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「脳出血発症」より3年 ~天からのありがたい「警告」を生かして~

令和元年9月9日。この日は、忘れもできない日として、一生自分の記憶に残り続けると思います。私が、脳出血を発症して救急車で岐阜大学付属病院に搬送されて入院した日です。忘れることはありません。「99」の日に、救急車というのもゴロも良いですし、息子の誕生日でもあります。令和の最初の年ということでも記憶に残しやすいかなと思えます。幸いのことにコロナ禍が始まる前年の入院でありましたから、家族と会うことに何ら支障もなく、多くの方々に見舞っていただき、人との関係の温かさを感じさせていただきつつ、入院していました。退院したのは、12月18日。なんとか、リハビリの先生方のご尽力で歩行ができる体にしていただき、職場復帰も順調にいき、今を懸命に生きています。

従来と違って思うに任せない身体に、不自由さは感じる毎日であり、なんとか元通りとはいかなくとも、それに近い状況になりたいと思いつつ、日々リハビリ生活を送っています。さて、私がこんな身体になってしまった理由、皆様には私を反面教師にしていただきたい思いで記します。

自分が思うに、まず初めに食生活にあったのではないかと思います。恥ずかしながら50歳近くになっても、食べ放題で好きなだけ食べる食事をどれほどしてきたか、外食をしてきたのに、さらに1時間後に自宅で夕食を摂ることもありました。そのようなことから、夕食後は普段の体重から2キロ以上増えていることなど珍しいことではなかったように思います。身長166センチに対して20歳代では63キロが40歳代後半には75キロにまで増えていました。食欲を完全に満たすということで、健康を損なうことになったと思います。

第二は、「血圧」です。健康診断で、高血圧が指摘されて、通院するけれど、長続きせず途中で服薬をやめていました。継続して血圧のコントロールをする意識が皆無でした。って薬を飲まずに、血圧は、ずっと高いまま放置していました。高くて、どこか痛いっていうわけではないから大丈夫だ!そのような意識、認識でした。

健康に対する根拠のない自信が、自分をそうさせていたのでしょう。健康診断、受けたらしっかりと医師の診断を仰ぐ、徹底的に指摘事項を直すという気構えがなかったこと、これがいけなかったのです。他に、職場でのストレス、他の活動でのストレスもあったかもしれませんが、根本は「体重」「血圧」「食生活」が大事なのではないかと思っています。

3年たった現在、毎月1度の医師への通院を欠かさず、定期的に歯科にもかかり、毎日のように体重計に乗り、食事の記録を、退院後継続して実行しています。服薬も、嫌ではありますが、「脳出血」再発は大変困るので、毎日の日課です。食事量は、かなり抑えられているのではないかと思います。満腹という感覚のところまで食べることはなくなりました。多くて腹八分までです。おかげで、体重は学生時代と同じの63キロ弱で、キープしています。久しぶりにあった人からは、「すごく痩せて」という言葉がかえってきます。

大病というのは、自分にとって天からのありがたい「警告」でありました。皆さんは、そんな「警告」が与えられる前に気が付いていただきたいと思います。