コラム
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第49回日税連公開研究討論会・「税制」に対し提言する税理士会
公開研究討論会は、今回で49回。来年は、区切りの50回目ということで、長年続いてきた伝統ある税理士会の年中行事として存在しています。毎年のように開催地は変わり、その開催地独自のカラーを打ち出しつつ開催されるのも、また楽しいです。税に関して専門用語が多いので、できるだけ分かりやすく、親しみやすくプレゼンテーションするように工夫しているのも素晴らしいと思います。中には、「寸劇」を交えて、観るものの印象に残るように演出する税理士会もあり、「公開」というのであるならば、税制に高い関心のある一般人、とりわけ大学生などにも聴いてもらえるといいように思う面もあります。 私は、「税制」に対する提言のとりまとめを行う税理士会の部会である「調査研究部」に3期6年所属していました。そのため、公開研究討論会への参加を強く推奨されて、京都、千葉、東京、名古屋で開催された討論会に参加しました。今回で、ライブ配信の視聴を含めて7度目の参加となります。私は、税制の現行の在り方に対する姿勢としては、まずどのような税の仕組みとなっているのかを把握する、なぜそのような税制となっているかを知ることが大事であると思います。そのうえで、実務において税務に関わる当事者が困っているところ、不公平感をあぶりだすことではないかと思います。ですから、現行税制の課題、問題点について、ここが使いにくいのではないのか、納税者本位とはかけ離れているよね(課税当局からは便宜かもしれないものも含め)という観点で抽出し、その解決策を提案する活動を税実務に携わる税理士が行うことは、きわめて有意義なことと考えています。 さて、今回は名古屋国税局の管内である税理士の集まりの「名古屋税理士会」「東海税理士会」の研究発表でありました。最初の東海会は、事前に収録した寸劇動画と会場ステージで行う寸劇をまじえながら発表し、その後名古屋は、手堅く壇上にテーブルを並べての「討論形式」で、3部形式の発表しました。いずれも研究員の成果を限られた時間ですべてを発表するのはできないので、関心のとても高いテーマに絞っていました。東海会は、離婚の際に行う「財産分与」に対する課税、「負動産」問題を現在放送中の大河ドラマ「どうする家康」にちなんで「どうする財産分与」「どうする負動産」「どうする税理士」の三本立てでの発表でした。 離婚の際の財産分与で、たとえば夫から妻に不動産を権利移転する場合に、譲渡所得として課税されてしまう問題です。実際に金銭が入ってこないのに、課税されては大変であろうということ、課税するべきではないという主張がなされました。もう一つ負動産について、相続しても、売却、収益価値すらなく、保有すると固定資産税がかかってくるという相続しても有難くない財産についての財産評価について、どのように配慮していけばよいかという問題。確かに、よく話題に上ってきます。固定資産税評価額を基準にした評価にしていかなければいけないかと何度も疑問に思います。よく取り上げてくれたと思います。「負動産」(まけどうさん)という言葉は、十分に定着してはいないようにも思うけれど、面白い観点であったと思います。 途中、東海会を指導する伊川先生も劇中にご登場していたのが笑えました。先生は、発表税理士と年齢が近くてなじみやすかったのでしょうか。家康の残した言葉「人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくが如し いそぐべからず」がたびたび登場し、私たちの業務、責務を「重荷」として例えたのも印象的でした。家康ゆかりの地である「岡崎」「浜松」「静岡」が主要都市として存在する東海会。東海地区の有名武将家康のPRを十分に果たしました。 開会式には、開催地の知事でもある大村知事がご来賓で祝辞をくださいましたが、地元愛知のジブリパークの新ゾーンが完成して、新たに入場できるようになるということでPRされたのが印象的でした。電気で走る猫バスの定員がわずかに5人。どれだけの列ができてしまうか心配であると笑いながらお話されていました。前回は、ナゴヤ飯を召し上がってお帰り下さいという宣伝だったと記憶していますが、あれから8年、すっかりナゴヤ飯も全国発信できたという確信があったのか、今回の祝辞には含まれていませんでした。 このように郷土色豊かに、公開研究討論会を盛り上げるのも一つの伝統なのです。(中編終わり 後編に続く)
