コラム
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WBCを観て思うこと・1次リーグ戦3試合終了
5回目になる野球の国別対抗戦が東京ドームなどで始まりました。第1回の王監督が率いたサムライジャパン優勝、第2回も韓国とのマッチレースを制しての優勝など日本の野球が世界の頂上にあることを誇りに思う2度の開催でした。その後3回目、4回目は優勝に届きませんでした。やはりトーナメントの厳しさでしょう。勝ちしかないという中で「紙一重」での敗北であったように思われました。負けたように思えない大会というイメージで、毎度他の国を超えた戦いを見せてくれている選手たちに感謝するほかにありません。国際大会は、日本を応援することにより我々日本人がまとまれるイベントであり大いに日本代表チームに声援を贈りたいです。 ようやくコロナの規制が緩やかになり「鳴り物」による日本式応援が復活しました。時折うるさいなと感じていた音が、この大会ではほとんど気にならなかったのです。やはり、観客の大声援があってこそのプロスポーツなのかなと感じます。1つのボール、ストライクで観客が拍手する、佐々木投手の剛速球にどよめきが起こる、小さな1つのボールを観客が集中して観ている、そのような観客の中でプレイできることを誇りに思い戦ってくれているのであろうと想像しながら観ていました。ほぼ3試合、休みなくテレビいえパソコンにかじりついて(アマゾンプライムビデオ)私は観戦していました。ちょうど夜の多くの人が視聴できる時間帯にやってもらえるのは、ありがたいことですね。野球のワールドカップにしたいと思えば、サッカーワールドカップのように各国持ち回りにより開催するというのが良いのでしょうけれど、野球が人気のある地域は限られているということでしょうか。今回も「日本、台湾、米国」での開催です。いずれも東京ドームが開催地のひとつで開催されてきています。プロなので、興行が成功するかどうかが大事なのでしょうけれど、世界的に盛り上がりに欠けるイベントであるのが惜しいところであると思います。日本では、人気ナンバーワンのスポーツである野球、大多数がそのルールを詳しく知っているだろう「国民的スポーツ」であるといえます。実際に世界ランキングも日本が1位であるといいます。 やはりナンバーワンというのはいい響きです。特に日本の国際社会での競争力低下が叫ばれるようになり久しいですが、まさにお国芸である「野球」ですが、より世界的にも人気あるスポーツとなり、その中で「トップ」になれればより胸を張れることでしょう。 さて、出場選手が今回もあまりに豪華。名前が知られた超一流スター選手がそろったサムライジャパンです。ところが、そんな中、代表チーム結成ということになって初めて名前を聞いたのが「ヌートバー選手」でした。現役メジャーリーガーですが、大谷選手のような華やかな成績をあげている選手ではありません。外見、登録名からは、「日本人?」「日本チームの一員でプレイできるの?」という疑問がわきますが、出場資格はあるそうですね。お母さんが日本人であるとか、少年期より野球に親しんできたとかをテレビによって知りました。実際、強化試合から1次リーグまで1番打者で日本を引っ張っていますね。気迫ある球際に強い守備には、これぞプロと思えるものがありますし、走攻守三拍子そろった選手ですね。日本で生活した経験がないためか、日本語は片言だけだそうですが、ヒーローインタビューでは、「ありがとう」を連発したり、ジョークで楽しませてくれるなど、すごく好きな選手になってしまいました。多くの日本人がヌートバーのとりこになってしまったんじゃないでしょうか。 あと、もう一人。やはり大谷翔平選手。言わずと知れたスーパープレイヤーでありますが、これほど、画像としてずっと映し出しているのを見たことがなかったのですよね。もうプレイの実力については、みなご存じです。ベンチにいる大谷選手の表情、姿をカメラは何度もとらえるのですが、彼の表情のなんと豊かなことか、本当に日本代表チームにいることを心の底から楽しんでいるように思えました。身振りが大きいのは、アメリカでプレーしている期間が長くなったからでしょうか。大谷選手が人気なのは、その実力もさることながら人柄も含めてであろうなと実感しました。「投打の高いレベルでの二刀流」というのは、歴史的に例がないところで、彼に並ぶ選手はいません。世界から憧れる存在となった大谷選手が、日本に凱旋してきて代表チームの一員として活躍してくれていることが嬉しくてたまりません。 11日は、チェコ共和国と対戦でしたが、アジアの2か国と異なり、選手たちに笑顔が数多く見られたことが違うなと感じました。大量得点差であるから、渋い顔になるのが普通なのに。日本であれば、大量に失点されてへらへら笑っていたら、怒鳴られるのではないかと思うのですが、自由な雰囲気の中でプレイするのが許されているチーム方針であるか、それともお国柄か?この大会に出場し、強豪チームと戦えたことに満足しているからか、しかも満員の観客の前で。そのあたりは分かりませんが、とても楽しそうだということを顔に見せていて、それがチェコの人っていいな!って思わせてくれました。やはり笑顔っていいんです。そう、選手から「マスク」が消えました。マスクがあると素敵な笑顔が見られません。「笑顔」は、明るい社会を作る第一歩です。試合が終わってから友好的にお互いを讃えあうのもスポーツの良さですね!
