コラム
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東京の大学志望するならば都心の大学がいいのか?
私がまず身近に感じた大都市というと「東京」。大学が東京であったからです。東京の私立大学などクラスメイトはほとんど志望しませんので、異端児扱いされました。私大文系というだけで、批判されるような進路指導であったのですが、きちんとした理由はありましたよ。公認会計士の数多く輩出している大学を受験して合格したまでなのです。慶應義塾大学、早稲田大学はレベルが高く及びませんでしたが、ほぼ志望通りの大学に通うことができました。当時記憶に残ったのは、赤い色のやや古い地下鉄車両「丸の内線」。昭和の香り漂う(当時昭和62年でしたが)早稲田大学までいく「都電荒川線」や西新宿の駅近くにあるカウンター越しで食べる飲食店街。本当にアナログな時代であったなあと思います。当時まだコンパクトディスクは十分に普及しているとはいえず、上京した春にCDラジカセを秋葉原で購入した記憶があります。当時は6万円以上する高価なものでした。どちらかというと洗練されてきれいというよりも、まだ古さの残る東京都心部というイメージでした。そして大学近くの京王線「聖蹟桜ヶ丘」駅や「多摩センター」駅は、どちらも明るく新しく洗練されたイメージで、新しい生活が始まるなあというわくわく感を与えてくれました。今現在は、都心部の大学がもてはやされるのですが、私の大学時代だと八王子の大学が避けられるという雰囲気ではなかったと思います。それか、自分にはそんなマイナスの情報が目に飛び込んでこなかったのかもしれません。東京23区より離れた多摩地方は、自然にも恵まれていて、東京を意識しない地区であったのです。それが田舎者の私にはちょうど良かったと思えたのかもしれません。 そんな郊外の大学であるので、自然と卒業してから足が遠のいてしまっています。卒業してから、東京へは何度も行きますが、新宿から1時間近くもかかる出身校にはいく気がしません。さほど大学には用はないとは思いますが、普段は解放されている大学なので、立ち寄りやすいのであれば、気軽によるのですけどね。研修会などは、ほとんどが山手線の中の地域で行われるため、ついでに行くということにはならないのです。 確かに、アルバイトもできた、大学時代の友人と遊ぶのも楽しかった、クラブ活動も充実していました。そのほとんどが「大学内部」のもので、大学で完結してしまうことが多かったように思います。そして、広がりという面では欠けていたのかもしれないなあと。都心部の大学であれば、より社会人と話せるチャンスはあったかもしれないなあと。もう一度やり直せるとしたら、山手線内にある大学に行けたらなあとは思います。そうですね、一般的に思われているように都心の大学が良いというのは当たっているではないかと思います。そういえば、多摩地区の場合はアルバイトできても、いろんな職種を体験できるというわけではなかったと思います。圧倒的に求人件数も少なかったですしね。
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銚子電鉄に学ぶ事業再生方法
8月18日、経営計画策定のためのソフトウエア制作販売のMAP経営による研修会があったので、参加してきました。参加した理由は、千葉県銚子市にある「銚子電気鉄道」の代表取締役社長が、その企業立て直しに奮闘されたお話が聞きたかったからであります。さらに、社長が開業税理士でもあるとのことで、興味深く思ったからでです。 千葉県銚子市というと、千葉県の東の外れの漁業の街というイメージですよね。人口もさほど多くないのでは、さぞかし経営も苦しいだろうということが、想像できますよね。市の人口は、ピーク時から3割減少し、5万6千ということでした。こちらのほうでいう「樽見鉄道」「養老鉄道」のようなローカル線を思い浮かべましたが、それよりもさらにローカル路線である銚子電鉄線です。わずかに6キロ強の路線長のところを20分かけて走る遅さです。ですから、平均速度は時速20キロにも満たないのです。それは、車両の性能が十分ではなく最高速度時速40キロに制限されているからということです。 