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第49回日税連公開研究討論会ーミュンヘン税理士会が初参加
10月13日金曜日に名古屋市の名古屋東急ホテルで行われた日税連の公開研究討論会に参加してきました。昨年は、東京で行われて、現地参加したので、2年連続です。もう私の中では、年中行事のうちの一つと言えます。特に今年は地元の名古屋開催でもあり、以前から気にしていて楽しみにしていました。昨年は、あいにくの悪天候で、風も冷たく吹いていた東京でしたが、今年の名古屋では、名古屋駅から東急ホテルのある栄まで歩くと額から汗が。歩き回るにはまずまず良いコンディションでした。昨年あったコロナ検査キットは、当然なくなり、会場もマスク姿もほとんど見られなくなりました。何より今回の目玉と思ったのは、ドイツ・ミュンヘン税理士会の方が参加されての「日独税制比較」ということが行われたことでした。法律については、フランス法ドイツ法の影響を強く受けてきた日本ですが、税理士という制度が社会的に広く認知されているのは先進諸国ではドイツということなのです。冒頭の開会式で、ミュンヘン税理士会の代表の方がご挨拶されたのですが、日本の経済的繁栄について称賛されていたのですが、当然ながらドイツ語でのスピーチであったので「イン ドイチュラント」=ドイツにおいてはという言葉くらいしか耳に入ってきませんでした。ドイツ語らしい音というのは分かるのですが、聞いて耳に残り意味が分かるというレベルには全く到達できません。ドイツ語は、大学の二年間、一般教養で習ったのと、グリークラブ(男声合唱)でドイツ語の歌を歌ったくらいですから。 ドイツという国にも大変親近感を覚えています。高校1年の時、イギリスにてホームステイした際に、ドイツ人の年配の夫婦に親切にしてもらった記憶があったので。イギリスでの体験は貴重だったなあとドイツ人を見ると思いだします。イギリスは、ヨーロッパの一部でもあり、ヨーロッパ各国から語学研修に来ていました。中でもイタリア、スペイン、ドイツからの人々と一緒であったのです。クラス分けテストで、「very bad」(これは聞き取れました)という成績だったので、一番初歩的なクラスに分けられ、他国の人と話せなかったなあという思いしかありません。各国の生徒の特徴はあったのですが、ぎこちない英語で話すのも難しいような。やはり、言葉の壁って大きいものです。代表の方の言葉は、日本語字幕つきでしたが、やはりそのニュアンスはドイツ語のまま理解できる越したことはないと思います。でも、外国語の習得は難しいものです。大学2年まで英語をやったのに、いざ話そうとしても話せないですね。 ミュンヘンからの訪日団が、初めて「公開研」に参加されたのは大変意義深いことであったと思うのですが、意見交換と言うには、ドイツ側から質問の投げかけというのがなく、一方的に名古屋会からの疑問に答えるという形式なのが、やや違和感ありでした。ただ、全国的な税理士会のイベントで名古屋会と以前から友好関係を継続させているミュンヘン会を招待できたことは、画期的な出来事であると思っています。海外の税理士会と交互交流している会は、名古屋会以外にあるかどうか不明ですが、やはり税制も他国の優れた制度より学ぶことも大変大事なことであると思います。 ドイツでの「税理士の役割」というパワーポイント資料を引用させていただくと、「税理士は重要な社会インフラであり、ライフラインに関わる重要な職業であると認識されている」と。従って、コロナによる規制を受けずに働くことが要請され、税理士の活躍で大きな社会的混乱を招くことなくコロナに対処できたという側面もあるようでした。それは、税理士が中小企業の給与計算を担っていることから、給与の支給が遅滞する現象は少なかったことが具体的に明かされた。もちろん、日本でも税理士が担ってきた各種支援金受給の申請手続きもドイツでも税理士が担っているという話でした。私の大学時代の指導教授である富岡先生もドイツ語をたくさん用いられていました。