コラム

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税理士の仕事はAIにはできません
税理士や公認会計士がAIにとってかわられるというようなことが言われていますが、とんでもないことだと私は思っています。 税理士の仕事は、税法に関する知識、会計に関する知識は当然なのですが、持ち合わせていなければならない資質として最も重視するべきは、 会話力、よく言われるコミュニケーション能力であると思います。お客様の言われる言葉を正確に聞き取る能力、お客様の表情を感じ取って、それをも考慮に入れつつ説明する能力が要求されています。できれば、それが瞬時にできるといいのですが、そのような力は、経験を通して身に着けていくものではないかと思えます。何が問題になっているのかをできるだけ速く正確にとらえて、お客様にお伝えすることです。 この時期は、多くの個人の確定申告の相談を受けるのですが、毎年決まったようにお持ちいただく方については、そのお客様をよく知っているのですが、一見さんであると、その方の情報についてゼロから収集することになります。本当に、数多くの質問を投げかけることになります。それを嫌味なく聞いていくというのが大事になりますよね。AIにいろいろ質問されるなら嫌になるのではないですか?そうです、血の通った生身の人間であるから、そこに信頼が生まれるのではないでしょうか。 映像判定を導入されて野球、サッカーが変わりました。審判の負担は減ったのではないでしょうか。AIは、数字を読み取るということは、とてもたけていると思います。計算ミスも当然しません。そんなことを考えるならば、AIの良いところを人間が利用するのが正しい在り方だと思います。勘定の機微を感じられないAIでは、全面的に信頼をおくことができる存在になりえません。 私たち税理士は、真に納税者の期待に応えるべく、普段からその資質に磨きをかけて、知識を共有するべきです。そう、「税金は1円たりと多く支払わせてはいけないし、納めたりないのもいけない」という言葉をTKC創始者飯塚毅さんが残したそうですが、まさにその通りで、税理士に相談して、正しい申告ができた、安心できたと言っていただけるがわれわれの報酬のうちの一つでもあります。
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来年の大学入試「共通テスト」まであと1年につき願掛けをします
今年度の大学入試の大きな関門である「共通テスト」が終わりました。全国津々浦々で、同じ問題に取り組むというものでは、最大級ではないでしょうか。この季節の最大の目玉行事となっていると言って過言ではありません。国公立大学のみならず私立大学も参加する共通テストは、高校三年生とその保護者にとっては、大きな関心事です。私の息子は、高校2年生ですので、来年の共通テストまで1年ということで、より大学入試というものが近くなってきたなあという感覚になっています。実際に受験するのは、勉強しなければならないのは息子ではあるものの、親として支えてやりたい、寄りそってやりたいという思いは強く持っています。そこで一つ、好きなことを断ちきって、1年間の願掛けをしようと思いました。 こちらのコラムをご覧になっている方は、私が何が趣味であるのかよくお判りだと思います。「旅行」と「合唱」です。この2つを今年の4月から息子の進学する大学が決まるまで断ちます。昨日(1月18日)は、大垣西濃信用金庫さんの新春講演会及び経営者懇話会の新春懇親会ということで、参加してきましたが、「だいしん」さんは、100周年企画でクルーズ船飛鳥Ⅱを貸し切ってクルーズを企画募集されるようなのですね。10月という季節もよい、週末で現役の経営者も参加しやすくを考えて企画されたようなのです。旅行を断つということからすると、当然参加できないのですが、プロモーションビデオを見ていますと、いいなあ行きたいなあとなってしまいました。妻より、「そんなものは、後でいけばいいの」とバサッと切られてしまいました。音楽の演奏会に行くのも断ちます。ネット、ラジオなどで聴くのは可ですけど、名古屋フィルの会員も「4月から約1年」休みます。 好きなこと2つ断って、さてどんな結果がついてくるか分かりません。この1年、我が家にとっては、とても大事な一年なんです。「地に足」をつけて充実した1年にしていきたいと思っています。 さて先ほど話題にした新春講演会は、「ニトリ」を題材にして、大きく成長する企業は、どこが違うのかということを、ニトリの人材開発部門で勤務された方が講演されましたが、やはり経営者の強い思いも大事なのだろうと思わされました。創業者の似鳥さん。講演者に「君にはロマンとビジョンがないな。うちにそれを学びにおいで」と口説いたようである。やはり、将来自分がどうなっているかを考えて、その姿になるためにどんな努力をしていくかが大切なのだろうと思わされました。
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異次元の少子化対策って本当か?
