コラム

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ある大学 ある高校を見る視点 経営者として、親として
先々週に大学入学共通テストが終了し、 自己採点も終わり、今はちょうど「出願」の季節です。 そこで、今回は「高校」「大学」を観察して感じたことを話題にしました。 私は仕事柄、組織や環境を見る際に 「どこに資源が使われているか」 「日常が大切にされているか」 という点を、どうしても意識してしまいます。 それは経営者としての習性であり、 同時に、親としての感覚でもあります。 一昨年前の夏に、「かつて自分が通っていた大学のキャンパス」を 久しぶりに息子と訪れました。 学生時代には先進性を感じ、 この場所で学んだことに誇りを持っていました。 建物の配置や動線はよく整理されており、 今見ても基本設計は丁寧だと感じます。 ただ、経営者として、そして親として見たとき、 少し気になる点がいくつも目に入りました。 講義室のイスや机は、昔とほとんど変わっていません。 長時間の講義を前提とした設備としては、 身体への配慮が十分とは言えないように感じました。 急勾配のある教室構造についても、 安全面で改善が必要な段階ではないでしょうか。 食堂や図書館についても同様です。 機能は果たしていますが、 「学生が自然と集い、長く過ごしたくなる空間か」と考えると、 やや物足りなさを覚えました。 時代に合わせアップデートしていく発想を持ってほしいと感じます。 もし今、自分の子どもから 「どんな大学だったの?」と聞かれたとき、 迷いなく 「ここで4年間過ごすのは良い経験になる」と 勧められるだろうか。 そう自問すると、すべてを誇らしく語れません。 一方で、まったく異なる印象を受けた学校もあります。 地域の公立高校です。 校舎自体は大きく変わっていませんが、 学校全体の雰囲気がとても明るく感じられました。 生徒さんの表情が柔らかく、 挨拶が自然に交わされています。 進学実績や偏差値が大きく変わったわけではないのです。 しかし、学校としての「空気」は、確実に良くなっているように思えました。 経営の視点で見ると、その理由は比較的はっきりしています。 冷暖房が適切に整備され、 トイレなどの生活設備も改善されています。 毎日使う場所に、きちんとお金と手間がかけられている。 これは組織からの 「あなたたちを大切にしています」という 無言のメッセージだと受け取ることができます。 また、保護者が進路に適度な関心を持ち、 学校と情報を共有しながら子どもを支えていることも、 生徒さんの安心感につながっているように感じました。 過干渉でも放任でもない、いわば「後ろから支える関わり方」です。 その結果、先生方も押さえつける指導をしなくてもよくなり、 信頼を前提とした関係が成り立っているのではないでしょうか。 その「自由」が、生徒さんの「表情」に表れているように見えました。 経営の世界でも同じですが、 立派な建物や目立つ投資よりも、 毎日使われる場所を丁寧に整えることが、 組織への信頼と誇りを生みます。 教育現場も例外ではないと、改めて感じました。 校舎を建て替えなくても、日常環境への配慮と、 人を大切にする姿勢があれば、組織の空気は確実に変わります。 経営者として、そして親として。 利用する人々が快適に過ごせる「環境づくり」 を考えることの大事さを私は常日頃から考えています。
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なぜ、当事務所には「大きな看板」がないのか
ときどき、こんなことを聞かれます。 「ここ、看板がないけれど分かりにくくありませんか?」 たしかに、事務所の外観には「目立つ社名看板」を掲げていません。 けれどそれは、「出していない」のではなく、そういう選択をしているというのが正確な表現です。 当事務所から役場までは、直進で約300メートルです。 役場前には、「相続のご相談を意識した看板を一本」だけ設置しています。 「存在がどこかを表す看板」としての役割は、それで十分果たせていると考えています。 一方、事務所のある場所は、山が見え、周囲に大きな建物もなく、落ち着いた環境です。 建物の背景に、池田山、小島山が見える自然に同化した事務所と言っていいでしょう。 また役場から事務所までの道のりには、白い建物は他にありません。 そのため、「役場からまっすぐ行った、あの白い建物」で自然と伝わります。 実は、事務所の看板については、スタッフにも意見を聞いたことがあります。 