劇」を交えて、観るものの印象に残るように演出する税理士会もあり、「公開」というのであるならば、税制に高い関心のある一般人、とりわけ大学生などにも聴いてもらえるといいように思う面もあります。 私は、「税制」に対する提言のとりまとめを行う税理士会の部会である「調査研究部」に3期6年所属していました。そのため、公開研究討論会への参加を強く推奨されて、京都、千葉、東京、名古屋で開催された討論会に参加しました。今回で、ライブ配信の視聴を含めて7度目の参加となります。私は、税制の現行の在り方に対する姿勢としては、まずどのような税の仕組みとなっているのかを把握する、なぜそのような税制となっているかを知ることが大事であると思います。そのうえで、実務において税務に関わる当事者が困っているところ、不公平感をあぶりだすことではないかと思います。ですから、現行税制の課題、問題点について、ここが使いにくいのではないのか、納税者本位とはかけ離れているよね(課税当局からは便宜かもしれないものも含め)という観点で抽出し、その解決策を提案する活動を税実務に携わる税理士が行うことは、きわめて有意義なことと考えています。 さて、今回は名古屋国税局の管内である税理士の集まりの「名古屋税理士会」「東海税理士会」の研究発表でありました。最初の東海会は、事前に収録した寸劇動画と会場ステージで行う寸劇をまじえながら発表し、その後名古屋は、手堅く壇上にテーブルを並べての「討論形式」で、3部形式の発表しました。いずれも研究員の成果を限られた時間ですべてを発表するのはできないので、関心のとても高いテーマに絞っていました。東海会は、離婚の際に行う「財産分与」に対する課税、「負動産」問題を現在放送中の大河ドラマ「どうする家康」にちなんで「どうする財産分与」「どうする負動産」「どうする税理士」の三本立てでの発表でした。 離婚の際の財産分与で、たとえば夫から妻に不動産を権利移転する場合に、譲渡所得として課税されてしまう問題です。実際に金銭が入ってこないのに、課税されては大変であろうということ、課税するべきではないという主張がなされました。もう一つ負動産について、相続しても、売却、収益価値すらなく、保有すると固定資産税がかかってくるという相続しても有難くない財産についての財産評価について、どのように配慮していけばよいかという問題。確かに、よく話題に上ってきます。固定資産税評価額を基準にした評価にしていかなければいけないかと何度も疑問に思います。よく取り上げてくれたと思います。「負動産」(まけどうさん)という言葉は、十分に定着してはいないようにも思うけれど、面白い観点であったと思います。 途中、東海会を指導する伊川先生も劇中にご登場していたのが笑えました。先生は、発表税理士と年齢が近くてなじみやすかったのでしょうか。家康の残した言葉「人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくが如し いそぐべからず」がたびたび登場し、私たちの業務、責務を「重荷」として例えたのも印象的でした。家康ゆかりの地である「岡崎」「浜松」「静岡」が主要都市として存在する東海会。東海地区の有名武将家康のPRを十分に果たしました。 開会式には、開催地の知事でもある大村知事がご来賓で祝辞をくださいましたが、地元愛知のジブリパークの新ゾーンが完成して、新たに入場できるようになるということでPRされたのが印象的でした。電気で走る猫バスの定員がわずかに5人。どれだけの列ができてしまうか心配であると笑いながらお話されていました。前回は、ナゴヤ飯を召し上がってお帰り下さいという宣伝だったと記憶していますが、あれから8年、すっかりナゴヤ飯も全国発信できたという確信があったのか、今回の祝辞には含まれていませんでした。 このように郷土色豊かに、公開研究討論会を盛り上げるのも一つの伝統なのです。(中編終わり 後編に続く)
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第49回日税連公開研究討論会ーミュンヘン税理士会が初参加