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脱マスク解禁!?
新型コロナウィルスによる様々な制限が設けられてはや3年にもなります。 あらかじめ設けられた「制限」によって、市民の生活がどの程度守られていたのかそのような検証が全くないのが不思議であります。その効果や如何になのですが、かえってマスクをつける生活を余儀なくされたことによる弊害、会食を禁じられたことによおる損害の方が大きいのではないかと思うところもあります。飲食店などは、営業自粛による補助金によって、かえっていつもよりも所得が上がっているという事業所もあったり、壊滅的ダメージを受けたりと、大きなインパクトのあった3年間であったことでしょう。3月13日より政府は、脱マスクに向けて本格的に社会を動かすようです。世論調査では、マスクを外すのに慎重であるという声も多いようですけれど、「マスクを強いる目」による圧力が、減るだろうことが期待されると思います。私としては、ちょうど花粉症の季節、3月中は着用しておこうと思っています。それ以降は、やはりマスクのある顔は、不自然と言わざるを得ないし、話もしにくいので、マスクを外したいです。 ちょうど、1月下旬発行の事務所通信には、次のような文章を掲載していましたので、せっかくですので抜粋してこちらにも載せます。 『月日の流れるのは早いもので、早くも1月が終わってしまいますね。この1月で、コロナ騒動の期間は、3年ということになり、もうそろそろ以前の姿に戻していくべきではないかということが議論されるようになりました。「マスク着用」が当たり前の日常が定着してしまって、かえって口元や鼻を見せるのに気が引けてしまうという声もありますね。しばらくは、「マスク無し」が当たり前になるのは難しいかもしれません。話をする側からすると、相手の表情が見えづらいことから、相手が喜んでいるのか、怒っているのか分かりにくさがありますね。しかし、説明をされる方から考えると、表情を「隠せる」というところが好都合であると思えるところはこの3年間はあったのかもしれません。その日常となりつつある状態が、元に戻るのです。違和感があるでしょう。 口元が見えるとより「喜び」「悲しみ」「怒り」など伝わりやすくなります。意識的に、口元を緩める練習、口角を引き上げる練習をしておくと良いでしょう。「顔」は、内面を表すといいます。今までは、半分しか見えなかったものが「全部」見られるようになります。より見られる顔というのを意識していこうと思っています。』 やっぱり、笑顔は口元からと思うのです。確かに、目を細めて、頬にしわが寄ると笑っているなと分かるのですが、笑顔が素敵と思える人は、口元が魅力的なのではないでしょうか。「口をとがらせる」顔、見せたくないですね。あくびを隠せるマスクなど、隠すことに何か好都合な部分も会ったのかもしれません。これから、さあ、口元を見せて(魅せて)オープンな世のスタートを!