「もっと分かりやすい看板があった方がいいだろうか」と尋ねたところ、 返ってきた答えは意外にも、 「今のままで困ったことはありません」 「かえって、このすっきりした感じがいいと思います」 というものでした。 毎日この場所で働き、お客様を迎えているスタッフがそう感じているのであれば、 それが現場の実感なのだと思います。 実際、以前は電柱広告や建物上部の社名表記、業界団体の看板を掲げていた時期もありました。 当時はそれが経営上、意味のある選択であったと思います。 しかし、役割を終えたものは、整理していく。それもまた、経営判断の一つということです。 先代からは「白い建物は残せ」と言われていました。 この言葉は、どこかノスタルジーのようにも聞こえましたが、今になるとその意味がよく分かります。 白い建物は、景色を邪魔せず、季節や行事、人の動きをそのまま受け止めてくれます。 主張しすぎず、それでいて確かな存在感がある。 この場所には、それが合っているのです。 当事務所は、看板で選ばれたいわけではありません。 腰を据えて話ができる場所であること、 人と仕事の中身で信頼していただくこと、 そして、そこで働くスタッフ自身が「ここでいい」と感じられることを重視しています。 そのために、あえて静かにたたずむ感じにしています。 これからも、 現場の声に耳を傾けながら、 必要なものは取り入れ、役目を終えたものは手放して、 その時代に合った「見せ方」を選び続けていきたいと考えています。
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本日は、今シーズン初の大雪でした
本日1月22日は、初の積雪量40センチとなり、雪かきが本格的に必要な雪の量でした。 当事務所の駐車場は、十分に広いのですが、その広さが災難になり、すべてを除雪するには、とても「人力」ではできるような雪の量ではありません。今日は、何とか駐車場に車を突っ込むことができたのですが、こういう日は、経営者として非常に気を遣います。途中に雪で立ち往生してしまわないか、雪で車を動かせなくなっている人もいるのではないか、お客さんをきちんと迎え入れられるか、雪の量が多すぎると駐車場に入場することができなくなってしまう。そんなことがないように午前6時には気持ちを入れなければいけません。 ありがたいことに、お客様を迎えるために1時間以上早く出てきて雪かきをやってくれるスタッフがいました。雪かきの作業は、非常に足腰に来ます。無理なくやっていただきたいと思うので、業者さんを依頼するべきだと思いますが、この日は近隣の土木工事業の業者さんは、どこも電話がつながらなかったり、断られたりでした。この大雪が、年に5度以上というのであれば、除雪機を買うという選択肢もあるでしょう。しかし、今までにあって3度くらいなのです。であれば、除雪機までは抱える必要はないと思うのではないでしょうか。生活の「インフラ」である道路は最優先に除雪していただいき、そのあとにようやく民間の駐車場の除雪に手が出せるということではないでしょうか。 この雪で、移動もしにくいということから、パートさんには休暇取得のお願いをしました。駐車場の除雪も困難なので、来てもらうことができないのです。これほどの積雪は、年間片手ほどまでに収まる、そして、今シーズン初めての大雪ということで、どこも慣れておらず、混乱していることから考えるのならば、そういう選択肢もありだと思います。 当事務所の職員は、ある程度はこの雪に慣れているのですが、昨日今日の路面は非常に滑りやすくて危険な状態ですね。最近は、事故を防ぐためにあらかじめ通行止めにしてしまうという予防措置が取られるようになってきましたね。賢い対処ではないかと思います。雪は、ずっと降り続けるということでないのであれば、「雪」を「君、ちょっと休んだらどうかというサイン」と考えてもよいと。無理して移動しなくてもいいのではないかと。雪と折り合いをつけつつ、付き合う思考をこの社会は考え始めたのかなあと思わされた一日でした。 1年に数度見られる山並みに雪がかかっていて、白銀の世界に太陽が照り付ける光景は、実に美しく心躍らされるのですが、さて移動となると、勇気を振り絞るとともに、慎重さも身にまとう必要があるのです。本格的な雪の本日考えたことでした。
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会社の最後を看取るのも税理士の役割
