6月12日のことです。皆美館を出て、まず向かったのは「松江城」でした。宍道湖のほとりに建つ市役所とは対照的に、松江城を見上げる感じに立地するのが県庁の建物でした。岐阜県とは規模が違うからかもしれませんが、高さがあまり感じられません。低層でどっしりとした趣があります。これって松江城をのある雰囲気を活かすということであったようです。高層ビルが、ない市内で、歩行者用道路も幅広く取られているのが印象に残ります。山陰で一番の年であるのですが、「慌ただしさ」が感じられない落ち着いたたたずまいを感じる官庁街です。松江城天守へは、階段を上っていかなければならないので、暑くて汗をかいてしまいます。身体障害者手帳を提示すると無料で天守へと上らせていただけます。国宝松江城、近くで見ると非常に伝統的な建物という感覚になります。石垣の積み上げ方も非常に立派であると思わされますし。近くまで行って観る価値は大いにあります。そして、天守への入場は、どうかと言いますと、伝統ある木造建築の良さを内部から味わうことができます。姫路城ほどの規模ではないものの、内部は思ったよりも大きく、いくつも階段を上っていかないと最上階にはたどり着きません。狭く急な階段で、上るのも一苦労させられましたが、最上階に上って下界を見下ろす景観は非常に心地よいものがあります。そして、私にとってより怖さを感じるのは下り階段です。階段の木材が滑りやすいので、一歩ずつゆっくりとという感じで歩を進めないといけませんでした。木造を保護するためでしょう、下足を脱いで靴を持ち歩く必要があるので、大きな荷物は持っていくことはできません。荷物は宿やコインロッカーに預けて歩くのがおすすめです。
松江城を上り下りすると大変のどが渇いてきます。ということで、松江城近くにある明治時代の洋風建築である「興雲閣」の中で、営業している喫茶店亀田山喫茶店に行き、しばし休憩をとりました。興雲閣は、大正天皇がお泊りになる迎賓館として使用されたほどの建物で、広く開放的な作りで優雅さを感じる作りです。その後、松江城を後にしてて北へ向かいます。今回のお楽しみの一つでもあった「小泉八雲記念館」へと再び歩いて移動しました。松江城からは森の中を歩いていく感じで、ここは本当に県庁の近くなのかというような静けさの中を歩くことができました。
小泉八雲記念館に到着する前あたりの松江城のお堀と記念館の雰囲気がとりわけ素晴らしいのです。道路のわきには、低い木造家屋が連なり、その反対側に松江城のお堀が見られる、非常に美しい景観だなあと思わされます。ここの歩行者道をゆったりと歩くのもまた良いだろうと思わされます。小泉八雲記念館は、非常に資料が充実していて、かなり見入ってしまいます。この資料館を見てから、連続テレビ小説ばけばけを見てもまた良いだろうなあと思わされるくらい、あのドラマの理解を助けてくれるものであると思います。小泉旧邸を含めて1時間近くは滞在したと思います。小泉八雲記念館近くを「塩見縄手」というようで、松江観光の名所のようです。しかし、人であふれかえるというまでではなく、ゆったりとみられたのが良かったと思います。
松江観光は、平日金曜日であったからでしょうか、人が多くてうんざりすることは全くありませんでした。ランチに、皆美館近く、カラコロ広場近くの遊覧船乗り場近くの洋食店でのランチを予約していたので、今度はタクシーを利用して戻りました。ネットで調べた店で人気店なのか、食事後は金曜日なのに待ちの列ができていました。
せっかくの水の都松江だ、堀川遊覧船に乗ろうということで、乗りました。「船頭さんの案内」「橋くぐりの時の頭下げ」「船頭さんの歌」「数多くの橋の下をくぐる船」というのも良いですが、本当に、緑の鮮やかさが素晴らしかったなあという印象。堀のすぐ近くまで迫る民家の多さも印象に残ります。十分に自然が残されていて、その自然に人間が寄り添っている感じがいいなあと思わされます。こちらは、身体障害者とその同伴者は半額になります。一日乗り放題料金ですので、余裕があれば時間帯を違えて乗船するのも良いかもしれません。ちなみに船からもお城は見えますが、近くで見たほうが良いです。
松江観光おすすめ
① 堀川遊覧船 ②松江城 ③小泉八雲記念館 ④宍道湖大橋からの眺望
宍道湖の夕景はお勧めと言われましたが、これは天気次第でしょう。ただ、「宍道湖大橋」を徒歩で往復するのは、湖面を眺めつつ気持ちよい風に吹かれながらですと、非常に気分が良いものです。眼前の広がりが大きくて、小さなことなんか気にしなくてよいって思わされます。また、宍道湖大橋から松江市役所も見られますね。市役所でも「ばけばけ」にまつわる展示がなされていました。
松江、昔の面影を色濃く残す町。ここが高層ビルが全く建っていない風景だったら、さぞかし良かっただろうなあと。ラフカディオ・ハーンが出会った松江は今よりもさらに「風流」だっただろうなあと思わされます。