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ステージ上からの風景 メサイアの余韻
2月12日の演奏会終了から4日間が経ちましたが、未だに余韻が残っています。その日以降、YouTubeにアップされているメサイアの動画を観て、振り返っています。あまりに長いので、全曲を聴くのが億劫であったのですが、一度ステージ上で聴いていると、すっと耳に入ってくるものです。また、より満足に歌えるように準備して本番を迎えようという意欲もわいてきたのでした。聴くだけでなくて、時には自分も参加して古典を味わうというのは、本当にいいものであります。学生時分の味わいとはまた違った感覚でした。ある方に歌ってみるように誘われて始めたのですが、全く初めてのジャンルに戸惑いもあり、覚えていくのも苦労したにですが、こんな経験をできるって、大袈裟かもしれませんが「生きている幸せを実感できる」ひとときでした。 観客とは違った角度から演奏会を聴いて観る立場でもあったのですが、最後の曲の終わいった時の地鳴りのような拍手の嵐に今回の演奏会が多くの徴収の胸を打ったことが想像できました。これは、今までステージ上で体験したことがないような拍手でした。まさに、拍手をする瞬間を待ちわびていたかのような観客であったのが分かりました。きっと揖斐川町で小オーケストラ付きの大規模な合唱が付いた作品が演奏会が開催されるのは久しぶりであったことでしょう。観客にとってもコロナの厳しい行動制限が緩和されつつある喜びを重ね合わせていた方もあるのではないでしょうか。もちろん、合唱団側の多くも、久々の演奏会に胸躍らせていた人も多かったように思います。何と言いましょうか、コロナ時代の終焉を祝うかのような喜び、感動を共有した瞬間であったように思われました。 この日、私の両親と、妻、二男と鑑賞しに来てくれました。3時間近くにもわたる大曲なので、退屈にならなかったか、腰が痛くならなかったのか両親に聞いて観たのですが、「退屈にはならないよ。良かった、もう一度聴きたい」のような感想が返ってきました。ほかの方からも高評価であったようなことを聞かされました。妻からは、あなたの身体が心配で、他の方に迷惑かけはしないかとハラハラしながら見たと。来てくれとは言わなかったのですが、来てくれました。 そうなんです。私は、左半身に麻痺を抱える障害を持ちます。そんな中、指揮の青木先生はじめ周りの団員さん、裏方さんにも配慮いただきました。当日の楽譜を手で持つことなく譜面台に置かせていただき、無事に終演を迎えられました。感謝感激が続くこの1週間です。
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合唱メンバーとして久々にステージへ クラシック音楽万歳
2月12日(日)、約1年前から毎週のように練習をしてきたヘンデル作曲の「メサイア」の演奏会の本番でした。 私にとっては、左半身麻痺となってから初めてのステージでした。練習の時より、よく使わせていただいた揖斐川町地域交流センターはなももの大ホールです。このホール、客として何回か来ていますが、大きすぎず小さくもないサイズ。客席数800程度の収容人数で、非常に音響が良いホールであり、比較的設備も新しく、客席も座る心地の良いものが使われていて、揖斐川町のような田舎でこんなに良いホールがあるのか!と驚かれます。地域交流センター、事務所からは目と鼻の先であり、歩いてもすぐです。十二分に広い駐車場が備わっているので、もっと稼働率が上がるといいのになあと感じます。 合唱というとどうしても女性がやっているイメージではないでしょうか。今回のメサイアを歌った合唱団も例にもれず、女性は60人以上集まるのに、男性は10人に満たずで、いくら経験者が揃っているとはいえ、きついので若手プロの歌手に応援をいただきました。1人当たりの負担が大きいのですよね。メサイアは、合唱部分でいくと40分以上はありますから体力が必要なのです。 私は、メサイアを歌った経験は今回が初めてですが、合唱経験者である私でも、なかなか手ごわい曲ではありました。残念ながら、完全には歌えてはいません。メサイアは、何度も歌う人がベートーヴェン第九のように多いと聞きます。というのは何度も歌っても新たに発見があるということだと感じます。揖斐川町では、3度目のメサイアであると言います。メサイアが作曲されたのは、18世紀といいますので、300年前の曲が、今もなお歌い継がれているというのは、それほどまでにその音楽、構成力が多くの人から評価されているからであろうと思います。全曲通すと2時間半程度もかかる大曲。正直言って、よほどのクラシック音楽好きでも、つらくて途中挫折することもあり得ると思えます。音楽だけで、救世主キリストの一生を描いてしまうという途方もないことをやり遂げたヘンデルは、大天才と言わざるを得ないと思います。 それとともに、今回指揮いただいた青木洋也氏の指揮、指導ぶりも素晴らしかったです。顔でもどのような音を出してほしいのか分かりますし、指導でも卓越した歌唱能力を披露されますし、次から次に繰り出される指摘は、的を射たものばかり。今回は、指揮だけでなくて、アルト歌手でも出演されるなど、彼もやはり天才なのではないかといつも思わされます。 100人程度がステージで演奏し、それを約600人程度に聴いていただけたのではないかと思いますが、やはり聴衆がいるのといないのでは、違いますね。合唱団メンバーが主に集客したのでしょうけれど、空席が目立つ客席を前にして演奏することほど寂しいことはないものです。聴衆が多いと、それなりにプレッシャーを感じるものですが、それがまた心地よく、左半身麻痺の私が、よくも3時間近くもステージに居られたものだと正直、自分の頑張りに拍手という気持ちになりました。それとともに、約1年間苦心したこの大曲との別れかなあと感慨深いものがあり、最後の「アーメン」では、涙がこぼれ落ちそうになりました。コロナ禍で、いろんな演奏会で、「ブラボー」がなくなっていたのが、今日は久しぶりに「ブラボー」を聞いたなあと。その一員で微力ながらいれたのは、幸せなことであるなあと思ったのでした。