開業し、事業を開始することは華やかな出来事です。しかし、それを継続していくことは、決して簡単なことではないと感じています。私自身、これまでに会社をたたむ方を何人も見てきました。中には、夜逃げという形で終わってしまったケースもあります。せっかく築いた関係性が、そのような形で途切れてしまうのは、あまりにも寂しいことだと思うのです。 だからこそ、せっかく開業されたのであれば、できるだけ長く事業を続けていただけるよう支援したいと考えています。失敗の大きな要因の一つは、十分な戦略を持たないまま事業を始めてしまうことではないでしょうか。私どもでは、「経営計画を一緒に作りましょう」とご提案していますが、立案段階から取り組もうとされない起業家の方も少なくありません。 設立から数年以内に会社をたたむ場合、それは結果として、正しい経営ができていなかった証とも言えるでしょう。しかし一方で、20年以上継続し、経営状況も決して悪くない会社であっても、事業を終えなければならない場面があります。代表者の高齢化により気力が続かなくなる場合や、経営者の急逝によって事業継続が困難になる場合などです。 印象に残っている事例の一つに、現職社長の死によって事業が終了した会社があります。その社長とはたびたびお話をさせていただき、先代の葬儀にも参列した、思い出深い会社でした。社長が亡くなられた後、奥様が代表を引き継がれましたが、事業の継続は難しく、最終的に会社は解散となりました。相続税の申告を終え、内容をご説明し、控えをお渡ししたあと、私は仏壇に手を合わせました。 おしゃべり好きで、いつもにこやかだった社長は、今も優しくこちらを見ているような気がしました。奥様が「○○さん、終わったよ。お疲れ様でした」と静かに語りかけておられた姿が、今でも強く印象に残っています。仏間には、亡くなられた社長のご両親の写真が飾られており、端正なお父様と、活発で男勝りだったというお母様のお姿が伝わってきました。こうしたご家族の背景に触れることも、税理士の役割の一つなのかもしれないと感じた出来事でした。 もう一つ印象的だったのは、12月にM&Aが成立し、成約式に出席した際の社長の表情です。75歳を過ぎ、早く引退したいと思いながらも、従業員のことを考えると辞められなかったという方でした。後継者候補として考えていた従業員が急逝し、息子さんについても適性や意思の面から断念されたと伺っていました。 そこで私どもは、「M&Aによって会社を存続させ、従業員の雇用を守る」という選択肢をご提案し、日本M&Aセンターとの協業により、最終的に譲受先が見つかりました。成約までには約2年を要しましたが、その分、社長の感慨の深さが表情から伝わってきました。長年背負ってきた重荷を下ろしたような、安堵の表情でした。ご夫婦そろって何度も頭を下げてお礼を述べられた姿は、今も忘れられません。このような場に立ち会えることこそ、税理士という仕事の醍醐味なのだと実感しました。 税理士は、中小企業にとって非常に身近な存在です。ぜひ、私どもをうまく活用していただき、良い会社づくりを進めていただければと願っています。
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和菓子とブラックサンダー、そして「人が第一」という経営
お正月というと、親戚に行く機会が多くなりますよね。年始のご挨拶ということで、お菓子を持参されるというケースも増えることでしょう。私は、酒が飲めない分、「和菓子」には大変に関心があります。和菓子屋に妻とともに立ち寄って、自ら食べて楽しむという機会も多いのですが、お土産にと和菓子を買い求めることもあります。 近郊の大野町にも、ご近所にも和菓子屋があります。丹精込めて作られたお菓子に敬意を表したいですし、お客様の「安心、安全」に配慮して作っていることが分かり素晴らしいなあと思います。手間暇かけて作られたまさに作品というべきお菓子であるので、多くの人々に味わってもらいたいという店主の思いが随所に伝わってきます。 和菓子は、中身であるお菓子だけではなく、それ以外の要素も見て購入を決めているのが面白いと思います。まずは、パッケージ。そのお菓子がどのような包材に包まれて販売されているかで、そのお菓子の価格も違ってくるかなと思います。そして、名前の付け方揖斐川のお菓子だと、「三輪の里」「春日局お福」「もっちり半兵衛」「パーシーマン」という個性ある名前。地元の地名を付けたり、地元に関係する歴史上の人物にちなんで命名したりと。和菓子のネーミングというのは、非常に興味深いと思わされます。 これが、洋菓子になると「ケーキ」「クッキー」「チョコレート」「ドーナツ」という食べられるものが、どんなものかというのが先行されているように思うのです。