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ビジネス用語に思う

リソース,アサイン,アジェンダ,バッファ,コミットメント…これらのような「ビジネス用語」と呼ばれるものは年々増えているように感じます。この2,3年の間に耳にする機会が増えたビジネス用語といえば「エビデンス」が挙げられます。税務関係のセミナーや書籍を見れば「エビデンスの整え方」といったキャッチコピーを目にします。「エビデンス」は直訳すれば「証拠」になるのですが,「痕跡」や「物証」,「メモ書き」のようなものも含めた広い意味として,わざわざ使われているようです。

さて私にとっては大変馴染みがある「借方」「貸方」という簿記用語。英語の「debit-side」「credit-side」の日本語訳ですが,これを考えたのは偉大なる翻訳家とも称される福沢諭吉です。幕末から明治期にかけて福沢諭吉や西周を筆頭に,たくさんの外来語が日本語に訳されたのですが,その言葉には次のようなものがあります。

「individual」…個人
「philosophy」…哲学
「science」…科学
「time」…時間
「century」…世紀
「right」…権利

このような外来語に接するのは当時の選りすぐりの秀才達であり,彼らが初めて出会った概念を日本語にするための工夫や苦労,教養の深さは言うまでもありません。ところが近年は外来語をそのままカタカナに置き換えて使われることが多く,初めて耳にしたときには違和感を覚えるのは私だけではないはずです。もちろん情報伝達のスピードは明治期と現代ではまるで違っており,いちいち日本語に定義して周知する時間すらないことは理解できます。しかしながら明治期の偉人たちが現代にいたら,このような状況をどう見るのかと考えずにはいられません。

現代における外来語の翻訳語について、国立国語研究所の山田貞雄氏はこのように述べておられます。
『現代日本語において,分かりにくい外来語を言い換えたり,別語を言い添えたりして,上手に外来語を使ってゆこうとするのと,新造の訳語を案出して新規の概念や知識を定着させようとするのとでは,その目的や意識が異なります。既に日常の言語生活に流入・氾濫・混乱している外来語に対応するのと,新規に専門用語や新しい概念の輸入を積極的に意図的に行ったのとでは,おのずから方策も異なるべきと言えます。』

明治期のように,外来語を表す新たな翻訳語を作るというのはどうでしょうか

既に日常の言語生活に流入している外来語,例えば「スマートフォン」という外来語に対して,日本中のほとんどの人が何を意味しているのか理解できるでしょう。今さらこの言葉を日本語で再定義をする必要はありません。ビジネス用語は「なぜその言葉を使うのか」という前提が周知されているからこそ,会話の効率性や伝わりやすさが発揮されるはずです。話す相手や状況に応じた言葉選び,話し方を意識しなければならないと感じます。

監査1課 森山傑