コラム
-
慰安旅行:家康の生まれ故郷の三河への旅
当事務所の慰安旅行は、昨年が1泊2日であったので、今回は日帰りで、近場へ。 これまでバスでのツアーは、事務所の駐車場発で企画していましたけれど、以前と比較して地元揖斐川町に在住のスタッフの割合が低くなったので、前回の旅行でも、集まりやすいと好評であった道の駅「パレットピアおおの」で集合解散に変更しました。非常に広い駐車場を備えていて、事務所に来るよりも近いというスタッフも多く、トイレや自販機も備えていて、すぐ近くにコンビニもあるという利便性が良いのです。最近、新しい病院もオープンして、大きい工場が建設中で、さらに賑やかな地区になりそうです。 そして、インターも近いので、高速道路をずっと走ってこれるという便利さがあり、今回もすぐに大野神戸インターより岡崎へ。岡崎は、知名度の高い都市ではあるのですが、通過してばかり。初めての岡崎観光でした。岡崎城近くにどうする、家康大河ドラマ館に入館。平日水曜日であるにもかかわらずドラマ館内は大混雑でした。じっくりと見たかったのですが、出発時刻が気になってしまい、じっくり見られませんでした。大河ドラマに出てくる俳優さんは、著名人がとても多いですよね。家康の生涯自体は大変興味があるのですが、ジャニーズの松本潤さんっていうのは、家康の貫禄が足りないのでは?と思っていたところ、若き家康の情けない、へっぴり腰なことこの上なく、観るのをやめてしまいました。でも、ここの展示を見ていくと、また大河ドラマ見ようかという気にもなってきました。戦国武将に限らず、人生「どうする?」の繰り返しですよね。迷い、決断を何度もするのですよね。偉大な歴史上の人物の生きざまに学ぶことは、よりよく生きることにつながるのではないかと思います。 大河ドラマ館のすぐ近くには、お土産コーナーも用意されていました。記念グッズからお菓子まで、非常に幅広い品ぞろえで、非常に買う気にさせてくれます。中でも岡崎の八丁味噌を使ったお菓子がセンスいいなあと感心しました。 このあと、蒲郡の竹島近くのホテルでの昼食。やはり宴席の料理は出てくるのに時間がかかります。せっかく温泉もあるのに、入浴しているような時間はとれずじまい。品数多く、バリエーション豊富な料理を、とても広い部屋でいただきました。「けやきパートナーズご一行様」と書かれた看板が掲げられたステージ付きで、ちょっと大げさだと思いましたけど。余裕のある広い部屋で、広い館内。もう少し時間あれば竹島まで歩いて、そのあと温泉でひと風呂みたいに過ごしたかったなあ。そんな満たされない思いをするのが団体ツアーの常であるように思います。 午後は、蒲郡のミカン狩りに。マイクロバスに乗り換えて、より標高の高い所に移動します。木に実っているみかんの大きいこと。そのみかんを5つくらい頂いたでしょうか。そして、ミカンの袋に入り切るまではお土産に持って帰れるということで、木からさらに8個ほどもぎとりました。この日は、とても気象条件がよく、雨の心配もいらない天候で、足元も滑りやすくはなっていなくて、外を歩くには良い日でした。事務所慰安旅行は、かなりの確率で晴れるというジンクスがあります。事実、2泊3日日程の3度の旅行期間中、雨が降ることはありませんでした。晴れ男、雨男とか言われますが、「私は、晴れ男だ」と胸を張って言えます。
-
税理士会支部旅行の行先は自身4度目の日間賀島
11月も終わりそうなので、急いで紀行文を書いていかないと間に合いません。11月は、暑くなく、寒すぎることなく体を動かすのにもちょうどいいくらいの季節ということで、ちょっとした旅行を数多くしました。11月8日、税理士会の支部旅行に5年ぶりに参加しました。タコとフグの島「日間賀島」へのグルメツアーという感じした。日間賀島、もうすでに家族旅行を含めて4回行っていますが、高台の眺めの良いホテルでの食事は初めてでした。いつもは、ビーチにほど近いところでしたので、船を降りて食事処はすぐであったように思います。しかし、今回は船を降りると、マイクロバスに乗り換えて、急な坂を上って食事会場のホテルへ。意外に晴れて、食後のカフェタイムに海からのさわやかな風に当たりながらのわずかな時間が心地よかったです。日間賀島は、ほとんど車の音がしないのが良いです。非日常感がある船に乗っての上陸もいい、しかも乗船時間は短くて、船酔いしそうもないのが好都合で手軽です。 