ですから、ドーナツに独自の命名をしたとしても、存在感が乏しいようなおもいがします。中には、キットカット、カールのような独自のブランドになっているお菓子もありますが、いずれも「大量生産品」で、手作り感がないという思いがあります。 大手製菓の商品名づけの話をしましたが、カルビーとかロッテ、江崎グリコまで大手ではないものの、市民権を得た商品名に「ブラックサンダー」があると思います。作っている会社は、愛知県豊橋市にある有楽製菓株式会社です。 ブラックサンダーは、チョコレート菓子です。チョコレートにナッツが入っていて、チョコの甘味とナッツの歯ごたえが両方楽しめるそして、そこそこ食べた気になれる、さらにはお手頃感があるのです。ネーミングにセンスを感させられます。チョコの色というと「黒っぽい」。そして、食感が「ガリガリ」っとする感じ。ガリガリってのを「雷=サンダー」と考える発想でしょうか。体操の金メダリスト内村航平選手がブラックサンダー大好きというエピソードにより、一層有名になりました。 この有楽製菓の河合社長と以前お話しする機会があったことが思い出されます。河合社長が、倫理法人会の役職者であったからなのです。私は、その時は、「職員とどう向き合ってよいか」と相談しようということで、一対一で河合社長とお話しする機会を得ました。ヒット商品を生み出された社長に直接相談する機会をいただけるって素敵なことではないでしょうか。社長、厳しい表情はされないのです。身長は、185センチ以上ある遠くからでも目立つ方ですが、とてもきさくで物腰の柔らかな方でした。上から目線のようなことは、まったくないのです。口調が大変穏やかで、包み込まれるような話し方で、私の話を受け止めていただきました。言われたのは、「簡単に人を切ってはいけないよ。その人が、活躍できる生きる場を与えましょうよ、それが倫理経営なんだよ」と。 それ以来、私は、「人が第一だ。とりわけ職員は守る」という考えを貫いてきたと思っています。 河合社長との経営相談の感触は、ブラックサンダーの噛み応えとともに10年以上経ってもまだ心に残っています。
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病院での生活 「食」に注目して 当時の手記より
当コラムは、入院して1ヶ月半ほど経った10月25日に手書きしたものをほぼ忠実にテキスト化したものです。 この文章は、令和元年11月1日の「朝礼スピーチ」の原稿として記したものです。入院中で、私が現地に行ってスピーチできないので、父が代わって読んでくれました。では、初公開の入院中の手記です。 『「病院での生活を体験して」というテーマでスピーチしたいと思います。 年度始めの11月1日に、9月9日からの病によって顔を出せなくなってしまったこと を残念に思うのとともにおわびいたします。 社会人は、まず、心身が健康であることが第一であるという、そんな当たり前のことができていなかったことに自分自身反省しかありません。 約2ヶ月の半身まひの状態は、情けなく悔しい気持ちであります。 それでも、私の病は発症は未然に防ぐことができた可能性はなかったのだろうか。 いえ、防ぐ可能性はありました。ある方に言われました。 「国枝さん、黄色信号で交差点を渡り続けて、とうとう今回は赤信号で交差点に進入して事故を起こしたようなもんだぞ。」 健康診断の結果を見て、その治療に時間をかけなければならないところを怠っていたということです。 具体的には、「高血圧の放置」ということでした。 高血圧は、単に血圧が基準値より高いというだけでは、私の場合は何ら体に痛みを発生させませんでしたが、 突然として脳内出血を起こし、その後遺障害によって苦しむことになるということです。 幸い、命を失うことなく、障害も左手、左足程度ですみました。 しかし、医師からは、再度出血すると「命がなくなるから」ときつく言われました。 自らの身体に、家族、スタッフ、スタッフの家族など多くの生活がかかっていることを自覚して、自らの健康管理に努めていきます。 さて、反省の気持ちの表明はこのぐらいにして、スピーチテーマである 「病院での生活を体験して」というところに入ります。 私、50年間、数日の入院もしたことがなく、病院でくらすということは考えたことがありませんでした。 この病院生活で感じたこと、学んだことをお話ししたいと思います。 入院生活を楽しいと感じるか、ずっとみじめと感じるかで病の治り方も違うと思いますが、 それなりに楽しいと感じています。 