会社の歴史では、「親会社京成電鉄から切り離されたのち、土建屋の子会社になり、その土建屋が倒産して境地に陥り、さらに悪いことに、社長の会社財産横領が発覚、各種補助金が受けられなくなるという」ように苦難の連続があった鉄道でありました。 あまりにも経営状況が悪いローカル鉄道なので、鉄道の車掌は、「車内販売」もやり、切符の販売、改札までと幅広く仕事をやっていたようです。醤油作りがさかんな土地柄に目を付けた同社の専務が発案して「ぬれ煎餅」の製造販売を考えられたのです。試行錯誤の末、出来上がった煎餅を必死になって売り込み、鉄道事業以上の売上が上がるようになったというのです。今では、銚子電鉄は、鉄道事業会社としてというよりも、「ぬれ煎餅」を製造販売する会社として有名になっているとのことです。この研修の際、この「煎餅」が講演者より配布されていました。普通の煎餅と違い、固くないので食べる時に大きな音が出ませんので、講演中にも食べている受講者もいました。実にこれがおいしい。ちょうどいい味付け加減なのです。個包装になっているので、分けて食べやすいのもメリットでしょう。パッケージに「銚子電鉄」の文字も見られます。普通にお菓子屋さんの煎餅の味で、表記がなければ、鉄道会社が作っているなんて気が付かないでしょう。 また講演の最中も、大いに「笑い」をとられた社長さん。銚子にある調子のよい鉄道みたいなふうで、「合格祈願お守り」も出したり「お化け屋敷電車」のような催しをやったり、常日頃から目立つお調子者的な(失礼)企業行動をされているなあと。もちろん、鉄道は安全第一でしょうけどね。 現状が良くない状況であったら、改善しなければなりません。不利な環境下、いかにそれに対処していくのか、それをあきらめずに少しずつでもいい、前を向いて改善していこうという姿勢を持ち、行動を起こしていくことが大切だと思います。 経営者は、現在の会社が置かれている状況を「正確に」「タイムリー」に把握せねばなりません。そのお手伝いを私たちはしています。将来的な目標を皆さんはお持ちでしょう。その目標を達成するためには、どのような施策が必要なのでしょうか。
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京セラドーム大阪に行ってきました
先月は、バンテリンドームに行ったというタイトルをあげましたが、今度は大阪の京セラドームへ行きました。 このドーム球場は、パリーグのチームであるオリックスバファローズの本拠地。どちらかというと今までは不人気であったのもあり、 今まで行ったことはなく、今回初めて行きました。調べると開場からは26年ほど経過しているとのことでしたので、ほぼバンテリンドームナゴヤと同じ時期にできているようです。ですが、この二つの球場は外観が随分異なっていますし、交通事情の良さが圧倒的に違ってきます。外観は、いい意味では近未来的な外観を持つ京セラドームが大変個性的であると思います。あと交通事情ですが、京セラドームは圧倒的に便利です。地下鉄の出口を出るとすぐにドームがそびえているという感覚ですし、大阪環状線の大正駅からは「徒歩」でも10分はかからないし、沿道がにぎやかでちょっと入っていこうかなというお店もあります。さらに良いのが、歩道も十分確保されていて、ガードマンも配置されて交通整理をしているのが好感をもてました。 行きは、新大阪から大阪まで出て環状線というルートを通り、帰りは、ドームから近い「ドーム前千代崎」駅より地下鉄で心斎橋にて御堂筋線に乗り換えるというルートで新大阪まで行きましたが、いずれもストレスのない移動時間であったと思いました。 京セラドームの建物自体は非常に目立つので迷うことはありません。ドームにたどり着くまではほとんどストレスがありませんでした。 ところが、身体の不自由な身からすると、客席の勾配がきつくて、何度も階段をのぼりおりするのはためらわれました。決して広くない通路でありますし。 さらに、どこでもそうですが、通路側の席ならばいいのですが、通路から離れた席だと、身動きがしづらいのです。前の席との間隔にも余裕がないこともありますしね。結局、試合開始から延長にもなった試合でしたので10回まで、席を立ちませんでした。とても良い試合ではあったからでもありますが。 勾配がきついという観客席は、前の席に座る人が視界の邪魔にならないという良い点もありますのでね。 