10月13日金曜日に名古屋市の名古屋東急ホテルで行われた日税連の公開研究討論会に参加してきました。昨年は、東京で行われて、現地参加したので、2年連続です。もう私の中では、年中行事のうちの一つと言えます。特に今年は地元の名古屋開催でもあり、以前から気にしていて楽しみにしていました。昨年は、あいにくの悪天候で、風も冷たく吹いていた東京でしたが、今年の名古屋では、名古屋駅から東急ホテルのある栄まで歩くと額から汗が。歩き回るにはまずまず良いコンディションでした。昨年あったコロナ検査キットは、当然なくなり、会場もマスク姿もほとんど見られなくなりました。何より今回の目玉と思ったのは、ドイツ・ミュンヘン税理士会の方が参加されての「日独税制比較」ということが行われたことでした。法律については、フランス法ドイツ法の影響を強く受けてきた日本ですが、税理士という制度が社会的に広く認知されているのは先進諸国ではドイツということなのです。冒頭の開会式で、ミュンヘン税理士会の代表の方がご挨拶されたのですが、日本の経済的繁栄について称賛されていたのですが、当然ながらドイツ語でのスピーチであったので「イン ドイチュラント」=ドイツにおいてはという言葉くらいしか耳に入ってきませんでした。ドイツ語らしい音というのは分かるのですが、聞いて耳に残り意味が分かるというレベルには全く到達できません。ドイツ語は、大学の二年間、一般教養で習ったのと、グリークラブ(男声合唱)でドイツ語の歌を歌ったくらいですから。 ドイツという国にも大変親近感を覚えています。高校1年の時、イギリスにてホームステイした際に、ドイツ人の年配の夫婦に親切にしてもらった記憶があったので。イギリスでの体験は貴重だったなあとドイツ人を見ると思いだします。イギリスは、ヨーロッパの一部でもあり、ヨーロッパ各国から語学研修に来ていました。中でもイタリア、スペイン、ドイツからの人々と一緒であったのです。クラス分けテストで、「very bad」(これは聞き取れました)という成績だったので、一番初歩的なクラスに分けられ、他国の人と話せなかったなあという思いしかありません。各国の生徒の特徴はあったのですが、ぎこちない英語で話すのも難しいような。やはり、言葉の壁って大きいものです。代表の方の言葉は、日本語字幕つきでしたが、やはりそのニュアンスはドイツ語のまま理解できる越したことはないと思います。でも、外国語の習得は難しいものです。大学2年まで英語をやったのに、いざ話そうとしても話せないですね。 ミュンヘンからの訪日団が、初めて「公開研」に参加されたのは大変意義深いことであったと思うのですが、意見交換と言うには、ドイツ側から質問の投げかけというのがなく、一方的に名古屋会からの疑問に答えるという形式なのが、やや違和感ありでした。ただ、全国的な税理士会のイベントで名古屋会と以前から友好関係を継続させているミュンヘン会を招待できたことは、画期的な出来事であると思っています。海外の税理士会と交互交流している会は、名古屋会以外にあるかどうか不明ですが、やはり税制も他国の優れた制度より学ぶことも大変大事なことであると思います。 ドイツでの「税理士の役割」というパワーポイント資料を引用させていただくと、「税理士は重要な社会インフラであり、ライフラインに関わる重要な職業であると認識されている」と。従って、コロナによる規制を受けずに働くことが要請され、税理士の活躍で大きな社会的混乱を招くことなくコロナに対処できたという側面もあるようでした。それは、税理士が中小企業の給与計算を担っていることから、給与の支給が遅滞する現象は少なかったことが具体的に明かされた。もちろん、日本でも税理士が担ってきた各種支援金受給の申請手続きもドイツでも税理士が担っているという話でした。私の大学時代の指導教授である富岡先生もドイツ語をたくさん用いられていました。税務貸借対照表=シュトイヤビランツ、商事貸借対照表=ハンデルスビランツなどという言葉はまだ頭に残っています。TKC創業者である故飯塚毅氏も、現TKC全国会会長坂本氏もドイツ語を数多く掲載した図書を発行しています。やはり、ドイツに多くを学んできた歴史があるように思っています。 私にとっては、ドイツ音楽も暮らしの一部です。ブラームス、バッハ、ベートーヴェン、という三巨頭はじめ、何度聴いてもあきない音楽が山ほどあります。やはり、日本人の良さは、他国の素晴らしい点をどんどん認めて取り入れているということでしょう。税理士も、他国に倣ってというのが数多くありましょう。また、アジアにおける先進国としてアジア諸国に日本の税制度の優れた点を発信していくことも大事なのではないかと考えています。(後編に続きます)
