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病院での生活 「食」に注目して 当時の手記より

当コラムは、入院して1ヶ月半ほど経った10月25日に手書きしたものをほぼ忠実にテキスト化したものです。

この文章は、令和元年11月1日の「朝礼スピーチ」の原稿として記したものです。入院中で、私が現地に行ってスピーチできないので、父が代わって読んでくれました。では、初公開の入院中の手記です。

 

 

『「病院での生活を体験して」というテーマでスピーチしたいと思います
年度始めの11月1日に、9月9日からの病によって顔を出せなくなってしまったこと
を残念に思うのとともにおわびいたします。
社会人は、まず、心身が健康であることが第一であるという、そんな当たり前のことができていなかったことに自分自身反省しかありません。
約2ヶ月の半身まひの状態は、情けなく悔しい気持ちであります。
それでも、私の病は発症は未然に防ぐことができた可能性はなかったのだろうか。
いえ、防ぐ可能性はありました。ある方に言われました。
「国枝さん、黄色信号で交差点を渡り続けて、とうとう今回は赤信号で交差点に進入して事故を起こしたようなもんだぞ。」
健康診断の結果を見て、その治療に時間をかけなければならないところを怠っていたということです。
具体的には、「高血圧の放置」ということでした。
高血圧は、単に血圧が基準値より高いというだけでは、私の場合は何ら体に痛みを発生させませんでしたが、
突然として脳内出血を起こし、その後遺障害によって苦しむことになるということです。
幸い、命を失うことなく、障害も左手、左足程度ですみました。
しかし、医師からは、再度出血すると「命がなくなるから」ときつく言われました。
自らの身体に、家族、スタッフ、スタッフの家族など多くの生活がかかっていることを自覚して、自らの健康管理に努めていきます。
さて、反省の気持ちの表明はこのぐらいにして、スピーチテーマである
「病院での生活を体験して」というところに入ります。
私、50年間、数日の入院もしたことがなく、病院でくらすということは考えたことがありませんでした。
この病院生活で感じたこと、学んだことをお話ししたいと思います。
入院生活を楽しいと感じるか、ずっとみじめと感じるかで病の治り方も違うと思いますが、
それなりに楽しいと感じています。
今現在入院している岐阜清流病院さんの運営が良いことが一番大きな要因だと思います。
細かな事で、これは変だと思うところもないではありませんが、おおむね満足しています。
良い点は、大きく言えば、「食事」と「リハビリスタッフさんの接遇姿勢」です。
まずは、「食事」について、今回はお話ししたいと思います。
たぶん、みなさん「代表は、食いしん坊だから、出されたものでは満足できないのではないか?」と思われるかもしれませんが、病院食以外のものは一切口にしていない生活を1ヶ月続けています
1日1440カロリーと、量的な制限はされていますが、3食おいしくいただくことができて感謝しています。
病院食というと従来、「冷えている、まずい」という話を聞いていましたが、違っていました。
やはり病院にいると楽しみのうちのひとつが「3度のごはん」ということですので、
病院側も最近は、それを大事にしているということでしょう。
まず、料理面では当たり前の「冷たいものは冷たく、熱いものは熱く」提供されます。
皿や小鉢が載せられるトレイを熱くしたり、ふたをすることによって、
保温しながら提供してくれます。
利用者さんごとに症状はもちろん、そして料理の好き嫌いというのもあるので、
それに対応したメニュー作りをされているのに感心させられます。
利用者さん目線で、個別対応するメニュー作りいいなと思います。
そして、毎食あきのこない提供の仕方がされています。
同じ食材でも、調理方法が変わっていたり、味つけ、調味料が変わっていたり。
カロリー制限があるからか、「カレーライス」「トンカツ」「パスタ」「ラーメン」は一切提供されませんが、
見た目やバラエティも配慮されたメニュー作りで満足させていただいています。
私たち(税理士事務所)のサービスも、お客様への提供の仕方しだいで、お客さま満足度は大きく変わってくると思います。
説明の仕方にひと工夫するとか、お客さまの反応を見ながら対応を変えるなどの工夫をして、
より満足度を向上させられたら良いなあと感じました。
令和2年度も、お客様の良きパートナーとなるべく努力してまいりましょう。
令和元年11月
以上でスピーチ終わります。』
病院にいても、経営者目線は失われていませんね。ただ、今でも思い出されるのは、病院にいると、暇で「食べることしか楽しみがない」ということなのです。もちろん、職員が見舞いに来てくれて、嬉しいというのはありますが、ずっと居てくれることはない。生きていく証が食事。だから、食事の提供の仕方について、その内容についての観察が、ずっと普段よりも濃いように思います。じっくり味わっていたのですよ。