球場内のスコアボードなどを映し出す大画面では、選手の動画が、登場曲にシンクロして流されるなど面白い工夫がありましたね。あとプチプチデーと銘打って開催されたゲームでしたが、スポンサーが緩衝材、梱包資材を製造する会社さんということでしたが、社長が始球式に登場したり、配布されたミニうちわにも宣伝があったりと、プロ野球は数多くのファンにも支えられているから、企業宣伝の場にはうってつけなのであるということが実感できました。 印象に残ったのは、京セラドームのアクセスの良さ、行きやすさでした。東京ドーム並みのアクセスの良さだと思います。さすが、二大都市の大阪市。交通の便はばっちりですね。
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大盛況の屋台村:いびがわ花火にて
4年ぶりに大々的に開催された花火大会。やはり人々の4年の思いが詰まった瞬間だったのでしょう。揖斐川町役場の駐車場には非常に多くの人が集まり、大賑わいという感じでした。ビールを持って飲みながら祭りを楽しむ人が多かったように感じます。例によって、アスファルトの上は大変暑くより飲みたくなる雰囲気だったのです。マスクをしながら楽しむ方も少なからずおられたので、そこを除けばおおよそ4年前に戻りましたね。この瞬間が来るのをどれほど待ったのでしょうか。この間の変化とすると、キッチンカーが完全に市民権を得たこと。主催者としても、テントや電気の用意が必要ないので、出店料を安く設定していました。 揖斐川町商工会からの栄町・前島支部で催事をやってもらえないかというお願いをされ、支部の執行部の方より、催事開催の打診があり、催事実施の決定が行われました。長らく支部では「金魚つり」を催事として行ってきたのです。しかし、余ってしまった金魚の処分問題、暑い夏で、水温の上がる中での生き物の管理の難しさという問題、金魚調達が年々難しくなっている問題がありました。金魚の処分ですが、残った金魚を大量に近郊の川に流すことは、生態系に影響を及ぼすものでもあり、金魚がかわいそうであるとも思われます。熱い水になってしまうことを防ぐ手立てとして、氷を調達して、水の中に随時投入するということを行っていました。金魚の調達については、調達のために往復2時間程度動いていたのです。伊勢湾近くの弥冨まで車で仕入れに行っていました。決して、店が、金魚を届けてくれていたわけではないのです。かといって、金魚をつったあと、金魚を持って帰りたくないという方も数多くおられて、それもまた困るのですよね。金魚をいじめているだけって感じになりませんか。 支部執行部の方より提案されたのは、「風船ヨーヨーつり」「スーパーボールつり」。従来から持っていた水槽などを利用した夏の縁日によくあるお遊びでした。全会一致で、金魚つりから変えることが決定されました。当日の準備が2時間半程度で、開店となったのが、午後4時30分頃。非常に多くの方々に喜んで遊んでいただいたと思います。小学校未満向きの遊びが少なかったためか、長蛇の列ができて、風船は用意していた200個が早々となくなり、スーパーボール、小さいおもちゃなどもあっという間につられて、大勢の子供たちの手に渡っていきました。花火が始まる午後7時半頃には、スーパーボールも全くなくなってしまい、大盛況のうちに終了してしまいました。ここまで人気とはねえ、コロナで自粛されてきた縁日のようなにぎやかさを子供に体感させたいという親さんが多かったのではないでしょうか。さほど大きなトラブルもなく、親子のはしゃぐ姿を見て、夏の夜は、やはりこんなイベントがないとなあという気持ちになりました。イベントが元に戻って本当に良かったと多くの人が感じていると思います。 商工会の支部の役員は、3年ごとの交代で、今年は3年目の最後の年でした。3年間、結局何ら活動しなかったという風にならずに済みました。金魚すくいもでも同じように列ができ、次から次に、小銭の受け渡しを行ってという嬉しい悲鳴でした。決して営利が目的ではなく、イベントに来場された方にいい思い出となればという気持ちで私は、役をできる範囲でやらせていただきましたが、いつもは、見られないくらい数多くの幼児、児童の喜ぶ顔が見られ、悔しそうな顔が見られてよかったと思いました。意外に揖斐にも子供がいるもんじゃないですか!とも思えたのですが、実際来ているのは、揖斐川町在住ではなくて、「揖斐川町」に縁故のある子どもたちも含まれているるのでしょう。でも、そんなことはいいんです、揖斐に良い思いを持ってもらえたら、揖斐で良い思い出を作ってもらえたら。