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郵便番号7ケタ25周年
今となっては当たり前になった郵便番号7ケタ。以前は、5ケタであったのを知らない若者もいることでしょう。郵便番号7ケタになることで、「郵便番号辞書」ができました。郵便番号が正しく入力されていれば、正しく住所が変換されるようになり入力の効率化に役立っています。今となっては、住所を記入すれば郵便番号も自動で検索されるということもあると思います。 当時は、なんだ2ケタも増えて面倒だなあと思ったものです。2ケタ書くのに枠の書かれたシールも貼ってました。住所から検索するために郵便番号簿が5ケタの時よりもずっと厚くなりました。以前は、あったものに「郵便番号簿」というのがあったのを思い出します。今も残っており、無料で配られるようですが、一般的には使いませんよね。普通は、インターネットで番号検索をするのではないでしょうか。いまだに、「電話番号案内」というサービスはあるのでしょうけれど、これも使われずにインターネットで検索してしまいますね。インターネットは、最初にパソコンによって関りがありました。ところが今やスマホでほとんどの人がインターネット検索を利用しています。そりゃ、スマホで調べるのが便利ですよね。 さて、郵便番号が7ケタ化されたのは、いつでしょうか?実は2月2日から。25年前の1998年(平成10年)です。 この1998年2月2日というのが、私にとってはとても大事な日なのです。この日、私は「婚姻届」を岐阜県本巣郡穂積町(現在瑞穂市)に届けました。その前日に大垣駅前にあったチサングランドホテルで、結婚式を挙式しましたのでよく覚えているのです。2月1日というと通常は、寒く雪も降るかもしれない時期です。それにもかかわらず、よく晴れ上がり、見事に雪の心配がなかった日であったことを覚えています。 はい、手前みそな話で恐縮ですが、銀婚をむかえました。男児3人授かり、昨年長男は就職し、3人ともに義務教育を終えて、2人は成人しました。日が経つのは早いものです、どんどん子供たちは成長し、親から離れていくのですが、それが大変頼もしく、楽しみな毎日を送っています。今日節分の日。大学生の二男は春休み中なので、事務所の手伝いをさせています。穂積のお客様のところまで送迎してくれました。揖斐穂積間往復1時間あるので、その時間運転しなくてもいいというのは、身体的な負担が少なくてありがたいことです。 これから日が長くなる季節。厳しい寒さも徐々に和らいでいく時期です。「冬来たりなば春遠からじ」を実感させられる日々になりました。
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税務署と税理士の関係について思うこと
昨年のこと、税務署と税理士会が懇親会をやって、税務署側の幹部が女性税理士にセクハラ行為をしたという記事が掲載されていました。 この記事に関して、その税務署幹部がとった行動については、非難に値し、セクハラ行為が根絶されるべきは当然のことであると感じたのであるが。「税理士と税務署が飲み会などしていてよいのか?」というその記事の読者の感想が掲載されていたので、それについての私の感想、意見を述べたいと思います。 まず、「税務署と税理士」の関係性について、どうあるべきか考えてみます。税務署は、納税者が、税法に照らし合わせて、適法に税務申告されているか、期限内に適切に納税されているのかチェックします。そして納税者が、違法な申告、納税をしているならば、「加算税、延滞税」というペナルティを科します。 税理士は、納税者が「適法にかつできる限り有利になるように税務申告納税できるようサポートする存在です」。複雑で変化の激しい税務に関する法令について、一般の納税者は、自身が誤って申告納税して損失を被りたくないと考えることでしょう。そのため、法人経営者や個人事業主などは、税理士または税理士法人に有償で税務に関して顧問となって「税務申告書の作成」を任せることが多いと思います。中小企業者は、税のことは、専門家に任せてその時間をご自身の事業繁栄に使っていただきたいと常に思います。 そうです。「税理士」と「税務署」の共通項。納税者が適正に申告納税できるように導く社会的責任を負っていることで共通しています。税金は、公平な制度であるべきです。税法に規定される法令が各納税者の公平であることは必要ですが、この話は別途させていただこうと思います。納税者が税法に則って申告納税をしていただくことにより、法律で規定された平等、公平が達成できるのであると思いますが、それをともに支えるのが「税務署」などの国税関係の官公庁、「税理士」そして税理士会員で構成される「税理士会」です。 