岸田政権、いよいよ末期症状化というくらい支持率が下がり、政権崩壊の危険水位であると報道されています。相次ぐ政治資金規正法違反による大臣辞任とともに、気になるのが「異次元の少子化対策」と銘打って出される対策に対して批判が集中したことには大いに関心を持っています。 私の出身小学校は、明治から続く揖斐小学校。そこを卒業したのが、1980年(昭和55年)です。ちょうど高度経済成長期も終わりを迎えて、やや経済成長が鈍化しつつある時でした。その頃って、太平洋戦争(大東亜戦争)の敗戦から35年です。さらに1980年から現在まで40年以上も経過しているのです。大きく時代は変わったものだと思うのが、小学生の人数です。私たちの頃だと同じ学年で、100人程度がいました。学級も3つに分かれていました。学年に少年野球に入る子は、二桁いました。当然ながら、女子は入っていませんでした。中学の時にようやく女子にソフトボール部ができた頃であったと思います。ずっと子どもの数が今よりも多くいました。我が家の長男が、小学校を出て12年、長男の頃は2クラスあったのが、1学年で1クラスが当たり前となりました。揖斐小学校は、1学年ようやく2桁程度なのですね。私たちの頃の5分の1というわけです。日本の将来をさらに先取りしているかのような地域だと思います。 児童数が減りましたが、先生の数はそこまで著しい減少にはなっていないのではないでしょうか。先生一人当たりの児童数もまた大きく減っているのではないでしょうか。主担任のほかに副担任がいるのは当たり前のことであるという感覚です。非常に手厚く指導ができる体制になってきたのではないでしょうか。親にとっても、以前は3歳になったら医療費がかかってくるというのが常識であったのが、あっという間にそれが、小学校まで中学まで高校卒業までと拡大していき、子どもは無料で医者にかかれるのは当然になりました。大人が、医療費1割負担から3割負担へとどんどん負担を増やされたのとは真逆です。揖斐川町に至っては、前町長の公約として、「給食」「修学旅行」の無償化があり、それが継続されています。子育てに対する経済的支援、援助が拡大されているのはいいです。しかし、実際に少子化対策になっているのか、もっと根本に「子どもを持たない理由」はあるのではないかと思えます。 「家庭より仕事」をとる女性が増えていることも一因であるのではないかと思えますし、十分に所得がなくて「結婚できない」男性も多いのではないかと推測できます。平成になって広がった人件費カットによるコストカット。これも大きな原因ではないかと言われます。やはり、昔はよく言われた「日本はオール中流階級」というのが、変化して、「貧富の格差問題」「二極化」が言われ始めたことも、少子化の要因でしょう。今は、子育てについては、両親の肩にぐんと重荷が乗っているという構造的な問題もあるのかもしれません。ある資料によると、「結婚したら子どもを持つべき」という質問に対する答えとして、そのとおりであると答えたのは、男性55%、女性36%であると。うーん、そうなんですね。子どもを産み育てるという意識が希薄化しているのですね。その意識を変革しないことには、少子化対策が実を結ばないのではないでしょうか。
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辰年を上昇機運のある年に!希望ある1年にいたしましょう!
辰年である2024年(令和6年)が始まりました。日経新聞1月1日1面には、昭和99年であるこの年は、「昭和」の旧態依然としたやり方を見直すべき良い時にきたと言っています。私は昭和43年(1968年)に生まれましたが、昭和という時代が去ってから平成、令和と時代は移り変わってきたのですが、昭和のやり方を捨てられないので、伸び悩んでいる会社も数多くあるように思います。昭和かたぎの「ど根性的」な生き方をいまだにかっこいいと私は思っていますし、「男は仕事、女は家庭」「核家族」「年功序列」といった昭和の産物に何かノスタルジーを感じてしまう世代です。とはいっても、私は高度経済成長を成し遂げた昭和40年代50年代前半が素晴らしい時代であったとも思えません。 男もきれいでありたいという風潮、いいじゃないですか!大いに男もおしゃれしましょう!「男女の雇用機会均等」、「男性にも育児休暇」「男女の共同参画化社会」という流れについて、私の気持ちの中では、十分についていけるものではありません。子どもは、「おかあさん」に抱きつきたがります。それだけ母性というのは偉大なのだと感じます。子どもを産むのは、生んでくれたのはおかあさんです。だから、おかあさんに抱かれたいのはごく自然なことです。乳幼児期は、できるだけおかあさんは、子どもの近くにいてあげて、可愛がってあげるのがいいと思うのは、女性の社会進出を妨げるものとなるので、ダメな考えでしょうか。 