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4年ぶりの規制なし花火大会開催
花火大会というと地元揖斐川町では、揖斐川町役場南1キロ弱のところから打ちあがる花火があまりに有名で、歴史もあります。私の幼いころにもあったのでおそらく50年以上の歴史はあるのではないかと思います。以前ですと開催日は8月8日と決まっていたように思います。5月のいび祭りのメインロードでもある本町通では、花火は建物密集地であるので、きれいには見られませんが、独自の飾り付けがあったり、イベントを開催したりしていました。中学の頃は、吹奏楽部に入っていたのですが、以前の十六銀行のあった場所で、演奏した記憶があります。 もともとは、いびがわの祭り、花火大会は、いびがわの川の恵みに感謝する祭りでもあり、川の氾濫がないように祈願するという祭りでもあります。その祈願のイベントは、けやきパートナーズ税理士法人の所在地の町内である前島にある「水神」に対する祈願という形式で残っています。「水神社」は、堤防よりも川の中にあり、あまり目立ちませんし、標識すら立っていない場所にあります。当初のイベントから変更された点が、いくつかあって、花火の開催日がまず変更されました。今年は、8月5日に開催されました。多くの人が休みを取れてゆっくり花火を楽しめる土日の開催と現在では変更されています。それと、10年程度前からだと思いますが、花火の打ち上げ場所の変更がありました。以前は、揖斐病院の南東あたりから打ち上げられていましたが、現在は役場南よりもやや西と変更されました。すなわち以前は岡島,前島橋よりも下流で打ち上げていたのですが、より上流に変更されました。祭りの露店は、国道417号で出店していて、国道が歩行者天国になっていました。多くの人が栄町の商店街を歩いていましたし、病院前から観る花火は大変に迫力がありました。 より打ち上げが西に変更されたことで、揖斐川町役場から十分に見事な花火が鑑賞できるようになりました。ですので、役場前の大駐車場がメインの会場になりました。当事務所は、役場より300メートル程度西に行った場所にありますので、役場の駐車場よりもさらによく見える場所にあります。いつも年に1時間程度の事ではありますが、最高に贅沢な時間を過ごすことができる場所であると思います。 今年は姪が、彼氏をともなって見に来ていたようですが、小さい時以来きっと20年ぶりくらいの花火に感激していたようでした。そうです、今回は4年ぶりです。花火大会は、短時間にものすごく大勢の人が訪れ、それが夜であるので、いつもはひっそりした揖斐川の町がぱっと明るく活気に包まれるのです。4年ぶりに開催ということで、いつもと風景は様変わりしたなあというところもありました。 その一つが、私の所属している揖斐川町商工会の「栄町・前島支部」で行った屋台村での催事でした。栄町、前島はともに祭り会場からほど近いので、祭りを盛り上げるということからずっと催事を行ってきたのです。その催事の内容が、支部の話し合いの末、変更して開催されました。具体的には、次回掲載のコラムにて綴っていきたいと思います。
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すべて機械的に対応する愚—お客様の気持ちを汲みとれない企業