こちらでの土産で大好きなのがタコ饅頭です。「もみじまんじゅう」の日間賀島版かなという感じがします。もみじでなく「たこ」。たこは、漢字にすると「多幸」であると。美味しいし、形がかわいらしい。そしてネーミングセンスもいいなあと感じさせます。ただし、ん?ホテルの売店が、キャッシュレス対応じゃないの?観光地でこれは、痛いとしか言いようがないと私は思います。カード利用者の方が、たくさん使ってくれるのですから、わざわざ商売の機会を逃しているようなものです。私の場合、財布を取り出して、お札を出すのが面倒で仕方がないのです。最近は、キャッシュレス非対応の方が少なくなってきたと思うのです。時流に合わせるというのが求められると感じます。今回の支部旅行、いつもよりも若い人の参加が増えたように思いますが、55歳の私でも、平均年齢より相当若いのではないでしょうか。もっと、若い人に出てきてもらわないたい、税理士へ登録してほしいものです。
-
「結婚式、披露宴の今昔」
11月12日、いびがわマラソンの日でした。いびがわマラソンの序盤に当事務所の前を5000人を超えるランナーが通過するので、非常ににぎやかになるのですが、今年はそんなマラソンを楽しむムードにはなれませんでした。というのは、その日の夕方に、当事務所のスタッフの披露宴があるからでした。事務所の代表者というと、披露宴はで祝辞を述べる立場ではないですか。今回で3度目でしたが、慣れませんね。今回は、何ら書かずに頭の中で言うことを整理して口に出そうと思っていましたが、マラソンを応援していて、三男が走るのを見ていてもどことなく上の空で、胃がキリキリと痛むくらいに。なんとか落ち着かせるために、「スマホのメモ帳」を取り出して、言う言葉を書き出してみて、何度か読み返してみました。すると、何とか胃の痛みも治まりました。いびがわマラソンは、アメリカのユタ州から選手たちを招待して行われること、五輪金メダリストの高橋尚子さんも走ってくれること、沿道の熱烈歓迎の応援などで、マラソンランナーより高い評価を受けているマラソン大会ですけれど、この日はそれどころではなかったのです。 結婚式をキリスト教式で終えて、披露宴に入り、若干当事務所のスタッフである新郎と、当日のシェフの話があって、祝辞を述べましたが、まあ思った通りに近く話せたかなと。スマホ見ながらとか思いましたが、細かい字で見づらいだろうからとやめました。新郎と新婦が一生懸命にこちらを向いて聞いてくれているのが印象的で、それを見ていると「どきどき感」も収まり、幸せになれよという気持ちになれました。 自分の息子もあと5年程度先には結婚するのだろうなと考えると、今時の披露宴がどんな感じで行われるのかということには興味が湧いてくるのですが、昔の結婚式、披露宴ってどんなものであったかというのを、今の20代、30代の人たちにも知ってもらいたいと思います。もちろん、「昔は良かったが、今はだめだ」とか言うつもりは毛頭ありません。 いつの間にかなくなった(減った)もの、神前式の結婚式。「三々九度のさかづき」などと言って分かるのでしょうか。雅楽の演奏がされる中で厳かに執り行われる神前式、もちろん新郎新婦は和装で。白無垢の新婦、羽織袴の新郎という組み合わせが日本独特で良いと思えるのですが、見られません。あと、媒酌人夫妻の存在です。若い二人を見守るベテラン夫婦が務めるように思うのですが、その存在がありません。媒酌人を依頼する手間、その大役を務める夫婦の心的負担を考えるとない方が平和なのかもしれません。媒酌人さんが、新郎新婦の略歴を紹介していましたが、そのような紹介をする時間もなくなっているのは、いかがなものかと思うことはあります。略歴を「司会者が語る」、「スライドショーで、写真とともに」というのが一般的になったのですね。あるいは、席次表とともに、新郎新婦の紹介があったりするのは以前はなかったことかもしれません。最近やらないなあと感じたのは、「友人から贈る言葉(スピーチ)」と「友人の余興」ですね。友人たちって、確かにスピーチや余興があるとしたら、ドキドキで披露宴を楽しめないでしょうから、それもありなのかもと思いますが、職場の上司からしたら、このスタッフはどんな学生生活を送ってきたか、そんな笑えるエピソードが披露されるというのは楽しいことではないかと思うのですけどね。 