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兵庫県立文化センター バッハ・コレギウム・ジャパンによるヘンデルのオペラ
兵庫県立文化センターの大ホールで何を鑑賞したかと言いますとバッハコレギウムジャパンの管弦楽によるヘンデルのオペラ。ヘンデルは、バッハとほぼ同じ時代の作曲家で、一番有名なのは、キリストの一生涯を誕生から復活までを描いたメサイアでありましょう。メサイアは、合唱の活躍する部分が多くあり、今年2月に、私も合唱団に加わらせていただき歌う経験をしています。今回オペラとはいってもステージの真ん中に管弦楽団が鎮座していて、実質的にオペラの登場人物が使えるのがほぼ半分くらい。管弦楽団の周囲で歌手が歌い、動くという構成されていて、豪華な背景とか舞台装置はなく、「セミステージ形式」ということでした。部隊の豪華さがなくても、美しい歌唱、ハーモニーがあれば何ら不足なしと感じられる講演に思いました。主役二人、一人は外国人のカウンターテナー歌手、もう一人は国内で著名なソプラノ歌手森麻季さん。心洗われる美しいメロディーに、美声、夢心地の瞬間が何度もありました。いえ夢心地とはいっても、眠りそうなのはこらえて鑑賞しました。今回は、原語であるイタリア語上演ということで、そのままでは何を言っているのかさっぱり意味不明なのですが、舞台の左右に日本語字幕表示があって話が分かりやすかったように思います。休憩を含めた上演時間は、4時間30分。親を討たれた子の復しゅう話や、恋愛というのはよく出てくる話でありますが、それを美しい音楽で紡ぐヘンデルという作曲家、改めて偉大なる芸術家であると思います。日本ヘンデル協会というのが存在するだけのことはありますよね。そして、音楽についての総監督である指揮の鈴木優人氏。チェンバロを弾きながらの柔らかな指揮っぷりで、その姿は、やはり同じく古典、バロック音楽の指揮者である父親の鈴木雅明氏とそっくりです。やはり、芸術家の血は受け継がれるものなのでしょう。開演15時から4時間半経つとあたりはすでに真っ暗。残念ながら、最後まで拍手することはできずに、会場を後にしました。普通のクラシックコンサートの2倍の長さながら、疲労感のない充実した時間だったと思います。 帰路は、すでに頭のなかでこのようにするといいというのがありました。その行程は、西宮北口⇒(阪急神戸線)⇒十三⇒(阪急京都線)⇒烏丸⇒(京都市地下鉄へ乗り換えて)四条⇒京都(新幹線へ乗り換え)⇒米原⇒(東海道線)⇒大垣⇒(養老鉄道)⇒揖斐というルートです。 これは、できるだけ阪急線に乗っている時間を長くするというルートです。あらかじめ調べた通り、西宮北口ですぐに到着した特急に乗り、十三では、京都河原町行きの特急に乗るというのは、行きと正反対です。阪急の電車の外装であるマルーン色、座席の色である濃い緑色に木目調の壁というのは、いかにも高級感があって、阪急線沿線の高級住宅地のイメージにぴったりで好きな点です。十三から梅田の間は、阪急の「神戸」「宝塚」「京都」の3つの路線が並行して走り、十三で枝分かれしているのです。ですから、十三は乗換駅で、かなり多くの人が入れ替わります。ややホームは、狭いかなと思うのですが、乗り換えが非常に分かりやすくできているのがこの駅の特徴であると思います。大阪より京都の繁華街である河原町を結ぶ京都線ですが、JR新快速と違い途中の停車駅が多めであるというのが、マイナスでやや時間がかかります。もう少し停車駅を減らせば、もっと阪急を使う人は増えるかもしれません。乗り換えをした烏丸駅。京都のビジネス街とでしょう。地下鉄とも乗り換えができます。京都駅へはわずかに2駅ですが、やや運転間隔があいていますね。京都地下鉄の独特な列車発車ベルは面白いと思います。