税務貸借対照表=シュトイヤビランツ、商事貸借対照表=ハンデルスビランツなどという言葉はまだ頭に残っています。TKC創業者である故飯塚毅氏も、現TKC全国会会長坂本氏もドイツ語を数多く掲載した図書を発行しています。やはり、ドイツに多くを学んできた歴史があるように思っています。 私にとっては、ドイツ音楽も暮らしの一部です。ブラームス、バッハ、ベートーヴェン、という三巨頭はじめ、何度聴いてもあきない音楽が山ほどあります。やはり、日本人の良さは、他国の素晴らしい点をどんどん認めて取り入れているということでしょう。税理士も、他国に倣ってというのが数多くありましょう。また、アジアにおける先進国としてアジア諸国に日本の税制度の優れた点を発信していくことも大事なのではないかと考えています。(後編に続きます)
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兵庫県立文化センター バッハ・コレギウム・ジャパンによるヘンデルのオペラ
兵庫県立文化センターの大ホールで何を鑑賞したかと言いますとバッハコレギウムジャパンの管弦楽によるヘンデルのオペラ。ヘンデルは、バッハとほぼ同じ時代の作曲家で、一番有名なのは、キリストの一生涯を誕生から復活までを描いたメサイアでありましょう。メサイアは、合唱の活躍する部分が多くあり、今年2月に、私も合唱団に加わらせていただき歌う経験をしています。今回オペラとはいってもステージの真ん中に管弦楽団が鎮座していて、実質的にオペラの登場人物が使えるのがほぼ半分くらい。管弦楽団の周囲で歌手が歌い、動くという構成されていて、豪華な背景とか舞台装置はなく、「セミステージ形式」ということでした。部隊の豪華さがなくても、美しい歌唱、ハーモニーがあれば何ら不足なしと感じられる講演に思いました。主役二人、一人は外国人のカウンターテナー歌手、もう一人は国内で著名なソプラノ歌手森麻季さん。心洗われる美しいメロディーに、美声、夢心地の瞬間が何度もありました。いえ夢心地とはいっても、眠りそうなのはこらえて鑑賞しました。今回は、原語であるイタリア語上演ということで、そのままでは何を言っているのかさっぱり意味不明なのですが、舞台の左右に日本語字幕表示があって話が分かりやすかったように思います。休憩を含めた上演時間は、4時間30分。親を討たれた子の復しゅう話や、恋愛というのはよく出てくる話でありますが、それを美しい音楽で紡ぐヘンデルという作曲家、改めて偉大なる芸術家であると思います。日本ヘンデル協会というのが存在するだけのことはありますよね。そして、音楽についての総監督である指揮の鈴木優人氏。チェンバロを弾きながらの柔らかな指揮っぷりで、その姿は、やはり同じく古典、バロック音楽の指揮者である父親の鈴木雅明氏とそっくりです。やはり、芸術家の血は受け継がれるものなのでしょう。開演15時から4時間半経つとあたりはすでに真っ暗。残念ながら、最後まで拍手することはできずに、会場を後にしました。普通のクラシックコンサートの2倍の長さながら、疲労感のない充実した時間だったと思います。 帰路は、すでに頭のなかでこのようにするといいというのがありました。その行程は、西宮北口⇒(阪急神戸線)⇒十三⇒(阪急京都線)⇒烏丸⇒(京都市地下鉄へ乗り換えて)四条⇒京都(新幹線へ乗り換え)⇒米原⇒(東海道線)⇒大垣⇒(養老鉄道)⇒揖斐というルートです。 これは、できるだけ阪急線に乗っている時間を長くするというルートです。あらかじめ調べた通り、西宮北口ですぐに到着した特急に乗り、十三では、京都河原町行きの特急に乗るというのは、行きと正反対です。阪急の電車の外装であるマルーン色、座席の色である濃い緑色に木目調の壁というのは、いかにも高級感があって、阪急線沿線の高級住宅地のイメージにぴったりで好きな点です。十三から梅田の間は、阪急の「神戸」「宝塚」「京都」の3つの路線が並行して走り、十三で枝分かれしているのです。ですから、十三は乗換駅で、かなり多くの人が入れ替わります。ややホームは、狭いかなと思うのですが、乗り換えが非常に分かりやすくできているのがこの駅の特徴であると思います。大阪より京都の繁華街である河原町を結ぶ京都線ですが、JR新快速と違い途中の停車駅が多めであるというのが、マイナスでやや時間がかかります。