かくいう私は、友人の披露宴で、従妹の披露宴で歌を披露しました。それぞれリクエストされたので、断らなかったですね。あと男声合唱部に属していましたので、同じ合唱の仲間たちと合唱を披露したこともありますし、先輩の披露宴で歌ったこともありましたし。合唱を生で聞かせるのは、お酒が入っていると大いに盛り上がるのです。どこでも、大いに歓迎されていたと思います(思い込みかも?)。合唱で歌う曲は、我が母校の中央大学校歌「中央の名よ、栄あれ」と華やかに終わります。もう一つ、宮城県民謡の最太郎節です。「松島のさよ瑞巌寺ほどの寺もないとえ」で始まり「大漁だえ」で終わる縁起の良い景気の良い歌です。親も、大変喜んでいたように思います。 そう、あと私たちの頃は「キャンドルサービス」というのは当たり前にあったように思います。新郎新婦が、各テーブルをまわって挨拶して、キャンドルに火を灯すイベントですね。今は、各テーブルごとに、新郎新婦と写真を撮って回るイベントに代わっているようですね。「ウェディングケーキ入刀」とうのも、必ずしも画一的なケーキではなくなってきたように思います。ある披露宴では、計算機を模したケーキが登場したのは驚きました。 今は、記録媒体が大きく進化しているので、録画された画像も美しいことでしょう。手軽に写真も撮影できるのが大きく変わったことだと思います。 今も昔も変わらぬのは、結婚したカップルへの温かい視線、幸せそうな二人に対してこちらも嬉しくなる気持ち。「披露宴、多少の緊張あるけれど、やれば一生の思い出となる」。いまだに26年近く経ったあの日の出来事は、心の隅に残り、今でも引き出すことができる思い出です。
-
江ノ電と湘南
藤沢駅の北口にあるホテルに宿泊したのですが、藤沢駅は北口も南口もともに大きくて、前日11月3日によくホテルの位置をたしかめなかったせいで南口をぐるぐると周ってしまいました。藤沢駅のようなターミナル駅は、ペデストリアンデッキで結ばれている場合が多く、立体的になっている場合が多くあります。そんな構造ですと足の悪い私は一苦労するのです。とりわけ、迷ってしまうと階段を上り下りして悪戦苦闘しました。結局は、北口というのが正しかったのですが、北口からホテルのルートはなんてシンプルなこと。きちんと調べないといけませんね。スマホで検索すればいいとはいえ、スマホの地図表記は、立体的になっている場所は苦手なようです。 藤沢駅はターミナルと言いましたが、JR東日本は「東海道線」だけですが、私鉄の「小田急線」が、新宿までつながっていて、「急行新宿行き」というのが見られます。もちろん、小田原へも小田急線で行けますが、さすがにそのような迂回をする人は時間がある人、小田急線が大好きな人に限られるでしょう。なんといっても、乗り換えが必要ですし、迂回しているので運賃も余計にかかってしまいます。小田原へは、東海道線で行くのが当たり前ですね。その先、「箱根、熱海、伊豆」へも東海道線です。藤沢、小田原はリゾート地への玄関口という機能を持っていそうです。そう、新宿へは、JR東日本のみでも行けますが、小田急とどちらを使う?という問題が出てきそうですね。時間があるならば、比較して楽しむのもよさそうに感じました。私は、小田急が好きなので、藤沢から新宿であれば、小田急です。私の大学在学中は小田急はとても遅い電車でしたが、世田谷区内がほぼ複々線となったので、ノロノロ運転が解消されたようです。そんな進化をみてみたいところです。 そうです、忘れてはいけないのが、藤沢最大の名所は「江の島」なのですよね。藤沢駅より小田急線でも行けますし、小田急の駅の方が、江の島に若干近いのですが、もう一つが、よく映画でも撮影されている江ノ島電鉄線(江ノ電)です。藤沢より江の島の入り口を通って鎌倉まで結ぶ路線です。この江ノ電があるのは、藤沢駅の南口でした。小田急とJRは、橋上駅舎で地上にレールが並んでいますが、江ノ電は二階が発車ホームでした。朝早く7時前に江ノ電の藤沢駅で、江ノ電1日フリーきっぷを購入して、江の島、鎌倉を楽しんでから横浜でのコンサートを楽しんだのち帰路に就くことに。11月4日、雨の心配も全く要らない三連休中日でした。 江ノ電は、藤沢から鎌倉をゆっくりと住宅街をぬって走り抜けるような鉄道。短い路線でありながら、江の島と鎌倉という有名な観光名所を結んでいるので、首都圏在住の方には有名なミニ鉄道だと思います。