①企業向け財務ソフト等を開発販売するソフトウエア会社 この会社はソフトを会計事務所を通して「認知度」をあげていこうと懸命ですが、絶対に会計事務所を訪問することはしません。全部、オンラインでの相談が基本なのですよね。従来型の会計事務所にとって使い慣れた方式の入力ではないのに、対面で教えないというのは、本当にユーザーの事を考えているのだろうかうと疑問に思います。画面構成が分かりやすいのであれば、文句は言わないのですが、決してわかりやすくはありません。この会社、軌道修正するべきでしょう。何が何でもオンラインでないと対応できないと強引に突っ走るのではなく、対面での研修、相談コーナーも増加させない限り、このソフトが会計事務所に浸透していくことはないと思います。 ②ある回転寿司の大手チェーン店 とにかく、人の説明を省きたがるお店だと感じます。まず、店にお客様が入ったら「いらっしゃいませ」とお客様の顔を見ながら、明るくご挨拶するのが当然ではないようです。まず「いらっしゃいませ」とか「ありがとうございました」という言葉が、ほとんど聞こえません。入店して、だれも店員が出てこないので、食事のテーブルに一番近くにあるタッチパネルを触ってましたが、何も起こらずでしたので、ほっておいたら、「何か御用ですか?」というつっけんどんな物言いの店員の声。「食事に来たんだけれど」というと、「あちら(別のタッチパネルを指して)で受付をしてください」と言われました。その表情は、そんなこともお分かりでないの?とでも言いたげな表情でありました。 番号の書かれた席に着くと、回転レーンの近くに注文できるタブレットが設置されていました。まあ、そこで注文できるというのは、最近あるパターンなので、慣れている。あれ程度の量をいただいて帰ろうと、席番の札をもって「セルフレジ」の方へ行こうとすると、店員に呼び止められて、テーブルで「「お会計」をしてください」と言われたのです。「え?席で会計?」何のことという感じでした。タブレットで、会計という指示を行えという意味なんですね、分かりにくかったですね。そもそも、着席した時に「会計」は、タブレットのここを押して完了させてからセルフレジで、代金のお支払いをお願いします」とキチンというべきではないでしょうか。また、調味料などは、テーブルの上には配置されていないのだから、その位置についても何か言うべきではないでしょうか。 セルフレジについても、当然不慣れな人もいるもので、立ち尽くされている方もおられました。お客さんの理解度に応じた対応をとれないものでしょうか。お客さんが、店の都合とは違う行動をしていても、見下しているような態度をとるのはお客さんを馬鹿にした態度ではないでしょうか。比較的大手の回転寿司チェーン店です。こんな店は二度と嫌だなと思ったので、それをお客様相談室に送ったのですが、2日待っても返事はありません。 ⇒(追記)ようやく4日経って返信がきました。お詫びいたしますと。改善されることを切に願います。 ③自動券売機の前で 池田温泉の自動販売機の前で、入湯券購入のためにクレジットカードを機械に読み取らせようと一生懸命奮闘して何度も買えないでいるお客さんが近くにいるのに、それを放置してなんら お声がけもできない店員さん。気を利かせて、購入の手助けをしてはいかがなのでしょうか。券売機は、確かにお金を取り扱う時に起きがちなつり銭の出し間違い、店員による不正を防ぐものではあるのでしょうけど、お金を入れづらそうにしているお客さんの手伝いをしなくてもよいのでしょうか。「デジタル的対応」が苦手なお客さんをバッサリ切り捨て去るのでなく、人のぬくもりを感じさせる対応も必要なのではないでしょうか。 名古屋市営地下鉄名古屋大学駅の券売機前にて。当日は、名古屋大学のオープンキャンパスということで、15メートル以上にも及ぶ乗車券を求める列ができていた時もありましたが、駅員は全くのノータッチ。なんで、地下鉄乗るための乗車券を買うのに並ばないといけないの?駅員さんが直接売るとか、券売機のとなりで購入をサポートするなどして、お客さんが乗車券を早く買えるように工夫できないものでしょうかね。 いずれも、販売側の都合ばかり優先して、消費者(購入者)の気持ちに配慮できていない「機械に頼った」行動であると思うのです。デジタルとアナログを適度に組み合わせつつ対応することを基本にしていくのが重要であると思います。とりわけ、中小企業は、人間らしく「よく気が付いて、他人を思いやれる行動」ができるよう、「極度」に人の手をカットすることはお勧めできないと思います。
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関西の有名四私立大を語る