もう少し停車駅を減らせば、もっと阪急を使う人は増えるかもしれません。乗り換えをした烏丸駅。京都のビジネス街とでしょう。地下鉄とも乗り換えができます。京都駅へはわずかに2駅ですが、やや運転間隔があいていますね。京都地下鉄の独特な列車発車ベルは面白いと思います。日本の音、京都の音ですね。さて、京都駅は、大きな駅で、切符を買わなければならないのですが、新幹線改札の近く友人の切符売り場がありません。券売機で買うものの、障がい者用はどれを押せばよいかがわかりません。ブザーを押しても係員があらわれないので、しょうがないので普通に乗車券、新幹線特急券を買って乗り込みました。京都から米原間は1駅ですので、自由席料金は安めの設定で、1駅間でも乗る価値はあるのです。しかし、出発時刻ぎりぎりでした。わずかに20分弱の乗車時間ののち、米原駅に到着。 大垣駅での乗り換え時間よりも米原駅の方が長めであったため、米原駅の駅員に確認してみました。障がい者割引していないから、障がい者割引に変更して、差額を返金していただけますかと。5分程度の時間はかかったものの変更していただけました。米原駅の駅員さんには大変お手数でしたでしょうけど、嫌な顔せず対応いただけありがたかったです。言ってみる価値はあるのだなあと思わされました。 今度は、もっと時間に余裕をもって、京都烏丸でランチなんかできるといいなあーとか思いながら、あわただしく時間に追われて過ごした日帰り演奏会ツアーでした。
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兵庫県立芸術文化センターは、実にいいホールでした
私はJR線以外の鉄道に乗るのが好きです。中でも好きなのが阪急電鉄です。その「阪急」をできるだけ楽しむコースで、兵庫県西宮のコンサートホールまで往復しました。まず、行きは京都と新大阪の間にあるJR茨木駅で降車しました。JR茨木駅は、立命館大学の大阪いばらきキャンパスの最寄り駅なのです。前回キャンパス見学会では、学食でたべられなかったので、行ってみようと。ちょうど午後1時を回って空腹になってきましたから。駅から歩きでわずかに5分程度。途中に歩行者専用の通路もあって、大変歩きやすく、かつ電車の線路沿いで分かりやすいです。校舎内、土曜日でしたのでひっそりとしていましたが、非常に新しい建物で、通路も広くとってあって、気分の良い空間と感じます。校舎内歩くと、「麺」を売り物にした食堂が見えてきましたので、そちらで食べることに。あまり安くはないのです。しかも学生以外は、200円増しと書いてあります。まあ、どう考えても、学生とは思われないだろうから、学生外料金を支払いました。食べたまぜそばは、あまりボリュームはなかったものの、麺はもっちりして、明太子もたっぷりで、味には納得感がありました。この時点で午後1時半回っていました。午後3時開演なので、最寄りの阪急西宮北口駅にはその30分前までには着いていたいところでした。実際、経路検索をしてみると、阪急の茨木市駅から乗車しよという表記があるではないですか。立命館から近いのは、南茨木駅だがと思ったものの、初めての阪急茨木なので、スマホのナビを頼りに約20分歩きました。途中は、ほとんどが住宅街で、商店街というのはありませんでしたが、のんびりした街並みの広がる茨木市内に。ほっこりとして平和だなあという印象を持ちました。茨木市駅、比較的足が悪い人も使いやすくデザインされていると思いました。ほどなくして、「特急」が到着したので乗車し、十三(じゅうそう)駅へ。神戸方面への乗り換え駅ですが、こちらでもほとんど待ち時間もなく、「特急」の神戸方面行きが到着しました。乗車すると約10分、次の停車駅が目的地の西宮北口。西宮駅は、JRなのですが、西宮北口駅まで徒歩15分かかるということなので、JRで西宮まで行くこともできたのですが、西宮駅では、あまりいい思い出がないのですよね。 西宮北口からは、芸術文化センターはデッキで連結されていて、歩きやすくてこれまた便利です。大阪のフェスティバルホールよりも便利かもしれないなあと思いました。相変わらず天井の高いつくりなんですね。そして、足もとが絨毯ではないのです。木目の床です。無垢材かどうかはわかりませんが、こい茶色をしたフローリングの床に見えました。実に高級感のある内装です。