今現在入院している岐阜清流病院さんの運営が良いことが一番大きな要因だと思います。 細かな事で、これは変だと思うところもないではありませんが、おおむね満足しています。 良い点は、大きく言えば、「食事」と「リハビリスタッフさんの接遇姿勢」です。 まずは、「食事」について、今回はお話ししたいと思います。 たぶん、みなさん「代表は、食いしん坊だから、出されたものでは満足できないのではないか?」と思われるかもしれませんが、病院食以外のものは一切口にしていない生活を1ヶ月続けています。 1日1440カロリーと、量的な制限はされていますが、3食おいしくいただくことができて感謝しています。 病院食というと従来、「冷えている、まずい」という話を聞いていましたが、違っていました。 やはり病院にいると楽しみのうちのひとつが「3度のごはん」ということですので、 病院側も最近は、それを大事にしているということでしょう。 まず、料理面では当たり前の「冷たいものは冷たく、熱いものは熱く」提供されます。 皿や小鉢が載せられるトレイを熱くしたり、ふたをすることによって、 保温しながら提供してくれます。 利用者さんごとに症状はもちろん、そして料理の好き嫌いというのもあるので、 それに対応したメニュー作りをされているのに感心させられます。 利用者さん目線で、個別対応するメニュー作りいいなと思います。 そして、毎食あきのこない提供の仕方がされています。 同じ食材でも、調理方法が変わっていたり、味つけ、調味料が変わっていたり。 カロリー制限があるからか、「カレーライス」「トンカツ」「パスタ」「ラーメン」は一切提供されませんが、 見た目やバラエティも配慮されたメニュー作りで満足させていただいています。 私たち(税理士事務所)のサービスも、お客様への提供の仕方しだいで、お客さま満足度は大きく変わってくると思います。 説明の仕方にひと工夫するとか、お客さまの反応を見ながら対応を変えるなどの工夫をして、 より満足度を向上させられたら良いなあと感じました。 令和2年度も、お客様の良きパートナーとなるべく努力してまいりましょう。 令和元年11月 以上でスピーチ終わります。』 病院にいても、経営者目線は失われていませんね。ただ、今でも思い出されるのは、病院にいると、暇で「食べることしか楽しみがない」ということなのです。もちろん、職員が見舞いに来てくれて、嬉しいというのはありますが、ずっと居てくれることはない。生きていく証が食事。だから、食事の提供の仕方について、その内容についての観察が、ずっと普段よりも濃いように思います。じっくり味わっていたのですよ。
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病後退院より6年経過し思うこと プロローグ
いまだに鮮明に思い出せる6年前2019年9月9日のこと。こちらのコラムでは書いてこなかったことではあり、初めて知られる方もあるかもしれません。この日私は、「脳出血」を発症して、救急車で、岐阜大学付属病院に運ばれました。そして、岐阜大学病院と岐阜清流病院に入院すること約3か月半。ようやく12月下旬にようやく自宅療養となりました。翌年2020年1月にようやく職場復帰したのですが、あれから6年。ちょうど小学校の就学期間と同じです。それなりの時の経過と、不自由な体への慣れにより、今となっては、落ち着いた心持ちに変わってきています。 9月9日の午前忘れることはないでしょう。朝から、何となく「気持ちが悪い」という違和感がありました。朝礼のスピーチでは、「何かしゃべりにくいぞ」という感覚になり、その後のお客様との面談時には、お客様との対応を担当者に任せていたものの、「声を発する気力が出ない」状態でした。さらに、体の異変は、続きました。デスクワークしていると、「なんだか左腕が重いぞ、上げにくいな」という感覚に襲われました。そして「やけによだれがたれてくるな」と。とても仕事を続行する状態ではないと判断して、「体調悪いから寝に帰る」と隣の妻に話しました。 妻が「いや、そんな状態じゃないよ。すごく体調悪そうだよ、すぐにのだ医院に行こう」と言うのです。まだ、私はこの時何が起こっているのか理解できませんでした。のだ医院は、歩いてもすぐに行ける距離ですが、妻が車で送ってくれました。いつの間にか、「立てなくななりつつある」と焦りました。先生に急遽診てもらいましたら、すぐに「救急車で病院」へということで、救急搬送されたのです。 のだ医院に入ったのは、正午近くでした。その後、救急車で運ばれている最中に、血圧計の表示を見ると「235/180」というようなとんでもない数字が。