少子化社会を変えるには、「子どもを経済的、肉体精神的にも安心して生み育てることができる社会」を作っていくことであると思うのです。それには、経済的支援ということになるのでしょう。これについてはずいぶんと現在は恵まれているのではないでしょうか。当地、揖斐川町では、学校給食費、修学旅行が無償化されて時間が経ちました。高校までの医療費も無料化され、所得制限付きではあるものの高校授業料が無償化され、児童手当も拡充されています。素晴らしいことです。人口が将来的に現在の半分になるのを防ぎ、日本の人口8000万人を維持していくという目標を立てたということであるのですが、国の活力維持には、やはり出生数をもうそろそろ増加に転じていかないとですね。 幸い日本の現状は、昭和から平成初期までは、アメリカの占領政策で、「戦前の思考」を捨て、日本の昔から誇りとしてきたものを捨て、日本が戦争で悪いことをしてきたという認識を日本人に植え付けられてきましたが、その呪縛から日本人の多くが抜けだせたように思います。近年の日本プロスポーツ選手の世界での活躍ぶりや、訪日外国人の多さを見聞きするにつけ、この辺りが底になって、日本経済は這い上がっていくのではないかと思えてきます。長い30年もの停滞期を抜けていく、昨年のキーワードになった「賃金と物価の上昇」がその前触れになればいいがなあと思えます。 そういえば、プロ野球ドラゴンズ(龍)の前評判、悪くないですよね。皆様の企業が、天にも昇る龍のように発展されることを祈っております。私の年始雑感でありました。
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年末のご挨拶 〈プロとして自己研鑽に励みます〉
さて、私どもの事務所は、12月28日で年内の営業が終了します。この1年のご愛顧に心より感謝申し上げます。 令和5年(2023年)も間もなく過ぎ去っていきます。うさぎ年であった今年、飛び跳ねるがごとく社業は発展されていることでしょう。令和6年(2024年)は、辰年ということで、龍が空に舞い上がるがごとく、さらなるお客様皆様の飛躍をお祈り申し上げます。 令和5年は、新型コロナ感染症による規制が取り払われて、経済活動が自由に行われるようになりました。私どもでいえば、全社での会議は、すべて対面での会議に戻しました。感染防止のためのパーティションを取り払わせていただきました。 酒を酌み交わす機会も増え、4年ぶりに規制なくできた「忘年会」が実施できました。去年は、どことなく警戒をしながらの忘年会であったのですが、今年は思い切り大声での会話や高笑いで、大変騒々しく、「お酌」も完全復活しました。会計事務所って、宴会はおとなしいのではないのか?と思われているお客様、わが事務所は、違うのです。とても騒がしいです。わが事務所のいいところであると思うのですが、「騒ぐところ」と「真剣に黙々と仕事する」の使い分けがよくできている事務所であると思います。昔のような先輩後輩の礼儀ということを厳しく言わないのも良いのかもしれませんが、部下が上司に話をしやすい雰囲気になっています。そのため、社内の風通しの良さはあると自負しています。 当事務所では、入社6ヶ月目のスタッフでも、お客様の元で監査をひとりでさせています。先輩スタッフに同行してのOJTも行いますが、きちんと体系的知識を習得するためにオンデマンド講座などを利用して継続的学習を行っています。また、その学習の証として、試験も受験しています。その試験は、巡回監査士試験、巡回監査士補試験という名称です。私どもスタッフは、これら試験の合格が「お客様を指導できる資格」と考え、資格に恥じないプロとしての研鑽をすることをお約束いたします。 私どもに対してお客様は、数多くのご要望をお持ちであるかもしれません。それらについては、法令で禁止されていることを除いて、ご要望に沿ったサービス提供ができるように努めてまいります。税務及び会計に関するサービスについては、当然提供していくサービスです。関連サービスとして、「経営計画立案」を支援させていただき、その実行状況をともに振り返るサービスを提供しています。同封いたしましたセミナー「将軍の日」へのご参加を契機に「計画的な経営」を始め、ゴールへの「コンパス」を手に入れましょう! ひょっとして、『業績が上がらない』と嘆いているお客様もおられるかもしれません。次の点を振り返って考えてはいかがですか。 お客様のニーズに合わせた商品、サービスを提供していますか? お客様をお迎えする姿勢、お客様とのコミュニケーションは適切にできていますか? その道のプロとして、誇りをもった仕事ができていますか? お客様の名簿は完備していますか?お客様とは、定期的なコミュニケーションができる体制になっていますか? 売っているもの自体の品質の良さも当然大事なのですが、「販売員」「作業員」の身だしなみや言動が、お客様に不快な思いをさせていないのか、業務で使用している物品が汚れていないか、整理整頓が行き届いているかなど「基本的な姿勢」を振り返りましょう。