途中に太平洋がじっくりと眺められる路線でもあり、その美しい景観を堪能するため乗車するだけでもその価値があります。東海道線でも、比較的近くの小田原近郊で海と並走するところはありますが、ここは趣が違います。電車と海が一体になっているかのような近さでゆったり走ってくれるのがいいのです。そして、鎌倉から藤沢へ向かう途中に海に突き出す江の島がだんだん近くになってくるのが眺められます。 ゆったりと時間が流れるような感覚を味わいに湘南で江ノ電に乗るというのもありです。沿線には、日本とはどこか違うのではと思えるような雰囲気の海の家?も多く建っています。大きなリゾートホテルが見られないものも雰囲気があって良いでしょう。そして、電鉄側の営業努力も見逃せないです。主要な駅の駅舎は、どこもその土地の雰囲気に合わせたものになっているし、駅名標の文字が、ゴシック体とか明朝でなく、雰囲気のある文字を使っていたり、方向字幕についても、単に「藤沢」「鎌倉」だけでなく装飾が施されているのです。それがなんともキュートです。そう、最大3両編成で走るミニ鉄道なのは、途中で車道を走るからでしょう。路面電車の区間も存在するのも魅力の一つでしょう。電子決済にも対応してくれて、比較的多くの駅係員を配置して、ほぼ座席が乗客でうまるくらいに利用されている江ノ電、首都圏の有名な観光地ということで多くの外国人観光客も乗車していました。都会の通勤電車にはないローカル感ですからね、乗る価値は大いにあるものです。急いで観光したい人には向かないでしょうけれど。 鉄道を撮影する「撮り鉄」を趣味にする人には、大変愛される鉄道でしょう。以前、揖斐には「名鉄谷汲線」というのがあり、「赤い電車と谷汲の自然」をともに撮影して楽しんだ人もおられましたが、残念ながら「旧谷汲駅」に電車が置かれるのみとなっています。江ノ電のカラーと街、あるいは海とのコントラストが素晴らしいのです。映画で見たあのシーンに出会う旅でもありました。
-
実は初めての「湘南玄関口・藤沢」
以前からチケットを購入していた11月3日文化の日の名古屋フィルハーモニーの市民会館名曲シリーズに、その次の日横浜「みなとみらい」でのチェコフィルハーモニーの来日公演。2日連続のオーケストラ公演をはしごするという幸せなことをさせていただきました。チェコフィルの公演は、コロナがあったため2019年以来ということでした。(11月4日の横浜での公演が日本最後)この11月は、名門のオーケストラが次から次に来日します。ベルリンフィル、ウィーンフィル、ロイヤルコンセルトヘボウそしてチェコフィル。いずれも、数多くのCDが販売されていたり、動画がネットにアップされている名高い楽団ばかりです。迷いましたが、曲目で選びました。チェコフィルは、祖国の偉大な音楽家であるドヴォルザークの作品をすべての公演で演奏するというオールドヴォルザークプログラム。そして、最終公演(後で知ったのですが)横浜では、ドヴォルザークの最後の二つの交響曲が演奏されるということで、チェコフィルの音を思う存分味わうことができると。そんなわけで、横浜公演を選択したのです。 横浜の演奏会は、4日ということならば、3日に名古屋に宿泊して、4日に移動しても良かったのですが、今まで下車してこなかったところで宿泊してみようと、神奈川県の藤沢に泊まってみることにしました。藤沢と言うと「湘南の玄関口」という雰囲気ですね。神奈川の中でも有名な都市ということで、賑わっているのではなかと想像しながら、名古屋から移動しました。名古屋から小田原は「こだま」号、小田原駅より東海道線というルートで、3時間近くを要しました。のぞみが停車しない駅まで行くというのは意外に時間がかかります。横浜から名古屋の方がよほど速いのです。とはいえ、ゆったりとものすごく空いた車内で移動するのは気が楽です。名古屋駅で購入したみそかつのたっぷりかかったみそカツ弁当をいただきながら移動しました。冷めてしまって残念なのですが、実においしいですね。岡崎名物の八丁味噌の説明を読みながらゆっくりと食べました。それにしても、こだまは駅に止まるたびに後続ののぞみ、ひかりに抜かされていきますからね。停車時間も合計すると30分はくだらないのではないかと思えます。藤沢に着いたのは、午後9時30分頃でした。とはいうものの、湘南の看板駅の一つ、飲み屋も多くて、賑わっていました。客引きの姿も。雰囲気から、南国の雰囲気がどことなく漂ってきます。しかし、夜も遅いので、歩き回ることはせず、宿へ。シンプルなビジネスホテルを珍しく朝食なしで宿泊しました。
