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3年ぶり!いび祭り復活を歓迎する!

事務所の所在する「揖斐川町三輪」の三輪神社の例大祭であるいび祭りは、ようやく今年は開催されることになりました。

2年の間、全く祭礼が行われなかったいび祭り。笛太鼓の音に、心躍らせた日常が戻ってくると思うと、胸を躍らせずにはおれません。

とはいうものの、コロナ禍での祭りの開催で、かなり規模が縮小されてしまいます。

さて、いび祭りがこのように中止されたのは、太平洋戦争(大東亜戦争)の戦中戦後にもありました。そして再開されるのは昭和25年(1950年)でした。

その子ども歌舞伎には、私の父が熊谷次郎直実として出演させていただきました。その30年後(1980年、昭和55年)に、私が赤穂浪士の一人である潮田として出演させていただきました。

そのまた30年後(2010年)に、私の長男と二男が出演しました。さらにその5年後(2015年)には三男が出演しました。

2010,2015のいずれも私は、裏方で「冊子づくり」「祭りの寄付集め」「本番でのつけ打ち」など奔走させていただきました。もちろん、1950年は、生まれる前で何も分かりませんですが。

自分自身としては、思い出深い「いび祭り」なのです。そして、我が家族が関連している西暦でいう出演年は、すべて5の倍数ではないですか。この理由は、決まっていて町内には、5つのやま(車へんに山)があるのですが、その5つのやまの舞台上で子ども歌舞伎は演じられるのです。本当に狭い舞台です。体が大きなおとなですと「つりあい」がとれません。子どもが演じるからこそ見栄えのする舞台であると思います。5つの町で交代交代で子どおもも歌舞伎が演じられてきたのです。同じ町内であれば、5年に一度の当番町になるという意味です。

そんなことで、私が生まれ育ったの町内は、揖斐川町三輪の上町(カンマチとかカミマチと言ってます)でした。上町は5の倍数が、当番の年であったということです。今は、他の町内である事務所近郊の前島に自宅はありますが、上町に子どもがいる世帯が少数であること、私や父が生まれ育った地があるという縁故の存在から、上町の役員さんから依頼を受けて出演させていただいたり、裏方を務めさせたりさせていただいています。

すっかり思い出話となってしまいました。現実に戻しましょう。

今年の開催の特徴は、

①人が神輿を担がず車で運ぶこと

②奉納芸である子ども歌舞伎は行うこと

③やまは、歌舞伎を行う上町のみ出ること

④歌舞伎の上演は、夜に行わないこと

⑤さらに三輪神社境内にての上演がないこと

が例年とは異なり、露店ももちろんありません。随分華やかさに欠ける祭りではありますが、再び祭りが開催される日が到来したことを喜びたいと思っています。

戦後からの復興の際も上町から、コロナ禍からの再開も上町からというのも何かの因縁なのでしょうか。上町のやまは、令和の大改修を終えての初のお披露目となります。新調された高砂やまの雄姿が拝めるのを楽しみにしたいです。

上町区長より「早くコロナウイルス感染が終息します様に願いを込めて奉納芸を上演させて頂きます」とあります。私たちも同様の気持ちで子ども歌舞伎を、そしていび祭りを応援したいと思います。