11月12日、いびがわマラソンの日でした。いびがわマラソンの序盤に当事務所の前を5000人を超えるランナーが通過するので、非常ににぎやかになるのですが、今年はそんなマラソンを楽しむムードにはなれませんでした。というのは、その日の夕方に、当事務所のスタッフの披露宴があるからでした。事務所の代表者というと、披露宴はで祝辞を述べる立場ではないですか。今回で3度目でしたが、慣れませんね。今回は、何ら書かずに頭の中で言うことを整理して口に出そうと思っていましたが、マラソンを応援していて、三男が走るのを見ていてもどことなく上の空で、胃がキリキリと痛むくらいに。なんとか落ち着かせるために、「スマホのメモ帳」を取り出して、言う言葉を書き出してみて、何度か読み返してみました。すると、何とか胃の痛みも治まりました。いびがわマラソンは、アメリカのユタ州から選手たちを招待して行われること、五輪金メダリストの高橋尚子さんも走ってくれること、沿道の熱烈歓迎の応援などで、マラソンランナーより高い評価を受けているマラソン大会ですけれど、この日はそれどころではなかったのです。
結婚式をキリスト教式で終えて、披露宴に入り、若干当事務所のスタッフである新郎と、当日のシェフの話があって、祝辞を述べましたが、まあ思った通りに近く話せたかなと。スマホ見ながらとか思いましたが、細かい字で見づらいだろうからとやめました。新郎と新婦が一生懸命にこちらを向いて聞いてくれているのが印象的で、それを見ていると「どきどき感」も収まり、幸せになれよという気持ちになれました。
自分の息子もあと5年程度先には結婚するのだろうなと考えると、今時の披露宴がどんな感じで行われるのかということには興味が湧いてくるのですが、昔の結婚式、披露宴ってどんなものであったかというのを、今の20代、30代の人たちにも知ってもらいたいと思います。もちろん、「昔は良かったが、今はだめだ」とか言うつもりは毛頭ありません。
いつの間にかなくなった(減った)もの、神前式の結婚式。「三々九度のさかづき」などと言って分かるのでしょうか。雅楽の演奏がされる中で厳かに執り行われる神前式、もちろん新郎新婦は和装で。白無垢の新婦、羽織袴の新郎という組み合わせが日本独特で良いと思えるのですが、見られません。あと、媒酌人夫妻の存在です。若い二人を見守るベテラン夫婦が務めるように思うのですが、その存在がありません。媒酌人を依頼する手間、その大役を務める夫婦の心的負担を考えるとない方が平和なのかもしれません。媒酌人さんが、新郎新婦の略歴を紹介していましたが、そのような紹介をする時間もなくなっているのは、いかがなものかと思うことはあります。略歴を「司会者が語る」、「スライドショーで、写真とともに」というのが一般的になったのですね。あるいは、席次表とともに、新郎新婦の紹介があったりするのは以前はなかったことかもしれません。最近やらないなあと感じたのは、「友人から贈る言葉(スピーチ)」と「友人の余興」ですね。友人たちって、確かにスピーチや余興があるとしたら、ドキドキで披露宴を楽しめないでしょうから、それもありなのかもと思いますが、職場の上司からしたら、このスタッフはどんな学生生活を送ってきたか、そんな笑えるエピソードが披露されるというのは楽しいことではないかと思うのですけどね。
かくいう私は、友人の披露宴で、従妹の披露宴で歌を披露しました。それぞれリクエストされたので、断らなかったですね。あと男声合唱部に属していましたので、同じ合唱の仲間たちと合唱を披露したこともありますし、先輩の披露宴で歌ったこともありましたし。合唱を生で聞かせるのは、お酒が入っていると大いに盛り上がるのです。どこでも、大いに歓迎されていたと思います(思い込みかも?)。合唱で歌う曲は、我が母校の中央大学校歌「中央の名よ、栄あれ」と華やかに終わります。もう一つ、宮城県民謡の最太郎節です。「松島のさよ瑞巌寺ほどの寺もないとえ」で始まり「大漁だえ」で終わる縁起の良い景気の良い歌です。親も、大変喜んでいたように思います。
そう、あと私たちの頃は「キャンドルサービス」というのは当たり前にあったように思います。新郎新婦が、各テーブルをまわって挨拶して、キャンドルに火を灯すイベントですね。今は、各テーブルごとに、新郎新婦と写真を撮って回るイベントに代わっているようですね。「ウェディングケーキ入刀」とうのも、必ずしも画一的なケーキではなくなってきたように思います。ある披露宴では、計算機を模したケーキが登場したのは驚きました。
今は、記録媒体が大きく進化しているので、録画された画像も美しいことでしょう。手軽に写真も撮影できるのが大きく変わったことだと思います。
今も昔も変わらぬのは、結婚したカップルへの温かい視線、幸せそうな二人に対してこちらも嬉しくなる気持ち。「披露宴、多少の緊張あるけれど、やれば一生の思い出となる」。いまだに26年近く経ったあの日の出来事は、心の隅に残り、今でも引き出すことができる思い出です。