我ながらよく続いていると思うこのコラムです。一番前までさかのぼると「2020年2月」から続いています。合計で「286本」のコラムが、現在公開されているようですが、このコラムを書き続けられるという力、意欲ってどこからきているのだろうなと考えると、これ「遺伝」なのではないかと思います。
私は、文章を書くのを全く苦にしない人だっていうのが、「遺伝」しているのです。私の母は、常に日記を深夜まで書いていた記憶があります。そして、時には暮らしの作文ということで、「中日新聞」に寄稿して、掲載されたこともあります。それだけ、母の文章を書きたい、文章で自己を表現したいという気持ちが私にも遺伝したということでしょう。
「遺伝」というと、税理士として、親子をよく見ていますが、「やっぱり親子だなあ、似ているなあ」という場面にはよく出会います。一番印象深いのは、I社ですね。この親子は、二人ともいい声なんですよね。聞きほれます。株主総会での議事進行されるときの「声」のダンディーな低い声が印象的だった先代。決算説明時にコメントされる時の社長の声、安心感のある太い声、よく似ているのです。
さて、当事務所の歴史を振り返ると、17年前までは、母の弟である伯父が在籍していて、所長である父の次のポジションである「副所長」でいました。周囲から見れば、私は伯父に似ていると思われた方のほうが多いのではないかと思います。伯父は、私の代表就任を機会に私どもを去っていきましたが、その影響、名残りは、今でも残っているのではないかと思っています。よくテレビで涙をこぼしていた母。伯父に「涙、こぼさないって考えられる?」って聞いたんです。「いや、それって考えられない」といった伯父。なんか繋がっているなあって感じたんです。私が小学校時代に、初めて行ったナゴヤ球場。伯父と父が一緒でしたが、「今日の先発投手、誰かわかるか?」「今日は、藤沢だよ(その年に新人王でした)」と予想を披露してくれた伯父。ずばり正解でした。その頃、私は先発のローテーションなんて知らなかったのです。
そんな伯父が常々仕事で大事にしていたのは、「業容拡大」よりも社内の「人員配置」、「誰に何を頼むと、成果をあげられるか」ということでした。今となっては、身にしみてわかるその教えです。父と伯父で、いいバランスでうちの事務所は経営してきたのであったのだなあと。父のたくましくお客様を開拓していく姿勢、新しいものを取り入れていく姿勢に、伯父の場を整えていくのが大事と考える思考、いずれも経営では重要な要素です。そのいずれもバランスよく配分するということを考えられる経営者でありたいものだと常々思うのです。
私には、父の拡大心旺盛である「血」と、伯父の組織を維持し調えるという「血」の両方が混じりあっていると感じる年末のひと時です。