日本の音、京都の音ですね。さて、京都駅は、大きな駅で、切符を買わなければならないのですが、新幹線改札の近く友人の切符売り場がありません。券売機で買うものの、障がい者用はどれを押せばよいかがわかりません。ブザーを押しても係員があらわれないので、しょうがないので普通に乗車券、新幹線特急券を買って乗り込みました。京都から米原間は1駅ですので、自由席料金は安めの設定で、1駅間でも乗る価値はあるのです。しかし、出発時刻ぎりぎりでした。わずかに20分弱の乗車時間ののち、米原駅に到着。 大垣駅での乗り換え時間よりも米原駅の方が長めであったため、米原駅の駅員に確認してみました。障がい者割引していないから、障がい者割引に変更して、差額を返金していただけますかと。5分程度の時間はかかったものの変更していただけました。米原駅の駅員さんには大変お手数でしたでしょうけど、嫌な顔せず対応いただけありがたかったです。言ってみる価値はあるのだなあと思わされました。 今度は、もっと時間に余裕をもって、京都烏丸でランチなんかできるといいなあーとか思いながら、あわただしく時間に追われて過ごした日帰り演奏会ツアーでした。
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兵庫県立芸術文化センターは、実にいいホールでした
私はJR線以外の鉄道に乗るのが好きです。中でも好きなのが阪急電鉄です。その「阪急」をできるだけ楽しむコースで、兵庫県西宮のコンサートホールまで往復しました。まず、行きは京都と新大阪の間にあるJR茨木駅で降車しました。JR茨木駅は、立命館大学の大阪いばらきキャンパスの最寄り駅なのです。前回キャンパス見学会では、学食でたべられなかったので、行ってみようと。ちょうど午後1時を回って空腹になってきましたから。駅から歩きでわずかに5分程度。途中に歩行者専用の通路もあって、大変歩きやすく、かつ電車の線路沿いで分かりやすいです。校舎内、土曜日でしたのでひっそりとしていましたが、非常に新しい建物で、通路も広くとってあって、気分の良い空間と感じます。校舎内歩くと、「麺」を売り物にした食堂が見えてきましたので、そちらで食べることに。あまり安くはないのです。しかも学生以外は、200円増しと書いてあります。まあ、どう考えても、学生とは思われないだろうから、学生外料金を支払いました。食べたまぜそばは、あまりボリュームはなかったものの、麺はもっちりして、明太子もたっぷりで、味には納得感がありました。この時点で午後1時半回っていました。午後3時開演なので、最寄りの阪急西宮北口駅にはその30分前までには着いていたいところでした。実際、経路検索をしてみると、阪急の茨木市駅から乗車しよという表記があるではないですか。立命館から近いのは、南茨木駅だがと思ったものの、初めての阪急茨木なので、スマホのナビを頼りに約20分歩きました。途中は、ほとんどが住宅街で、商店街というのはありませんでしたが、のんびりした街並みの広がる茨木市内に。ほっこりとして平和だなあという印象を持ちました。茨木市駅、比較的足が悪い人も使いやすくデザインされていると思いました。ほどなくして、「特急」が到着したので乗車し、十三(じゅうそう)駅へ。神戸方面への乗り換え駅ですが、こちらでもほとんど待ち時間もなく、「特急」の神戸方面行きが到着しました。乗車すると約10分、次の停車駅が目的地の西宮北口。西宮駅は、JRなのですが、西宮北口駅まで徒歩15分かかるということなので、JRで西宮まで行くこともできたのですが、西宮駅では、あまりいい思い出がないのですよね。 西宮北口からは、芸術文化センターはデッキで連結されていて、歩きやすくてこれまた便利です。大阪のフェスティバルホールよりも便利かもしれないなあと思いました。相変わらず天井の高いつくりなんですね。そして、足もとが絨毯ではないのです。木目の床です。無垢材かどうかはわかりませんが、こい茶色をしたフローリングの床に見えました。実に高級感のある内装です。ホワイエの天井からは、吊り下げられたライトがあったり、座席の表示が大変分かりやすいのが素晴らしいことであります。