ホワイエの天井からは、吊り下げられたライトがあったり、座席の表示が大変分かりやすいのが素晴らしいことであります。フェスティバルホールもそうでしたが、座席表示が、その座席の二か所にあるのです。これは、阪急の梅田駅からバスに乗った際にも感じたのですが、座席番号表記が、大変見やすく工夫されているのです。大変親切な表記ですね。東海地区、関東ではそのような表記に出会ったことがありません。そうです、階段の幅です。歩幅が小さく、段数を非常に多くしてあるのです。私のように歩行に支障がある方にも優しい設計で嬉しい限りです。この日の公演はとても長く4時間半という長丁場でした。比較的、後ろ寄りの席ではあったのですが、見やすくて音響も適度の残響で歌手たちの美しい声や弦楽のつややかさ、ホルンの豊かな音色が十分に堪能できるホールと思えました。(後編に続く)
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クラシック音楽聴きに関西へ(大阪フィル定期公演)
地方と都会との違いというと圧倒的に違うのが、芸術に触れられる頻度ではないでしょうか。芸術は、生活していく上では絶対に必要というわけでもないし、数多くの人に鑑賞されなければ成立するものではありませんから。人が多い都会部であれば、演奏会の数も多く、舞台の数も多く、展覧会の回数も多くて、観に行く予定も立てやすいものです。 この3年間は、コロナによる規制で、遠方まで演奏会に行くことを避けてきました。よく予定されたものの中止ということもありましたが、今年4月ころからは、コロナ対策は個人の判断という流れになってきたため、久しぶりに演奏会目的で関西地区に行きました。 9月の下旬には、大阪の歴史ある管弦楽団である大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会。大阪梅田駅より徒歩だとやや時間がかかるフェスティバルホールへ。このホールは、なんといってもエントランスが見事で、レッドカーペットを敷き詰めた階段が印象的です。その脇にエスカレータもあったのですが、階段を思わず上ってしまいたくなる華やかさが魅力です。大ホールの入り口手前には飲食店がいくつかあり、開演までに余裕があったので、おつまみ程度を食べてからホール客席へ。この日のプログラムは、シューベルトの長大な交響曲「グレイト」がメイン。前半は、今日の指揮者でもあるハインツ・ホリガ-氏自身の作曲作品含めて、二曲。いずれも耳になじみのないまさに現代音楽で、ほとんど聴いたことがないものでした。珍しいホリガ-自身のオーボエ独奏、客演のハープを加えた二重協奏曲。ホリガ-さんの奥さんがハープ奏者ということで、ホリガ-夫妻のために書かれた作品だそうで。後半は、私の好きな交響曲であるグレイト。この大阪フィルの演奏を一度聞いていますが、それが良かったため、同作品のファンになり、自宅でもグレイトを何度も聴きこんでいました。しかし、ホリガ-指揮のグレイトは、まったく違っていました。音を満たすのではなく、パートごとのメリハリを持たせた演奏。かといって大きな音量を追求しないようなタクトであったので、オーケストラの方がよく意図をくみとっているなあという印象を持ちました。その象徴的なのが、最終楽章の終わり方であったように思います。意外にも、静かな終わり方であって、多くの聴衆が拍子抜けしたのではないでしょうか。ホリガ-さんは、今はオーボエ奏者というよりも指揮者として、名曲に対して新しいアプローチでその良さを追求しているかのように思われました。具体的には、当日渡されたプログラムに書かれてあり、いつもと違うのだろうということは予想できていましたけど、大いに違っていて新鮮な感じがするグレイトでした。ホリガーさんも、80歳を超えていましたが、お元気で約60分もある交響曲を指揮されました。まだまだ、新しい解釈を、新しい息吹をクラシック界に送り込んでくれそうです。次の10月13日、14日には、名古屋フィルとの共演も予定されていますが、行けるかどうか不明なので、9月の終わりに大阪でのホリガーさん指揮を楽しんできたというわけでした。
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プロ野球ペナントレースもまもなく終了 関西ダービーでいいと思う!