8月も5日、6日すなわち8月の第一土日に行われるオープンキャンパス。関西地区でいうと関関同立(関西大、関西学院大、同志社大、立命館大)などは一斉にオープンキャンパスが行われます。オープンキャンパスでは、大学で学べる内容、校風、キャンパスの雰囲気、施設設備の一部に触れられる良い機会であると思います。私はこの4大学を見学しているので、その良いところと感じたことを私見ですが述べていきたいと思います。 まずは、関西大ですが、千里山キャンパスに数回行っています。阪急千里線の関大前駅から5分程度で着いてしまいます。大阪梅田駅にも20分程度で行けてしまうのですが、本当に緑が多くて耕地面積が広くてのびやかな雰囲気がよいですね。さほど高い建物もなくて空も大きく見えるのも魅力です。学生が、とても明るく感じますし、関大前の駅前商店街は学生向けの飲食店が並んでいてとても賑やかな雰囲気です。大阪の人には、大変に人気の大学らしいですね。身近に関大出身の方は数名居られますが、明るく元気でバイタリティのある人ですね。仲良くなりたいのは関西大の方かもしれません。 次の関西学院大。兵庫県西宮に本部のある上ヶ原キャンパスは、縁があって10度くらいは行っていますが、その「関西学院」と書いてある門をくぐると胸がぐっと高揚感があります。美しく統一感のある校舎群、美しく整備された広い芝生に奥にそびえる甲山を背景にした時計台。自分が絵がうまいならば、絶対描きたいと思える美しさです。均整の取れた美しさ、上品さ、街に溶け込んだキャンパスであり、雰囲気が一番いいと思うキャンパスです。ただ、難点は最寄りの阪急甲東園からの坂のキツさでしょう。大阪梅田までも大学からだと必ず乗り換えが必要なのもマイナスポイントでしょう。坂を避ける場合は、JRの駅までバスで行く方法もありますね。それにしても、周囲の道が狭いこと。よくバスを通らせるものだと感心しますよ。関学は、兵庫県人からすると、非常に評価の高い大学のようです。オープンキャンパスで、普段使われている教室にも入ったのですが、重厚な古さがなんとも渋くて、いかにも伝統校といった雰囲気が良かったように思ういます。 四大学の中で一番の人気、同志社大。かつ一番優秀な学生が多くて、就職実績も一番良いと言われています。同大出身の方、やはり多いです。本部の今出川キャンパスを数回訪問していますが、京都の中心部から数キロ北であり。京都駅より地下鉄10分。しかも、最寄り駅からは階段をのぼってすぐに着いてしまうという、立地がとても良い。何より京都御所のお隣で、散歩するにもちょうどいい。ただ、圧倒的に人気ということでだろうか、他の三大学と比べると受験機会が少ない。しかも、すべて共通テスト前に出願を行わないといけないなど、強気だなあと思わされます。共通テストの成績を見てから他の三大学は出願できるのです。入試日程は、関関同立では、一番最後に始まるというのも、やっぱりプライドの高さをうかがわせます。 最後に立命館大。3つのキャンパスが京都、滋賀、大阪にあるのです。一度、大阪のいばらきキャンパスに行っただけですが、この大学の先進性、革新性を感じさせます。いばらきキャンパスは、できて10年も経っていないので、新しくきれいで、空間が広くデザインされています。広い廊下にも、椅子テーブルが置かれて、斬新な空間の使い方であると思います。立命大は、受験チャンスを多く確保しているので、受験しやすさが抜群であると感じます。同じ学部を7回も受験できます。地方受験会場も多いし、国公立大を第一希望とする受験生をターゲットにしている受験方式である「共通テスト7科目型」でどの学部もほぼ受けられることを考えると、受験生にとてもフレンドリーで、全国から受験生が集まるのでしょう。どのくらいの成績があれば合格するのかをきちんと公開しているのも好感が持てます。元は、京都に位置した立命館が、大阪に進出して、受験者を増やそうとする戦略など、大学ブランド力を向上させるのに熱心ですね。そう、いばらきキャンパスの立地は、JR茨木まで徒歩5分にも阪急線に10分強と近いので、当然に人気が出るのですよね。大阪梅田駅まで20分程度で着く利便性ですね、魅力です。 四大学すべてが、美しいキャンパスで、快適な学生生活を送れると思いますね。東京都心私大と比べてのびやか空間で緑の多さが印象に残ります。地方入試という点でいうと、関関同立はすべて実施していて、熱心です。一方の東京の人気私大は、地方入試をやらない大学も多いのですよね。それくらい東京ブランドが高いということでしょうか、地方入試をやらないので、首都圏出身の学生比率は高くなっているのかもしれませんね。 オープンキャンパスに力を入れている度合いは、関大>関学大=立命館>同志社という感じに思えました。いずれも、学生さんが説明する機会が多いのですが、どこでも女子学生が多いですね。対応してくれた学生さんは、みな一生懸命だと思うのです。ありがとうございます。しかし、いつの間にやら「面接の感覚」になっている私。こんな女子職員いてくれたらなあとか思いながら。