納税者の便宜をともに図っていく税理士会と国税当局については、互いに連携を図り、税務行政が円滑に動くように協力していくという体制は、我が国で採用されている自身の納税額について自身で法に沿って計算して納税するという「申告納税制度」にとっては、望ましいことです。税理士会と国税当局は、時に意見交換会を行っていたり、税務署が税理士会の支部集会の席上で、「税務に関する税理士に対して理解いただきたいこと、依頼事項」が伝達されています。ただ単に、そのような「協議会」「口頭による通知」「挨拶」などだけで、両社が理解しあえるものでしょうか。 私は、あまり下戸でありますが、少ないながら飲酒したり、ともに同じものを食することにより、両者の「壁」が薄くなったり、なくなったりするのを感じます。厳しい追及をする調査官という顔から離れた税務署の幹部は、ほとんど人間的に素晴らしいと感じる方々ばかりだという印象を持ちました。そうなんです、懇談会、懇親会のような役割は大切だと思います。ですから、私は国税当局と税理士会の税理士が酒を酌み交わし親睦を通して、互いを分かり合うというのは、あってしかるべきということです。もちろん、公務員倫理法の観点から、両社の過度の癒着を排除するべきですので、国税の方々には相応の会費のご負担をいただいています。 私は、以前「名古屋税理士会」「税理士会大垣支部」の役員の任をさせていただきましたが、役員は、税理士の地位向上ということも関連はありますが、主に中小企業者である納税者の代弁者となって国税当局に要望を出しています。本当に社会的使命感をもって動かれる献身的な姿勢を持った役員さんが多いのです。役員を務めさせていただき、「税理士」である誇りと喜びを感じさせていただきました。残念ながら、この数年は身体的な障がいを抱えてしまったため、役員の責務を果たせないと感じ、辞退させていただいています。 税務署は、納税者にとっての一番身近な窓口です。最近の窓口対応も大変丁寧で良心的になっていると感じます。まさに「サービス業」のようです。納税者は、まずは国税庁のホームページで調べる⇒それでも分からないことは税務署に質問する⇒たくさん質問があったり、自分で手に負えない、時間をかけて教わりたいという場合は、税理士または税理士法人の事務所に問い合わせるとよいでしょう。 当事務所では、税務及び会計の専門家としてみなさまのお役に立ちたいと思っております。どうぞお気軽にお電話ください。長文ご容赦ください。
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年頭のご挨拶
あけましておめでとうございます。新春を皆様いかがお過ごしでしょうか。新たな年が皆様にとってうさぎが跳ぶごとく飛躍となるようにお祈り申し上げております。本年もよろしくお願いいたします。 令和元年12月本格的には2年3月より始まった新型コロナ感染症よりすでに3年近くの時が経過しました。3年前の4月、コロナ陽性者の数は非常に少なくこれで「緊急事態宣言」ってなぜなのか?自分はコロナにかかる気がしないとずっと思っていました。今現在12月21日でも、私と同居家族はコロナ感染した経験がありません(予防接種で、息子が後遺症に悩まされた程度)。ところが、事務所では11月後半からコロナの影響で休暇をとるものが出始めて、それが続出して、いよいよコロナが身近になってきました年末でありました。それとともに、サッカーワールドカップで、日本が強豪欧州2か国に勝つという「ドーハの歓喜」を日本国民が共有するという機会に恵まれました。ワールドカップの会場を見ると、もうマスクをしている観客は目立ちません。これが、日本でもスタンダードとなることを願ってやみません。 師走に、11月に公開された新海誠監督作品の3年ぶりの新作「すすめの戸締り」を家族4人で鑑賞しましたが、非常に素晴らしい作品であると思います。相変わらず美しい作画に目を奪われますが、今回はとりわけその物語性も良かったと思います。最近の3つの作品に共通するのが、「災害」を通してつながる絆、愛ということではないでしょうか。それとともに、いずれも「東京の街」が舞台として登場します。言わずと知れた日本の首都でありますが、地方分権が叫ばれてもいっこうに東京に人口集中は歯止めがかかりません。それほど東京の魅力は大きいということでしょう。その東京の基礎を作ったのは、徳川家康と言われています。政治の中心地を京都から当時は、辺境の地であった場所に移し、その土地に都市基盤を築きました。江戸幕府が、250年を超える間、倒されなかったのは、家康の地盤固めが大きかったのではないかと思います。 令和5年の大河ドラマの主人公は、「徳川家康」。家康を演じる松本潤さんの容姿、演技も注目かもしれません。しかし経営者であれば、「家康」の決断、生き方、考え方も学ぶところも多いと思います。なぜ家康が、戦国時代最後の勝利者になりえたのかを考えつつ観ることをお勧めします。おそらく、経営のヒントにもなることでしょう。 経営者は、「生き方」を学ぶとともに、たびたび申し上げているように「時代の潮流」=トレンドを読む力を養い、それに適応していくことが望まれます。そのためには、「観察力」も重要なことではないでしょうか。自分の観察力では十分とは言い切れないでしょう。であれば、他人の力を借りる、他の経営者と交流する、また従業員の意見に耳を傾けるということも必要です。最後に、やはり「商品力」です。選ばれる商品を創るために、経営者は何をすべきか真剣に考えねばなりません。
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鎌倉殿のフィナーレに感動!