-
「税理士法人20年目」の事業年度を迎えました
「税理士」の法人化が認められた改正税理士法が施行されたのが、平成14年4月1日。それから20年を超えていますが、私ども「けやきパートナーズ税理士法人」は、平成16年11月1日に設立されました。名称は、「税理士法人いび会計センター」でしたが、もとから有限会社揖斐会計センターという名称を前面に押し出していましたので、さほど大きく変わったと思われなかったようです。一つ大きな出来事としては、本巣郡北方町に支店を設置したことにあったと思います。その北方に事務所を設けた時より20年目になる年を迎えたということですね。当時は、私は30代の本当に若く世間知らずの税理士であったかもしれません。新しい事務所を任されて張り切ってはいたものの、空回りする日々であったようにも思えます。当時、私は「支社長」という立場を与えられたものの、十二分にその責任を全うできたのか甚だ疑問であります。幹部の中で、圧倒的に年下でありながら、代表者の息子であるということで、わがままな振る舞いもしてきたこともあったなあと振り返っています。とはいえ、あれから20年近く経っていると。現在は、私よりも勤続年数が長いのは、1人だけとなりました。長く働いていただいていることに感謝しつつ、そろそろ「次の段階」へ入っていかなければならないと感じています。そんな中、私が代表就任して以来初めての組織変更を行いました。11月1日は、事業年度始めの日で、毎年「経営計画発表会」を行います。厳粛に緊張感のある中、税理士法人20期目がスタートしました。 税理士法人20年目、ますます職員一同切磋琢磨して、より良いサービスを提供できるよう努力いたしますので、よろしくお願いいたします。
-
「徳山ブルース」に出演しました
熱狂のうちに閉幕したようなそんな印象でした。10月28日、29日の両日、揖斐川町地域交流センターはなもも大ホールにて上演された市民参加型オペラに出演させていただきました。ステージ上に立つのは今年の2月以来、オペラのようなものに出演するのは、結婚前年以来のこと。四半世紀ぶりの参加でした。 昔からなじみの脚本家でもあり豆腐屋社長の弓削氏に依頼されて、どちらかと言うと渋々承諾したのがはじまりでした。去年映画「ふるさと」が上映されましたが、それに引き続き、ダムの底に沈んでしまった「徳山」に思いを馳せてみようではないかというイベントでありました。オペラというと、歌は当然ある、セリフもある、動作も結構あるということで、動作についても不安視していたのですが、脚本を書いた弓削氏は、「動きがない役だ」「そんなに出番は長くない」と。イベントの1年以上も前から声をかけられたのを覚えています。私しかいないと言われたのです。楽譜渡されましたが、難しい音符ではないですが、当たり前に歌詞もある。さらに手本となるような、真似できるような音源は創作オペラですからないというところで、役柄がつかみにくくて。私の役は、民衆に対して「自然を壊すな」「自然と共生するのだ」と忠告する神の役!出番は短くステージ上に2分から3分。まさにチョイ役という感じでした。もちろん、暗譜しなければならない!なんか、以前より覚えが悪くあったなあと思いながら、家でも空き時間でも、歌詞を覚えようと頑張りました。なぜ、頭にはいたないのだろうと悪戦苦闘しながら稽古を開始したのは4月からであったのに、ようやくぎりぎりの10月になって覚えられたのです。 本番、「着ぐるみ」を着て歌うかのような衣装で、歩きにくいので、ステージの裏方さんに、衣装の一部を持ち上げていただきつつ階段を上り下りすること10回以上ありました。階段を上るにつれて本番で声を出す瞬間に近づいていくドキドキ感を味わうことになりました。階段の上に着いてからしばらく待機して、実際に歌う位置に移動するのですが、裏方さんの手が、かかっていたので、なんか落ち着くなあという感じがしました。なんというか不安感が減っていくといいますか、人間の熱の持つパワーというものはすごいですね。「着ぐるみ」のような衣装でみなさんに暑いでしょう?