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35年前になる20歳の大学時代を振り返る
いつもこの時期になると開催されるものって何ですか?と聞かれたら「夏の高校野球」がいの一番に挙がるのでしょうか。 それとも「花火大会」でしょうか。あるいは、戦没者慰霊祭でしょうか。 税理士業界の私からしますと「税理士試験」が身近でした。そして、高校生およびその保護者からしますと「大学等のオープンキャンパス」ではないでしょうか。私には、三人の息子がいますが、すでに長男は社会人、二男は大学生、三男は、高校二年生ですから、これまで二ケタ近い回数のオープンキャンパス、大学見学会に出掛けています。 首都圏の大学には、まだオープンキャンパスには行っていませんが、私が中央大学卒ということもあり、5大学ほどはそのキャンパス内に入ったことがあります。 今の大学と私の頃の大学、おおむね30年余り経過しているのですが大きな違いがありますよね。ちょっと比較してみようと思います。 まず第一ですね。「学校内でタバコが吸えなくなりました。」大変良いことであると思います。喫煙者にとっては、つらいのかもしれませんが、大学の新入生というと多くは。20歳に満たない年齢です。20歳未満を目の前にして、気軽に喫煙できる環境など言い訳がないではありませんか。大学で、喫煙を覚える若者が今まで大変多かった中、野放しになっていた過去は本当に良くない時代であったと思います。私ならば、「喫煙」できる場所が、身近に多くあるような大学には息子を行かせたくないです。私自身は、20歳頃から喫煙をはじめてしまい、12年間の喫煙時期がありましたが、やはり周囲に流されたと思います。アルバイト先であった飲食店は、休憩所でタバコ禁止でなくて、ついつい真似して始めてしまいました。それよりなにより、大学の中には灰皿が数多くありました。レストラン内、廊下いたるところに設置されていました。教室の中は、禁煙ではあるのですが、あろうことか教室内で喫煙する学生も幾人かいました。タバコの副流煙に臭いなあと悩まされる人も多かったと思います。 第二に、キャンパスの中に「見苦しい立て看板ががなくなりました。」あの看板に書いてある言葉が汚くて嫌でたまらなかったのですが、今ではあの目障りな不快なものを見ることがなくなりました。本当にこれも良いことです。学生運動の象徴のように言われていますが、現在では学生運動など消え去ってしまったかのようです。学生運動って何という若者も多いのではないでしょうか。 それとともに、これについては功罪相半ばと思うのですが、「親が子の行事についていく回数が圧倒的に増えた」ように思います。親にそのような時間が増えた東野もありましょうか?それよりも教師側がより積極的に親に学校に来てくれと言っているようにも感じています。そのような世の中の流れで、子離れ親離れする時期がどんどん遅くなっていると感じます。今の子供たちは、守られているなあ、過保護なくらいに。 さて、昔の方がはるかに良かったのは学費の安さですね。学生たちに手厚く指導するために、どんどん私学の授業料が上がっていっています。以前は、放任主義で学生の自主性に任せていたのが大きかったので、手間が大学側ではかからなかったのでしょう。 次は、関関同立のすべてのオープンキャンパス等を見てきたのでその感想を書いてみたいと思います。皆思うことは同じかもしれませんが、親父目線で、どこの大学ならば、受験させたいかを検討してみたいと思います。私自身は、首都圏にある中央大学で学生時代を送りましたので、関西地区の大学が、以前どのような常況であったかは知りません、。あくまで現状を見てどうなのかですね、そこを見ていきます。