10月になり、さすがに暑い日も少なくなり、朝晩も涼しく湿気が少なくなりましたね。これから2ヶ月半は過ごしやすい気候になって大変ありがたいことです。ようやくエアコンつけっぱなしの生活からは解放されました。そして、この季節だとプリ野球も大詰めですね。ただ、今年については、早々と優勝が決まってしまい、面白みに欠けますが、優勝した両チームが圧倒的に強かったということでしょう。いずれも関西地区のチーム、セリーグの阪神タイガース、パリーグのオリックスバファローズなのですが、開幕当初からほとんど落ち込むことなく順調に勝ち星を積み重ねていったという感じでした。 阪神の岡田監督の「アレ」という言葉が流行語になりましたね。「優勝」というのがタブーということでしたね。あまりに「優勝」を言いすぎると優勝を逃してしまうと。優勝を強く意識しすぎると選手が固くなってしまってというと、なんか情けなく思いますね。あなたがたプロでしょうって。とはいえ、岡田監督の「アレ」作戦がきいてか知りませんが、優勝間近の9月に全く負けずという離れ業でしたね。まったく平常心であったかのような戦い方でした。最近の阪神タイガース、ずっと地力があって強いチームであったのですが、勝ちきれなかったのですが、ベテラン監督がやはりという感じに思いました。岡田監督は、周りを明るくするオーラを発していると思います。大阪出身で、阪神、オリックスで選手時代を過ごし、監督も経験して、再度のご登場で、若い方にとってみると、なんだか年寄り監督ばかりになってしまったなあというように思う方もいたかなと思いますが。前回の18年前の阪神優勝も岡田さんということは、運も良い方なのだなあと思わされます。 対してオリックスバファローズは、パリーグ3連覇になりましたが、記憶にもまだ新しい昨年の最終戦での優勝決定。今年については、余裕があってのゴールインで、選手を無理使いせずに、まさに最後まで「馬なり」でした。先発オーダーもよく組み替えて、調子の良い選手をよく見極めていたのが印象に残ります。まさに、適時に適材適所の用兵力なんですね。そして、若い有能な投手が次から次に登場してくる育成能力の高さは、よく言われていますが感心させられます。打線の柱であった吉田選手が大リーグに行っても、代わりの選手が穴を埋めて、それ以上の結果を作り出していました。リーグ3連覇というのは、私の大学時代の「西武ライオンズ」以来らしいです。あの頃の西武は、本当に役者がそろっていたことが思い出されます。そのようなチームを作り上げられつつある中嶋監督。私と同学年なので、さらに応援してしまいます。それとGⅯの福良さんも現役時代は、イチローの後を打つ「巧打の二番バッター」、「絶対エラーしない安心の守備力の二塁手」でしたので、影となって中嶋監督を支援しているのでしょう。 ペナントの後には、クライマックスシリーズという敗者復活のような試合が組み込まれているので、優勝チーム同士が戦う日本シリーズが100%見れるかどうか分かりませんが、今までにほぼ実現しなかった(過去1度しかなかった)関西ダービーを楽しめたら良いなあと思います。
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伯父の死に接し思うこと
私の伯父が先日天に召されていきました。配偶者である伯母の死を見届けてからわずかに1年でした。1年ほど前、伯父さんの辛そうな表情を見て、母が「お兄ちゃん、しっかりしてよ」と声をかけていたのが、つい先日だったような気がします。従姉妹からは、「早かったなあ」という声が聞かれました。83歳でした。世間の平均から見ると早いのかな、人一倍健康に気を遣っていたのにって。伯父は、一宮に住んでいたので、「一宮のおじさん」と呼んでいました。大人になってからはあまり会う機会もなかったのですが、いつも意識していました。なぜか?自分の顔が徐々に伯父さんに似てきたからです。伯父は、若いころから頭髪が薄かったのですが、私も40代50代と年が経つごとに、徐々に抜けていきました。もともと目が細いところなども似ていたので、ああ自分もこの伯父のようになっていくのかなあと。職業は伯父はサラリーマンでありましたけれど、出身大学が私と同じなのです。「中央の法科」というのを、母が自慢げに語っていました。葬儀式場にて従妹たちに聞き取りをして作成されたと思われる「娘からの手紙」の中身を見ると、やはり私はこちらの血も引いているのであるなあと思わせてくれたのです。「旅行するのが好きで、私たちをよく旅行に連れて行ってくれました」とか「やると決めたことは、すぐにやらないと気がすまない性分」であったとか、それって私ではないかと思うくらい。家族を引っ張って旅行に連れて行っていた以前の自分を思い起こさせるものでした。 長男はどちらかというと母親に似ると言われていますが、あまり似ていると言われない創業者の父親と比較すると、圧倒的に私も母親に似ていると言われ続けてきました。そのお兄さんであるので、よく似ていて当然なのでしょう。棺桶の窓が開けられて、伯父の死んだ顔を見るに、自分も30年後くらいには、このようになるのかなあと想像してしまいます。高校以上に大きくなった孫にも囲まれて旅立たれた生涯は、悔いはなかったであろうなあと想像します。死の瞬間がいつ来るかが分からないので、人生は荒波の中を行く航海にようにも思えます。平穏な海を漕ぎ出すイメージではありません。荒波を何度も超えていくという覚悟をもって人生を歩んでいきたい。そして、我が人生に、一点の悔いもなしと高らかに宣言できるように生き方を見つめなおす。そのきっかけを与えてくれる伯父の死であったなあと思います。 伯父との思い出というと、おじさんの家から、電車に乗って名古屋駅まで一緒に行ったことでしょうか。高校3年生の時の夏休みに、大学予備校に2週間だけ通った際に、私にしてくてくれたことでした。満員電車の中で、伯父さんと一緒に行った名古屋、だから安心して受験勉強ができたのかもしれません。一宮のおじさん、ありがとう!安らかにお眠りください!