と聞かれました。以前の自分であれば、暑かったかもしれません、太めでしたので。しかし、体重が減った今となっては、10月下旬というさほど暑くない季節でしたので、かえってその「ぬくとい感覚」は、精神を落ち着かせるのに十分であったように思います。途中、出番がない時はうとうとと眠くなったり。ステージ上以外では、リラックスモードで、アルファ派が発生しているような感覚でした。ただし、ステージ上の私が歌う位置はかなり高い位置でした。人間2人分近いくらいの高さはあったでしょうか。怖さのために足がすくんでしまい、頭の中で、「安全確保」モードが発令していたようでした。 ほとんど舞台袖で聞いていた身としては、本当に心地の良い音楽がたっぷりで、とりわけ生の管弦楽の演奏付きで聴ける幸せ、すごく楽しい編曲とともに味わえました。ソプラノの高井さんの歌声が素敵、灰塚さんの力強い声の威力もすごいなあとか感じながら。カーテンコールの行進曲調に編まれたメインテーマに乗りつつステージ上を闊歩するのは気分が良かったですねえ。やや奥まったところにいたので割れんばかりの拍手には思いませんでしたけど、2度のカーテンコールで、観客に1人で頭を下げるのも気持ちよさがありました。そこがまた、ステージ上の醍醐味でしょう。「山の神」という特別な役だから、群れて礼は似合わないですからね。 終演後、お客様の見送り。これが一番泣けました。多くの人から、良かったよ!感動した!満足できた、うまかったという声をかけてもらえるのです。「久しぶりに芸術を見せてもらえてよかった」という男性、私となぜか記念撮影したがりまして、撮影しました。あの衣装、さほど重いわけではないですが、制作いただいたご近所の方、非常にステージが気に入られ満足気でうれしくて泣かれてました。私も、それにもらい泣きでした。 多くの人が一つの作品を作り上げる、総合的な芸術品であるオペラって素晴らしい!人々を笑顔にさせる芸術、平和であるからこそ、このような芸術が楽しめるのですよね。一番忙しく駆け回っておられたのが、演出の「なみ先生」であったと思います。練習の際は、ここは、こういう思いで演じてほしいというのがはっきりと打ち出される指導でしたね、声のメリハリも大事なことであると強調されつつ、「演ずる」とは、こういうものだということを素人にも分かりやすく説明いただけたと思う。弓削氏の脚本は、ユニークさ、ご当地方言の活かし方、詩的な味わいを含めて何度も読むほどその良さが身体に染み入ってくる感じがしました。舞台が大昔のことでも、架空のことでもなく、まさに現実に起こったことを題材にしていることが、数多くの観衆のハートを捉えたのであろうと思います。作曲、当オペラの企画実行の中心を務められた森三恵子さんの精力的にこのイベントを成功させるという熱意は、多くの団員の気持ちを突き動かすものがあったと思います。もちろん、悲しみの歌、喜びの歌、労働歌と様々は歌を作曲され、どの曲も耳になじむ力強さを感じるものでした。 こうして、この1か月気をもんできた徳山ブルースの公演は、ほぼ満席のお客様に見ていただいて成功裡に終わりました。どうも、年配者ほど心に染み入るのか両親4人とも大満足で帰っていってくれたようでした。1時間かけて来てくれた妻の両親に感謝でした。
-
第49回日税連公開研究討論会-税理士の絆を再認識する場
日本税理士会連合会の公開研究討論会は、すでに49回という回数を重ねました。「コロナによる中止」という年が最近あったため本来ならば50回目というのが今回だったわけです。50回というと本当に伝統がある行事なんだなあと思います。私の幼少期から引き続鋳く大会であるのですからね。愛知・名古屋での開催は、8年ぶりでした。前回は名古屋城の近くのホテルにて開催され、私は前夜、そのホテルに宿泊させていただき、そこの美味しい朝食をいただき、良い気分で発表させていただけました。「所得税の課税区分」を題材とする研究発表で、大学の図書館などにも行き調べて論文集の一部に加えていただきました。発表は、短時間のため成果の一部を要約して発表という感じでした。ですので、私が話していた時間は3分あったかどうかという感じでした。ただ、大勢集まっている税理士会員等から大きな拍手を浴びて大変うれしく、やって良かったという感慨にふけることができたイベントでした。 もう「あれ」から8年か、という感じですね。