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103万の壁について、どう考えるか?

国民民主党は、総選挙で「手取りを増やす」「103万円の壁を引き上げる」として、広範な国民の支持を得ることになり、議席数も7議席から28議席に4倍増と大きくその存在感が増しましたね。「103万の壁」というのは、「税制」の事であるので、当然、「税理士」の領域になります。

これについて、どう考えるのか、私の意見を述べてみたいと思います。税は、どうあるべきか、どう課税されるべきなのかという観点から話すのが良いだろうとと思います。税は、「社会、公共的な費用」をまかなうために、我々国民が、税法に従って、その負担をするべきものです。この税負担のあり方として、個々人の税金負担能力に応じて負担するべきと考えるべきでしょう。すなわち、応能負担原則によって、税を負担するべきで、税を負担する能力が低ければ、その人には当然、低い割合で税を負担してもらうべきであり、負担能力の高い人には、高い割合で負担してもらうのが理にかなっていると考えます。

この原則が、所得税には貫かれており、「課税される所得」が高ければ、高いほど税率が高くなるという「累進課税制度」が採用されています。また、個々人の担税力に配慮した各種の「控除」が認められているのが、法人税とは違っている点です。「控除」の中で、数年前までは、だれでも適用されてきた「基礎控除」があります。この基礎控除の意味は、憲法25条の生存権の権利を具体化した控除と言われています。生存権とは、国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するというものです。ですから、税収を増やすために、高額所得者の基礎控除を廃止した税制改正は、厳しく批判されるべきだと考えます。103万円というのは、この「基礎控除」48万円と「給与所得控除」55万を合計した数字です。給与をもらう人は、その収入から103万円を差し引いた分からしか、所得税がかかりませんよということです。

では、その103万円というのは妥当な数字なのでしょうか。単身の世帯が暮らしていくうえで、103万円で現実的に「健康で文化的な」生活を送れるのでしょうか。「最低限度」という言葉は、何を意味しているのかも諸説あるのですが。私が、税理士事務所に勤め始めた時から、この103万円という数字が変わっていないことは、疑問に思わざるを得ません。税理士会には、「調査研究部」とうのがありますが、私はその一員として、「基礎控除」の38万とか48万円というのは、あまりにも低いことを問題視してきました。税制に対する建議権を活かして国会議員に「基礎控除」を大幅に引き上げよと提言してきました。

ただし、「給与所得控除」を「基礎控除」と全く同じように見ることはできません。「給与所得控除」は、「給与所得」(給料、賞与など)を得ている人しか受けることができません。フリーランス、個人事業主は受けられません。これは、これで不合理な制度です。給与所得者を優遇する制度なのではないかと思えます。こちらの改革は、緊急性はないと考えますので、今回はここまでにしておきます。

103万円の壁、これは当然引き上げるべきでしょう。国民民主党が言う178万円までは、所得税を課税しない、「最低賃金の上昇率」を基準としているようですが、物価上昇率を基準とするよりも合理的だと思います。「健康で文化的」のレベル感が、平成の初期と現代では異なっているのではありませんか。平成初期には、エアコンは当たり前ではなかった。車の所有でも、1人1台ではありませんでした。当然、スマートフォンは、ありませんでした。トイレのウオッシュレットは、当然とは言えませんでした。今の大学生は、和式のトイレなんか当然見向きもしないし、ウオシュレットがなくて残念と思えるくらいの快適性の向上っぷりです。社会の成熟化、発展に応じて、「健康で文化的」レベルは、引き上げていくべきなのではないでしょうか。ですから、物価の上昇に見合った壁の金額の引き上げでは、足りません。

このところの、消費税の増税、社会保険料の増加に加えて、物価の高騰で、庶民は生活を何とか切り詰めてしのぐという方も多いのではないでしょうか。消費税導入から増税一本やりであった(法人税の税率は大いに下がりましたが)税制度を根本から見直す契機を国民民主党は作ってくれたと思います。そして、税制の論議を積極的に行うこと自体は、非常に歓迎するべきことです。いつの間にやら、訳が分からない税制が可決され通ったというようなことがないよう、「透明性」の高い議論をしていただき、税に対する国民の信頼を取り戻せるようにしてほしいと思います。