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追悼、小澤征爾さん

クラシック音楽界に大きな業績を残された小澤征爾さんが亡くなられた。ずっと指揮台に立たれない状態であり、85歳も過ぎておられたので、その死は覚悟はしていました。クラシック音楽LPを購入し始めた時というと、中学校の頃でした。そのLPの中に小澤征爾さんの指揮というのは、数多くはなかったように思います。ボストン交響楽団を指揮したマーラー作曲交響曲第1番、これが私と小澤さんの奏でる音楽との初めての出会いでありました。すでに日本でも名声は大きくなってました。第一楽章の瑞々しい雰囲気、第四楽章の大迫力、マーラーの交響曲の魅力に触れた初めてのアルバムでした。アメリカのメジャー管弦楽団のボストン交響楽団音楽監督にまで抜擢されたことに誇らしく思ったものでした。ボストン交響楽団との録音は、数多く出され、高校生まではLPを通して小澤さんの音楽に触れ、大学からはCDを通じて小澤さんの音楽を味わいました。

ボストン交響楽団のあとは、ウィーン国立歌劇場の音楽監督も歴任されておられました。歌劇場の音楽監督就任前に、長野県松本市で、音楽祭を立ち上げられ、国内外の精鋭となった斎藤秀雄氏の指導を受けた音楽家が一堂に会してオーケストラ演奏会、オペラ公演を中心に行う松本市の夏の風物詩として定着してきたようでした。その松本での「サイトウキネンフェスティバル」を知ったのは、松本の音楽祭が開始されて20年近く経ってからでした。

夏の終わりに訪れる松本は、カラッとした空気感があって、過ごしやすいところであるなあと感じたものです。そして、オペラの公演があるまつもと市民芸術館の優雅な雰囲気、ゆるやかにのぼっていくレッドカーペットの幅広のメイン通路、劇場空間の美しさとすべてにおいて美しさにあふれ、超一流の芸術に触れるにふさわしい空間でした。大都市でもない松本という地方の一都市で、こんなに素晴らしい劇場を持てるのはすごいと思わされました。松本の地で、小澤さんが指揮されるオペラ3公演、声楽付きの管弦楽作品1公演の4公演を鑑賞できたのは大変幸せなことでした。

チャイコフスキー作曲「スペードの女王」、ヤナーチェク作曲「利口な女狐の物語」、リヒャルト・シュトラウス作曲「サロメ」、ブリテン作曲「戦争レクイエム」といずれも超一流の歌手を集め、日本でも最高峰の合唱団が出演し、児童合唱は、オーディションで選ばれた児童が出演していたのですが、国際音楽祭にふさわしい音楽、舞台と言えました。

オペラですと、指揮者は一段下の位置から指揮するため、あまり小澤さんの指揮をじっくり見られる感じではないのです。しかし、最後に鑑賞した戦争レクイエムは、通常の指揮台からの指揮でした。ですから、小澤さんの後姿をじっくりと見つつ聴かせていただきました。とても難解な音楽ではありますが、いつものように譜面を頭に入れて、暗譜で指揮される小澤さんの姿がありました。若いころの指揮棒を持った姿でなく、指揮棒を持たずに、手だけで指揮されるそのころの小澤さんの姿でした。さほど近い席ではなかったので、十分に指揮される表情は、分からなかったのですが、「レクイエム」ということで、静かに終わっていくエンディングに、まさに戦争で犠牲になった人々を悼む姿を見る思いがしました。小澤さんが、最後の音を切って音がすーっとホールに消えていったのですが、小澤さんは、手をおろさずに無音が十秒程度はあったように思われました。その「静粛さ、厳粛な空間」もまた印象的であり、今でもその瞬間の記憶は残っています。そのあと、作曲者自身のブリテン指揮による戦争レクイエムを聴いて、車で帰ったことを記憶しています。

調べてみると2009年のことであったようですね。今から15年も前でしたか。私が、まだ代表就任前の頃でしたか。現在は、セイジオザワ松本フェスティバルと名前を変えて行われていましたが、これからも、ずっと長く小澤さんの名前を冠した音楽祭が続いていくことを願っております。そう、小澤さんに影響を受け、小澤さんが評価した音楽家が後を継いでいただけますように。再び、松本の夏に、一流の音楽を一流の会場で味わえることを楽しみにしています。