今回は、民法改正が相続に与えた影響と問題点の考察を研究課題に取り組まれて発表されていましたが、8年前に一緒に壇上で発表した数多くの仲間が、ほとんど再度登壇されているのですね。その継続ぶりに驚かされました。私も、税制改正建議に6度も関り所得、法人、資産税、地方税と駆け回ってきましたため、顔を多くの人に知られていて有難いことです。やはり長く続けるということは自分の心の支えでもあり財産ともなるのだと実感させられます。当時は一般研究部員であった部員が2回目の発表ということで、討論リーダーや進行役になっていったり、より大役を任せられていく当時の仲間をまぶしく感じました。それとともに、ほぼ変わらないメンバーの元気に勉強されている姿を見て刺激を受けました。発表テーマについては、時流に沿ったものをとりあげてくださっていました。「配偶者居住権」、「遺留分侵害額請求」に関する議論があるところの整理、その解決策について、実務にはまだまだなじみのないものであるので、大変であっただろうと想像するのですが、果敢に挑戦という感じはしました。難しい論点を対談形式で、分かりやすく図表を交えて発表され、眠くなるところ懸命に発表された会員の熱に感謝しつつ聴講しました。 その後の、指導教授2人によるご講評いただいたのですが、伊川教授は、またしても家康の「人生は」で始まる言葉を引きつつ、時にユーモアを交えながら話され、田中教授は、税理士会の当イベントに対する最大級の賛辞と言えるお話をいただき感激しました。前回もご指導いただいている先生、時に厳しい指摘もいただき、改めて「理論整然と」論文にまとめあげるとは、どのようなことかを学ばせていただけた思いをさせられたご指導でした。『この公開討論会では、事前に研究員がそれぞれ「研究勉強」を重ねて、それを研究員同士が「議論」を深めて、多くの会員の前で「討論発表」することにより、会員に知識を多く広めることができ「交流」を生む』そのようなイベントであると。 イベント最後には、懇親会がつきものですが、ホテル特製のその土地ゆかりの逸品を口に運ぶ楽しみに盛り上がる会だと思います。ある人にとっては、酒があればいいという人もおられましょうけど。立食の懇親会は、私にとってやや不便ではありましたが、東急ホテルの料理はどれも非常に美味しく、食べ過ぎてしまいました。食べるだけではなく、税理士同士の親睦を深めることも大事なので、発表された会員の労をねぎらってまわらせていただきました。よく来てくれたと歓迎の声をいただき、まだ仲間として認めていただいている絆の強さに嬉しくなります。やはり税理士は親子で引き継いでいく承継パターンが多いのです。私の属した発表チームのリーダーは、今回は発表者でなかったのですが、その息子さんが研究員となって活躍されていて、私にすすんであいさつに来られて、本当に頼もしく感じました。その他に、名札を見ると「◎◎」と書いてあったので、「お父さんも税理士ですよね?」と聞くと「はい」と答えてくれて、お父さんに世話になったことを話させてもらいましたり。 徐々に私が良く知っている役員をされていた会員のご子息が税理士に登録されてというのをよく見かけるようになりました。税理士界では、「先輩が後輩の面倒をよくみてくれる」「先輩が積極的に新しい会員に声をかけている」という良い文化があるように思います。そんな良い文化があるということを知っていただき、税理士になられる方は、積極的に税理士会の行事に参加して、溶け込んでいく方がいいと思っています。 そして、今回感動的なお話をいただけた田中先生には、お礼が言いたいと思ったところ、郡上踊りの法被をまとっておられて目立っておられたので、すぐにわかりました。私の名前は覚えておられないとは思いますが、何度も(20回以上でしょう)顔は合わせていますので、顔は覚えていただいていたように笑顔で会話させていただけました。田中治先生の論文は、時折拝読させていただいています。税法学会の重鎮の先生なのですが、税理士会員の間に入り混じって楽しそうになさっていたのは非常に印象的でした。 地元名古屋での8年ぶり開催は、とりわけ思い出深いもので、午後0時15分から始まり午後8時30分頃までたっぷりと勉強し、税理士会の良さを実感した1日でありました。3編にわたりましたが、今回のコラムは以上で終了です。ありがとうございました。(完)