フェスティバルホールもそうでしたが、座席表示が、その座席の二か所にあるのです。これは、阪急の梅田駅からバスに乗った際にも感じたのですが、座席番号表記が、大変見やすく工夫されているのです。大変親切な表記ですね。東海地区、関東ではそのような表記に出会ったことがありません。そうです、階段の幅です。歩幅が小さく、段数を非常に多くしてあるのです。私のように歩行に支障がある方にも優しい設計で嬉しい限りです。この日の公演はとても長く4時間半という長丁場でした。比較的、後ろ寄りの席ではあったのですが、見やすくて音響も適度の残響で歌手たちの美しい声や弦楽のつややかさ、ホルンの豊かな音色が十分に堪能できるホールと思えました。(後編に続く)
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クラシック音楽聴きに関西へ(大阪フィル定期公演)
地方と都会との違いというと圧倒的に違うのが、芸術に触れられる頻度ではないでしょうか。芸術は、生活していく上では絶対に必要というわけでもないし、数多くの人に鑑賞されなければ成立するものではありませんから。人が多い都会部であれば、演奏会の数も多く、舞台の数も多く、展覧会の回数も多くて、観に行く予定も立てやすいものです。 この3年間は、コロナによる規制で、遠方まで演奏会に行くことを避けてきました。よく予定されたものの中止ということもありましたが、今年4月ころからは、コロナ対策は個人の判断という流れになってきたため、久しぶりに演奏会目的で関西地区に行きました。 9月の下旬には、大阪の歴史ある管弦楽団である大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会。大阪梅田駅より徒歩だとやや時間がかかるフェスティバルホールへ。このホールは、なんといってもエントランスが見事で、レッドカーペットを敷き詰めた階段が印象的です。その脇にエスカレータもあったのですが、階段を思わず上ってしまいたくなる華やかさが魅力です。大ホールの入り口手前には飲食店がいくつかあり、開演までに余裕があったので、おつまみ程度を食べてからホール客席へ。この日のプログラムは、シューベルトの長大な交響曲「グレイト」がメイン。前半は、今日の指揮者でもあるハインツ・ホリガ-氏自身の作曲作品含めて、二曲。いずれも耳になじみのないまさに現代音楽で、ほとんど聴いたことがないものでした。珍しいホリガ-自身のオーボエ独奏、客演のハープを加えた二重協奏曲。ホリガ-さんの奥さんがハープ奏者ということで、ホリガ-夫妻のために書かれた作品だそうで。後半は、私の好きな交響曲であるグレイト。この大阪フィルの演奏を一度聞いていますが、それが良かったため、同作品のファンになり、自宅でもグレイトを何度も聴きこんでいました。しかし、ホリガ-指揮のグレイトは、まったく違っていました。音を満たすのではなく、パートごとのメリハリを持たせた演奏。かといって大きな音量を追求しないようなタクトであったので、オーケストラの方がよく意図をくみとっているなあという印象を持ちました。その象徴的なのが、最終楽章の終わり方であったように思います。意外にも、静かな終わり方であって、多くの聴衆が拍子抜けしたのではないでしょうか。ホリガ-さんは、今はオーボエ奏者というよりも指揮者として、名曲に対して新しいアプローチでその良さを追求しているかのように思われました。具体的には、当日渡されたプログラムに書かれてあり、いつもと違うのだろうということは予想できていましたけど、大いに違っていて新鮮な感じがするグレイトでした。ホリガーさんも、80歳を超えていましたが、お元気で約60分もある交響曲を指揮されました。まだまだ、新しい解釈を、新しい息吹をクラシック界に送り込んでくれそうです。次の10月13日、14日には、名古屋フィルとの共演も予定されていますが、行けるかどうか不明なので、9月の終わりに大阪でのホリガーさん指揮を楽しんできたというわけでした。
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プロ野球ペナントレースもまもなく終了 関西ダービーでいいと思う!