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脳出血入院から4年が経過して思うこと
私が脳出血で入院したのが、2019年9月9日。早くも4年経過しました。そのほとんどの期間は、コロナによる自粛ばかりの日々でしたので、イベントも少なく、身体を動かすことも少なかったのですが、コロナによる様々な規制も取り払われて、自由になりましたので、イベントもいつも通りになってきましたね。自分にとっては、コロナのおかげで、身体に無理をさせることなく済んでよかったのではないかと思えます。入院当初は、立ち上がることもできず、左腕も全く使えない状態でした、リハビリでかなり回復して車いすから解放されて、杖からも解き放たれてとそこまで来たのですが。今でも走るのはできない、パソコンは、右手一本打ちであり、皿を左で持ち運びができません。そんな身体になりますと、今まで引き受けてきたお役についてお断りさせていただいても、何も言われることがありませんし、天から「無理しすぎだぞ、少し休みなさい」というお告げだったととらえることじゃないかと思います。この4年、最中で「悔しい」と思うことをいくつか経験しました。でも、その悔しさもかなり和らいできたような。当初、全く運転を許さなかった妻が、最近はそれなりに許してくれるようになったり、数多く出かけるようになったからでしょう。外出先で、階段の多さというのは気になるのですが、以前と比べようもないくらい慎重に階段を踏みしめて上り下りをしています。周囲からは、できる範囲で動いてもらえばいいからという感じに思われているでしょう。書面仕事などは、手伝いを頼むことが多くなりました。できれば一人でやりたいという考えで今までやってきたのを、根本的に考え直す必要に迫られました。今まで時間に追われてやってきた仕事をもう少しゆっくり時間にゆとりを持たせてするようにしました。折しも働き方改革と言われている時代ですので、そういうこともありなのではないかと思えました。 先日9月8日、定期的に受診している脳のMRI検査を受診しました。「特段の異常事項もなく推移しているので、安心していいよ」と主治医に言われて胸をなでおろしました。それにしても、岐阜大学病院は、毎年のように変化がありますね。全くとどまるところ知らないという感じです。MRIは、皆さん受診していない人も多かろうと思いますが、検査台に寝ころんで身体を固定されて、しかも頭上を覆われるので非常に閉塞感のあるのです。しかも、非常に騒々しい音が発生するため、大変不快なのです。その騒々しい音が低減されると一番いのですが、そこはヘッドフォンでの遮音効果の向上を期待したいですね。あるいは耳栓をしても構わなかったのでしょうか。閉塞感を緩和するために、今年からは気持ちをほぐすようなアニメーションがあおむけで観られるようになっていました。よりリラックスしやすいように変わっていますね。受付システムも変わっていますね。当たり前のようにキャッシュレスで決済できます。ちょっとアナログなのは、駐車場でしょうか。100円徴収する程度ならば、無料でもいいのではないでしょうか?欲を言えばきりがないのですが、前よりは使いやすくバージョンアップしていると思います。何よりきれいなのがいいですね。「清潔」だというのは、医療機関の評判では大事なことだと思わされました。毎年1回の診察、どうしますか?と主治医に聞かれましたが、あと1年でちょうど5年という区切りにもなるので、「来年はお願いします」と答えました。先生も、さほど私と年齢は変わりません。「お互いに元気でまた来年」が合言葉になっています。