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列に並ばなくていいの?と驚いたマクドナルド
若い人からしたら、「おじさん、時代遅れ」と言われそうです。 マクドナルドは、列に並んでカウンターで注文して、出来上がるのを待って、カウンターに引き取りに行って注文した取りに行き、食べる席まで持って行くのが当たり前だと思っていたところ、部下は席で注文できるから、カウンターに並ばないと。そして、席まで注文品を運んでくれるんだと。知らなかった私は馬鹿みたいに列に並んでいたんだなあ。 店員との会話もあっていいではないかと思うところがあるが、人がやることには間違いがつきものでもあるし、最近は、「タブレット」で注文するシステムも多くなったし、持参しているスマートフォンで注文するということもできる店があったり、まさに「文明の利器」だなあと思わされるケースが多くなりましたね。 名古屋のバーガーキングにも、大型のタッチパネルで注文を受け付けていたので、使ってみたら、やはり大きな文字で見やすいし、並ぶ必要もなくて快適であると思わされました。カウンターで注文する場合、商品表示がやや小さいなあと感じるときもあるし、顔を上に向けてメニューを見るのも疲れるし。カウンターで、あれやこれやと迷って焦るのもいやだし、「タッチパネル」「スマホで注文」「タブレットで注文」というのは、本当に快適に思える。 さて、一人でマクドナルドに入ってみました。注文カウンターには行かずに、テーブルに行きます。するとQRコードがあるのですね。読み取って、店舗を選択します(位置情報から、絞り込みができればなおよいのですけど)。そこから、注文する品を選択して、支払い方法、商品の引取り方法を選ぶのですが、そこで店内で飲食、座席番号を指定するスタッフがトレイに商品を乗せて持ってきてくれるという便利さ、出来上がったかどうかを気にせずに、電話をかけることができました。本当、便利なサービスだなあと、感激してしまいました。 スマートフォンの恩恵などを受けて、人員削減、効率的な人員配置ができて、お客さんも満足できる時代になったのだなあと感じます。人を介してのサービスが、より高価(より希少性があるもの)になっていくことが想像できます。
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徳山ブルースよ永遠に!
10月に揖斐川町地域交流センターで行われた創作オペラ「徳山ブルース」に出演したメンバーが一堂に会して「録画された映像」を楽しむ会に出席しました。 驚かされたのが、多様な角度から撮影されていて、全体もよく分かり、細部のズームアップしてくれていて良い映像を撮っていただけたなあと感動しました。それとともに、素人芝居も心を動かされるものがあるのだなあと。アンケートの集計結果を作っていただいていましたが、2日ともに700人近い観客に入っていただけたことに感謝でしたし、数多くの「感動した!涙がでてきた!懸命さが伝わってきた!」という言葉を見かけるたびごとに、終演後に聴衆の満足そうな笑顔を思い出しました。やはり音楽、演劇、舞台芸術っていいものだなあと、感慨にふけることができました。 アンケートでどちらからの観客かという欄もあったのですが、遠く富山、淡路からもかけつけて来てくれた人もいたようです。来ていただいた割に1時間10分ほどの時間であったのは短すぎたかもとは思えます。もっと長く徳山ブルースの世界に浸っていたかったと聴衆には思っていただけたようです。また次もやってほしいという声も多数あり、「音楽を聴く喜び、舞台を見る喜び」を皆で体感できる素晴らしさが、創作オペラにはあります。出演者、舞台を作る人には舞台を作り上げる喜びがありますね。素人集団で、歌の歌詞を覚える、曲を覚える、さらには動きを覚える、振り付けを覚えるというのは、やりがいがあるけれど、ステージ上で観客に観ていただく以上は、美しくありたい、何か主張を持たせたいと思うものだから、大変苦労しました。 コロナがあけて題材が今はなき小さな山村「徳山」。昭和生まれの50歳代以上にとっては、映画ふるさとでなじみにもなった徳山の自然と村人体の暮らし。そんな過去の思い出に浸った方々も多かったのではないでしょうか。当たり前に当たものとの惜別の別れを悲しみながらも前向きにとらえて前進していく力強さをたたえた力作、これも徳山の思い出とともに「後世に残したい宝物」ではないかと思いました。のべ1400人以上がかかわった大イベント、人々の記憶に思い出に残るひとときが提供できたのではないでしょうか、その一員に加われたことをとても誇りに思えました。 「オレんたあのこの胸にずっと徳山ブルースの思い出は残っとる」
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今年も50周年がありました。出身校「大垣東高校」