すでに最終回から10日経ってしまいましたが、ようやく最終回をNHKオンデマンドで観ました。 この一年間、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を観るのが毎週の楽しみであったので、それがついに完結して、そのフィナーレが今までとの対比するとあまりに平和的でもあり胸に刺さるものでありました。主人公北条義時(小栗旬さん)の最後の描かれ方、戦場で華々しく死ぬとか、裏切られて切り付けられるとかではなく、血生臭さは少なめであったのが良かったのかなあと。役者さんは、年をほとんどとらないのに、ドラマの中では、徐々に年を重ねていく、その変化を衣裳、メイク、所作、セリフで変えていかなければならないというのは、生易しいことではないでしょう。三浦義村役の山本耕史さんは、最終回に「じいさん」とか言われていた三浦役と、実際とのギャップがあって46歳、年の割に若いなあと思いました。 このコラム及び事務所通信でも春に書いたことでしたが、三谷さんのドラマ作りはクスっと笑える部分と、真剣にこだわりをもって作られた部分のメリハリがついているのが面白いのですよね。最終回で、義時が妻に毒を盛られて、それを飲み続けて病となるというのですが、その毒は義時の永遠のライバルである義村から入手したというくだり、フィクションのようにも思えますが、その設定も面白いですね。その義村と酒を酌み交わす場面、あまりにも義村の行動は滑稽であるとともに、ライバルに対する嫉妬心が吐露され、「北条の引き立て役としての義村」という役回りであったことに帰着するように思えました。 結局は、源氏三代将軍を引き継ぎ北条の時代を作っていった北条義時がこのお話の中心ではあったのです。義時は、自身の子である坂口健太郎演じる泰時に政治の継承をさせようとしていきますが、その継承の際の気持ちですね、これが、セリフとなって現れます。「悪いことは、この身にかぶって」から死んでいこうと。よく先代経営者は、息子には過重な負担がかからぬように引き継がせたいと、また借金は自分で片づけてということを言われますが、それらを思い起こさせるものでした。(おそらく脚本三谷さんの創造の産物でしょう) 北条政子の弟、義時を思う気持ち。弟に晩節までも汚させまいとする母性的な心情。義時の最期をみとり、義時の生涯をほめたたえる小池栄子さんの迫真の演技に泣かされました。やはり、親が子を思う気持ち、兄弟の情に寄り添った物語にするところ、型通りではあるけれども、役者さんの名演もあり心を打たれます。 義時の後継である、泰時は「争いのない新しい世」を作るということをテーマに掲げ、親が歩んだ方向とは、違うものを求めていくのですが、経営は変化への対応業という言葉が想起されます。泰時の生きる時代は、義時の生きた時代とは違うのであるから、親とは違ったやり方をとするべきなのでしょう。それが、承継というもの、なかなか経営者は、自らの成功体験、経験から離れたことはしにくいもの、それを可能にするのが、「承継」ということかもしれません。「鎌倉」という体制を保守するという命題は、泰時も同じでしょうけれど。 最終回の冒頭に、来年の大河ドラマ主人公である徳川家康が登場してきました。彼が読んでいたのが「吾妻鏡」=鎌倉幕府が書かせた鎌倉幕府の公式歴史書でした。家康は、吾妻鏡を愛読していたとされますが、その歴史から何を家康が学んだのか。来年の「どうする家康」も、また楽しみたいと思います。