(今回は、いつもと意図的に文体を変えています。ご了承ください。)
やはり私の揖斐への愛着は「いび祭り」からきているのは間違いない。
いび祭りは、揖斐川町三輪にある三輪神社の祭礼だ。この祭りは、300年以上の歴史を誇るもので、近隣からも多くの見物客でにぎわっている。私の以前の住居は、この三輪神社のほぼ裏手にある「本町通商店街」の中にあった。まさに祭りの中心地域が目と鼻の先である。小学校までは、五両ある「山車」の上に乗せてもらった。
小学6年の時には、伝統ある子供歌舞伎に出演させてもらった。これは大きな出来事だった。町内の役員の方が頭を下げて頼みに来られたのを記憶している。どんな内容の歌舞伎なのかと聞いたけれど、そのころの頭ではよくわからなかったような気がする。今思うととんでもない役であった。他の出演者は、全体の一部分しか登場しないのに、私だけはずっと舞台の上に立ち続ける役だった。役は、赤穂浪士の一人である潮田又ノ丞である。いまだに、登場した時のセリフは言うことができる。セリフはともかく、振付を覚えるのがまた大変だったと思う。今は夢ででてこないが、長い間「振付を覚えていない、どうしよう」と思っている自分が夢に出てくるのだ。振付の指導をされる師匠の厳しかったこと、なかなかびしっとできない自分がもどかしいという思いもあった。辛くて、数回泣いた。やってられないと、稽古場を逃げ出したこともあったように思う。
やりを空中で投げて、右から左に持ち替える場面もあったが、稽古の時はほとんど成功しなかった。何度もやりを落としたのだ。周りも、どこかまた失敗したという目で見ている冷めた雰囲気を感じた。
毎回、最初に登場するときに、初めて口にするセリフを言うまで緊張したなあ。障子を引き開けて登場してからセリフを言うシーンだ。それさえ、終わればかなりの部分が、他の子供歌舞伎役者との対話が多く、役者の顔を見ながらのセリフだったので、そこまでの緊張はしなかったなあ。
本番は、やはりお客さんからの視線が気になるのだ。それがプレッシャーかというと、そこまでではなかった。むしろ、いい意味での発奮材料だった。そして、昼と夜の公演は大きく違うなと感じさせられた。夜の公演の方が、周りが暗くて見えない分、演技に集中力が出るのだ。さらには、「応援する声」、「拍手」があるとすごく発奮したのを思い出す。千秋楽で演じ終えてからも、もう一芝居やるか?と問われて「やりたい」と言っていた自分がいた。
そう、その時、自分って本番に強いタイプだ!って思わされたことがあった。何度も何度も失敗した「やりの持ち手替え」、本番では一度も失敗せずに終わることができたのだ。それで気分が良くなったのだ。
厳しかった師匠も、手紙で「あの千秋楽でのども張り裂けんばかりに張り上げた声に涙が出る思い」だったと書かれてあった。他の子が、休む中私はずっと出っ放しで覚えることが多くて辛さもあったが、今でもその思い出を語ることができるほど覚えている小学校6年生の時の子供歌舞伎の思い出である。
昭和55年(1980年)5月5日という「5」が並ぶ日、ずっと天気は晴天ではなかったものの、風も激しくない曇った日であった。気候が非常に良かったのを記憶している。まだ、商店街も賑わいがずいぶん残っていた頃だったなあ。もうあれから46年、半世紀近くにもなる。あの時お世話になった方々の多くは、今この世にいないのだと思うと、時の経過をしみじみかみしめる思いだ。「伝統を引き継ぐ役を担う」、これから私に何ができるか思案させられる。