私の出身高校は、大垣東高等学校です。最終学歴ではありませんけれど、息子二人も同じ高校を卒業していて、息子在学中にもたびたび大垣東高校の中に立ち入る機会もあり、自身の思い出の1ページとしてさらに深く刻まれた気がします。今まで同窓会などには行きたいと思わなかったのです。揖斐川町から大垣市というそれなりの都市に毎日通学した3年間。その当時としては、勉強をずっとさせられた、テストに追われた3年間であったような。不得意科目の理数に苦しめられ、いじめを受けたり、明るくもない高校時代だったことを思い出すと。そして、私は東京にある私立大学希望なのに、公立進学校あるあるで、「国公立大学至上主義」であったり。吹奏楽やりたかったのに、かなわなかったりと「もやもや」の3年間というのが当時の私の心境であったように思っていました。 しかし、東高生の親として、育友会(PTAのような組織)の役員として活動させていただいた1年半程度を振り返ると、成熟した良い高校になったなあという思いもしたものです。私の高校時代、こんなに笑顔が多かっただろうか、賑やかだったのだろうか?という気持ちにもなりました。当時よりもトイレもきれいになり、エアコンも取り付けられて、着実に学習環境は良くなりました。これも、生徒、両親、先生方が三位一体で取り組み、そこに行政支援が受けられている賜物であると感謝しなければならないと思いました。 育友会の役員在籍時には、大病しての長期入院の際に、同時期に役員さんからは、お見舞いに来ていただき嬉しかったこともありました。息子2人の3年生の時の担任には、個別面談の際にお会いさせて頂いたりと、何かと交流もありました。そして母校が創立50周年をまもなく迎えることも知っていました。そんな折、卒業生の名簿作りがあるのでと「協賛広告」を事務所から出させていただいたくこともありました。名簿も購入しました。ということで、「50周年祝賀会」には、「行ってみよう」という気持ちにさせられました。 11月11日が、その祝賀会の日でした。その当日、若干の緊張と不安の気持ちを抱きながら出席しました。息子たちに行かないかと声をかけたのですが、若くて卒業したばかりだとピンとこないのでしょう、「行かない」という返事が即座にかえってきました。まあ、仕方ないよな、自分でも20歳代の時は全く行く気しなかったしと思いました。「子どもは、昔自分がしていたことを繰り返しやる」、自らの鏡にもなりうると常日頃から感じます。 実際に会場につき着席するとすでに先に着席していた女性がいました。あいさつし、自己紹介をしあうと、「へえ、あの〇〇さんなんか」と。今は、揖斐郡に住んでいるのだとか。共通の知り合いを探しつつ、その人たちの話題や教えていただいた先生についての話をします。それにしても、熱心に聞いてくれるなあと感じながら、在学中はほぼ話すことがなかったのに不思議な感覚でした。会が開始される直前になっても、卒業年ごとにテーブル分けされていたテーブルに同期はわずかに私とその女性だけ?と驚きました。そんなに少ないとは、まさかでした。結局、もう一人男性で出席者はいて、かろうじて3人。その同期も、在学中話したか?目立ってないよね?と言い合うほど知らない存在でした。 他にも、以前育友会でお世話になった校長先生や、懐かしい同じ部活の先輩(女性の3人組)にも再会し(先輩が覚えてくれていました)、長男の高3の時の担任の先生にもお声をかけていただいたりと、大変うれしく感じ、ずっと興奮状態でした。今までに味わったことがない感覚で、大垣東高校での出会いって、意外にも自分の人生に良い影響を与えてくれたのだなあと感じさせられました。意外にも、数多くの人と出会いおしゃべりをした高校時代だったのだなあと。そして、皆でひしめきながらの記念撮影と東高校の校歌を数多くの参加者とともに斉唱できたのは、思い出になることでした。「朝の陽に輝く嶺の伊吹山」、ピアノ伴奏なしでも力強く歌唱されました。 高校の時にほぼ話したことのない3人であったのに、祝賀会が終わってからも、まだ話したりないということで、大垣駅前に移動して、二次会へ。私は、途中で帰らせていただいたのですが、いい余韻がずっと残って、また近く会おうということで合意。「東高50年」がつないでくれたご縁、大切にはぐくみたいと思いました。 50年には、この数年で他にも縁がありました。税理士会大垣支部50周年とわが事務所の創業からの50周年ですね。先の2つについては、まさに当事者として関わりました。しかし、今回のは、お誘いいただいて、試しに出かけようというゲスト的な立場でした。企画された皆さんに感謝です。 ちなみに大垣東高の正面玄関前に植えられた樹木もけやき(育友会役員の際も気が付かなかった)ということで、学校の木も「けやき」だそうでした。わが事務所の目立つところにも「けやき」を植えられたらいいのだけどなあ。