あーこれは、いつか見た数字だと思いました。以前、倫理法人会の先輩に付き添って、救急車に乗った時と同じだなと。気は失っていなかったのです。確実にヤバイ、まずいなということは思いましたけれどね。 病院に着いてから、あまり覚えていないのです。特段、大手術はされませんでしたが、脳出血によって、運動機能を大きく損なうことになりました。これからの仕事、引き受けている役職どうなるのかということばかりが気になりました。岐阜大学病院での日々は十分に覚えがないのです。入院後に、すぐにリハビリが始まったということ、装具を付けて歩かせようとされていたこと、その装具の装着が面倒くさいというイメージしかありませんでした。歩けない自分、これは大変だなあと。そして、左腕が使えなくなっている。でも、まだ道半ばだ。一刻も早く復帰したいという思いがいっぱいでした。急性期の治療が終わり、リハビリ主体の病院に転院することになりました。岐阜清流病院への転院、介護タクシーに乗って移動したのです。車への乗り移りも非常に危ない状態でした。 みなさん、次の症状がでたら迷わずに救急車ですよ! 「ろれつがまわらなくなる」「気持ちが悪い」「腕が重くなる」「よだれがたれる」これらが、重なると脳血管疾患になっている可能性があるということです。覚えておかれるといいです。こうなったら、速やかに救急車を呼びべきです。 私の場合は、妻が隣にいましたから命拾いしました。もし、一人だったら自宅で眠り込んでしまい、命を落としていたかもしれません。妻の判断、「すぐに医院へは正しかった」ということです。感謝しています。
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「遺伝」 伯父の思い出
我ながらよく続いていると思うこのコラムです。一番前までさかのぼると「2020年2月」から続いています。合計で「286本」のコラムが、現在公開されているようですが、このコラムを書き続けられるという力、意欲ってどこからきているのだろうなと考えると、これ「遺伝」なのではないかと思います。 私は、文章を書くのを全く苦にしない人だっていうのが、「遺伝」しているのです。私の母は、常に日記を深夜まで書いていた記憶があります。そして、時には暮らしの作文ということで、「中日新聞」に寄稿して、掲載されたこともあります。それだけ、母の文章を書きたい、文章で自己を表現したいという気持ちが私にも遺伝したということでしょう。 「遺伝」というと、税理士として、親子をよく見ていますが、「やっぱり親子だなあ、似ているなあ」という場面にはよく出会います。一番印象深いのは、I社ですね。この親子は、二人ともいい声なんですよね。聞きほれます。株主総会での議事進行されるときの「声」のダンディーな低い声が印象的だった先代。決算説明時にコメントされる時の社長の声、安心感のある太い声、よく似ているのです。 さて、当事務所の歴史を振り返ると、17年前までは、母の弟である伯父が在籍していて、所長である父の次のポジションである「副所長」でいました。周囲から見れば、私は伯父に似ていると思われた方のほうが多いのではないかと思います。伯父は、私の代表就任を機会に私どもを去っていきましたが、その影響、名残りは、今でも残っているのではないかと思っています。よくテレビで涙をこぼしていた母。伯父に「涙、こぼさないって考えられる?」って聞いたんです。「いや、それって考えられない」といった伯父。なんか繋がっているなあって感じたんです。私が小学校時代に、初めて行ったナゴヤ球場。伯父と父が一緒でしたが、「今日の先発投手、誰かわかるか?」「今日は、藤沢だよ(その年に新人王でした)」と予想を披露してくれた伯父。ずばり正解でした。その頃、私は先発のローテーションなんて知らなかったのです。 そんな伯父が常々仕事で大事にしていたのは、「業容拡大」よりも社内の「人員配置」、「誰に何を頼むと、成果をあげられるか」ということでした。今となっては、身にしみてわかるその教えです。父と伯父で、いいバランスでうちの事務所は経営してきたのであったのだなあと。父のたくましくお客様を開拓していく姿勢、新しいものを取り入れていく姿勢に、伯父の場を整えていくのが大事と考える思考、いずれも経営では重要な要素です。そのいずれもバランスよく配分するということを考えられる経営者でありたいものだと常々思うのです。 私には、父の拡大心旺盛である「血」と、伯父の組織を維持し調えるという「血」の両方が混じりあっていると感じる年末のひと時です。