10月になり、さすがに暑い日も少なくなり、朝晩も涼しく湿気が少なくなりましたね。これから2ヶ月半は過ごしやすい気候になって大変ありがたいことです。ようやくエアコンつけっぱなしの生活からは解放されました。そして、この季節だとプリ野球も大詰めですね。ただ、今年については、早々と優勝が決まってしまい、面白みに欠けますが、優勝した両チームが圧倒的に強かったということでしょう。いずれも関西地区のチーム、セリーグの阪神タイガース、パリーグのオリックスバファローズなのですが、開幕当初からほとんど落ち込むことなく順調に勝ち星を積み重ねていったという感じでした。 阪神の岡田監督の「アレ」という言葉が流行語になりましたね。「優勝」というのがタブーということでしたね。あまりに「優勝」を言いすぎると優勝を逃してしまうと。優勝を強く意識しすぎると選手が固くなってしまってというと、なんか情けなく思いますね。あなたがたプロでしょうって。とはいえ、岡田監督の「アレ」作戦がきいてか知りませんが、優勝間近の9月に全く負けずという離れ業でしたね。まったく平常心であったかのような戦い方でした。最近の阪神タイガース、ずっと地力があって強いチームであったのですが、勝ちきれなかったのですが、ベテラン監督がやはりという感じに思いました。岡田監督は、周りを明るくするオーラを発していると思います。大阪出身で、阪神、オリックスで選手時代を過ごし、監督も経験して、再度のご登場で、若い方にとってみると、なんだか年寄り監督ばかりになってしまったなあというように思う方もいたかなと思いますが。前回の18年前の阪神優勝も岡田さんということは、運も良い方なのだなあと思わされます。 対してオリックスバファローズは、パリーグ3連覇になりましたが、記憶にもまだ新しい昨年の最終戦での優勝決定。今年については、余裕があってのゴールインで、選手を無理使いせずに、まさに最後まで「馬なり」でした。先発オーダーもよく組み替えて、調子の良い選手をよく見極めていたのが印象に残ります。まさに、適時に適材適所の用兵力なんですね。そして、若い有能な投手が次から次に登場してくる育成能力の高さは、よく言われていますが感心させられます。打線の柱であった吉田選手が大リーグに行っても、代わりの選手が穴を埋めて、それ以上の結果を作り出していました。リーグ3連覇というのは、私の大学時代の「西武ライオンズ」以来らしいです。あの頃の西武は、本当に役者がそろっていたことが思い出されます。そのようなチームを作り上げられつつある中嶋監督。私と同学年なので、さらに応援してしまいます。それとGⅯの福良さんも現役時代は、イチローの後を打つ「巧打の二番バッター」、「絶対エラーしない安心の守備力の二塁手」でしたので、影となって中嶋監督を支援しているのでしょう。 ペナントの後には、クライマックスシリーズという敗者復活のような試合が組み込まれているので、優勝チーム同士が戦う日本シリーズが100%見れるかどうか分かりませんが、今までにほぼ実現しなかった(過去1度しかなかった)関西ダービーを楽しめたら良いなあと思います。