私がまず身近に感じた大都市というと「東京」。大学が東京であったからです。東京の私立大学などクラスメイトはほとんど志望しませんので、異端児扱いされました。私大文系というだけで、批判されるような進路指導であったのですが、きちんとした理由はありましたよ。公認会計士の数多く輩出している大学を受験して合格したまでなのです。慶應義塾大学、早稲田大学はレベルが高く及びませんでしたが、ほぼ志望通りの大学に通うことができました。当時記憶に残ったのは、赤い色のやや古い地下鉄車両「丸の内線」。昭和の香り漂う(当時昭和62年でしたが)早稲田大学までいく「都電荒川線」や西新宿の駅近くにあるカウンター越しで食べる飲食店街。本当にアナログな時代であったなあと思います。当時まだコンパクトディスクは十分に普及しているとはいえず、上京した春にCDラジカセを秋葉原で購入した記憶があります。当時は6万円以上する高価なものでした。どちらかというと洗練されてきれいというよりも、まだ古さの残る東京都心部というイメージでした。そして大学近くの京王線「聖蹟桜ヶ丘」駅や「多摩センター」駅は、どちらも明るく新しく洗練されたイメージで、新しい生活が始まるなあというわくわく感を与えてくれました。今現在は、都心部の大学がもてはやされるのですが、私の大学時代だと八王子の大学が避けられるという雰囲気ではなかったと思います。それか、自分にはそんなマイナスの情報が目に飛び込んでこなかったのかもしれません。東京23区より離れた多摩地方は、自然にも恵まれていて、東京を意識しない地区であったのです。それが田舎者の私にはちょうど良かったと思えたのかもしれません。
そんな郊外の大学であるので、自然と卒業してから足が遠のいてしまっています。卒業してから、東京へは何度も行きますが、新宿から1時間近くもかかる出身校にはいく気がしません。さほど大学には用はないとは思いますが、普段は解放されている大学なので、立ち寄りやすいのであれば、気軽によるのですけどね。研修会などは、ほとんどが山手線の中の地域で行われるため、ついでに行くということにはならないのです。
確かに、アルバイトもできた、大学時代の友人と遊ぶのも楽しかった、クラブ活動も充実していました。そのほとんどが「大学内部」のもので、大学で完結してしまうことが多かったように思います。そして、広がりという面では欠けていたのかもしれないなあと。都心部の大学であれば、より社会人と話せるチャンスはあったかもしれないなあと。もう一度やり直せるとしたら、山手線内にある大学に行けたらなあとは思います。そうですね、一般的に思われているように都心の大学が良いというのは当たっているではないかと思います。そういえば、多摩地区の場合はアルバイトできても、いろんな職種を体験できるというわけではなかったと思います。圧倒的に求人件数も少なかったですしね。