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いび祭り 宴の後のわびしさ

いび祭りは、昼の青空の下で映える山車も美しいのですが、夜がふけてから始まる子ども歌舞伎千秋楽を観てから帰途につく各山車の様子と、三輪神社からどんどん山車が曳きだされていって、人がいなくなっていく様もまた趣深いものがあるなあと思わされます。

夜は、山車に提灯がとりつけられて、その提灯に火がともり(実際の火ではなく電灯ですけれど)、幻想的な雰囲気になります。その中で、子ども歌舞伎が演じられるのです。三輪神社で行われる最後の歌舞伎ということですから、自分が小学校6年生で出演した時は、すごく張り切っていた、高揚感があったという思いがあります。これについては、人それぞれでしょうか、観客のいるところが暗いので、表情が気にならないので、自分の演技に打ち込める良さがあるのです。昼ですと、観ている人の顔が視界に入ってくるのです。これが、あまりよくないように感じます。暗い夜の方が、声援する方も、実は声を出しやすかったりするものですよね。今年は、途中から三輪神社に行ったのですが、近年にない人の数でした。これだけ多くの人たちの声援を受けられながら演じられるっていいなと感じました。

祭りの思い出は、子どもの時の方が数多く残っていることでしょう。私は、ずっと舞台に出ている役でした。師匠が厳しかったのと、自分が不器用なのとあって、つらくて泣いたことも随分あったと思います。あとから、その師匠から「君に対しては、とても厳しく接してきたが、君が喉も張り裂けんばかりに頑張っている姿を見て、感動して涙が出てきた」と手紙をいただいたことが思い出されます。

子ども歌舞伎が終演となると、5つの山車は、それぞれの町の山車倉へと帰っていく用意をします。電源が、各山車に載せられたバッテリーへと切り替えがなされて、先導の非常に高さのある竿提灯に火が灯されて、山車正面に配置される風景、実は人生で初でした。おおー、なかなかいいものであるなあと、感動させられます。そのあと、三輪神社より遠方の町内にある山車より、三輪神社から町内へと帰路に就くため曳き出されていきます。「下神町市車山(いちやま)」を先頭に、すこしづつ減っていく山車、曳き手。「帰り車山(かえりやま)」のお囃子にのせて、山車が最初は、三輪神社境内を前後に曳きながら、そして方向転換を行って、大きな車山が三輪神社を去っていきます。上新町龍宮車山(りゅうぐうやま)」、下町鳳凰車山(ほうおうやま)、中町住吉車山(すみよしやま)、上町高砂車山(たかさごやま)という順番は、私の子どもの時から全く変わっていません。伝統なのです。だんだんと車山がなくなっていって、ほとんど客もいない三輪神社が取り残される寂しい様子もまた、「わび」「さび」という日本らしい風情があって趣深くも感じるものです。ああ、いび祭りも無事に終わったなあとなるのは、まだ早いかもしれません。各町内にある倉に車山が収納されて終わったとなるのでしょう。

祭りの伝統を守り伝えていくという重要な責務を私たちは、担っていかねばなりませんね。様々な手を使って。