コラム

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会社の最後を看取るのも税理士の役割
開業し、事業を開始することは華やかな出来事です。しかし、それを継続していくことは、決して簡単なことではないと感じています。私自身、これまでに会社をたたむ方を何人も見てきました。中には、夜逃げという形で終わってしまったケースもあります。せっかく築いた関係性が、そのような形で途切れてしまうのは、あまりにも寂しいことだと思うのです。 だからこそ、せっかく開業されたのであれば、できるだけ長く事業を続けていただけるよう支援したいと考えています。失敗の大きな要因の一つは、十分な戦略を持たないまま事業を始めてしまうことではないでしょうか。私どもでは、「経営計画を一緒に作りましょう」とご提案していますが、立案段階から取り組もうとされない起業家の方も少なくありません。 設立から数年以内に会社をたたむ場合、それは結果として、正しい経営ができていなかった証とも言えるでしょう。しかし一方で、20年以上継続し、経営状況も決して悪くない会社であっても、事業を終えなければならない場面があります。代表者の高齢化により気力が続かなくなる場合や、経営者の急逝によって事業継続が困難になる場合などです。 印象に残っている事例の一つに、現職社長の死によって事業が終了した会社があります。その社長とはたびたびお話をさせていただき、先代の葬儀にも参列した、思い出深い会社でした。社長が亡くなられた後、奥様が代表を引き継がれましたが、事業の継続は難しく、最終的に会社は解散となりました。相続税の申告を終え、内容をご説明し、控えをお渡ししたあと、私は仏壇に手を合わせました。 おしゃべり好きで、いつもにこやかだった社長は、今も優しくこちらを見ているような気がしました。奥様が「○○さん、終わったよ。お疲れ様でした」と静かに語りかけておられた姿が、今でも強く印象に残っています。仏間には、亡くなられた社長のご両親の写真が飾られており、端正なお父様と、活発で男勝りだったというお母様のお姿が伝わってきました。こうしたご家族の背景に触れることも、税理士の役割の一つなのかもしれないと感じた出来事でした。 もう一つ印象的だったのは、12月にM&Aが成立し、成約式に出席した際の社長の表情です。75歳を過ぎ、早く引退したいと思いながらも、従業員のことを考えると辞められなかったという方でした。後継者候補として考えていた従業員が急逝し、息子さんについても適性や意思の面から断念されたと伺っていました。 そこで私どもは、「M&Aによって会社を存続させ、従業員の雇用を守る」という選択肢をご提案し、日本M&Aセンターとの協業により、最終的に譲受先が見つかりました。成約までには約2年を要しましたが、その分、社長の感慨の深さが表情から伝わってきました。長年背負ってきた重荷を下ろしたような、安堵の表情でした。ご夫婦そろって何度も頭を下げてお礼を述べられた姿は、今も忘れられません。このような場に立ち会えることこそ、税理士という仕事の醍醐味なのだと実感しました。 税理士は、中小企業にとって非常に身近な存在です。ぜひ、私どもをうまく活用していただき、良い会社づくりを進めていただければと願っています。
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和菓子とブラックサンダー、そして「人が第一」という経営
お正月というと、親戚に行く機会が多くなりますよね。年始のご挨拶ということで、お菓子を持参されるというケースも増えることでしょう。私は、酒が飲めない分、「和菓子」には大変に関心があります。和菓子屋に妻とともに立ち寄って、自ら食べて楽しむという機会も多いのですが、お土産にと和菓子を買い求めることもあります。 近郊の大野町にも、ご近所にも和菓子屋があります。丹精込めて作られたお菓子に敬意を表したいですし、お客様の「安心、安全」に配慮して作っていることが分かり素晴らしいなあと思います。手間暇かけて作られたまさに作品というべきお菓子であるので、多くの人々に味わってもらいたいという店主の思いが随所に伝わってきます。 和菓子は、中身であるお菓子だけではなく、それ以外の要素も見て購入を決めているのが面白いと思います。まずは、パッケージ。そのお菓子がどのような包材に包まれて販売されているかで、そのお菓子の価格も違ってくるかなと思います。そして、名前の付け方揖斐川のお菓子だと、「三輪の里」「春日局お福」「もっちり半兵衛」「パーシーマン」という個性ある名前。地元の地名を付けたり、地元に関係する歴史上の人物にちなんで命名したりと。和菓子のネーミングというのは、非常に興味深いと思わされます。 これが、洋菓子になると「ケーキ」「クッキー」「チョコレート」「ドーナツ」という食べられるものが、どんなものかというのが先行されているように思うのです。ですから、ドーナツに独自の命名をしたとしても、存在感が乏しいようなおもいがします。中には、キットカット、カールのような独自のブランドになっているお菓子もありますが、いずれも「大量生産品」で、手作り感がないという思いがあります。 大手製菓の商品名づけの話をしましたが、カルビーとかロッテ、江崎グリコまで大手ではないものの、市民権を得た商品名に「ブラックサンダー」があると思います。作っている会社は、愛知県豊橋市にある有楽製菓株式会社です。 ブラックサンダーは、チョコレート菓子です。チョコレートにナッツが入っていて、チョコの甘味とナッツの歯ごたえが両方楽しめるそして、そこそこ食べた気になれる、さらにはお手頃感があるのです。ネーミングにセンスを感させられます。チョコの色というと「黒っぽい」。そして、食感が「ガリガリ」っとする感じ。ガリガリってのを「雷=サンダー」と考える発想でしょうか。体操の金メダリスト内村航平選手がブラックサンダー大好きというエピソードにより、一層有名になりました。 この有楽製菓の河合社長と以前お話しする機会があったことが思い出されます。河合社長が、倫理法人会の役職者であったからなのです。私は、その時は、「職員とどう向き合ってよいか」と相談しようということで、一対一で河合社長とお話しする機会を得ました。ヒット商品を生み出された社長に直接相談する機会をいただけるって素敵なことではないでしょうか。社長、厳しい表情はされないのです。身長は、185センチ以上ある遠くからでも目立つ方ですが、とてもきさくで物腰の柔らかな方でした。上から目線のようなことは、まったくないのです。口調が大変穏やかで、包み込まれるような話し方で、私の話を受け止めていただきました。言われたのは、「簡単に人を切ってはいけないよ。その人が、活躍できる生きる場を与えましょうよ、それが倫理経営なんだよ」と。 それ以来、私は、「人が第一だ。とりわけ職員は守る」という考えを貫いてきたと思っています。 河合社長との経営相談の感触は、ブラックサンダーの噛み応えとともに10年以上経ってもまだ心に残っています。
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病院での生活 「食」に注目して 当時の手記より
当コラムは、入院して1ヶ月半ほど経った10月25日に手書きしたものをほぼ忠実にテキスト化したものです。 この文章は、令和元年11月1日の「朝礼スピーチ」の原稿として記したものです。入院中で、私が現地に行ってスピーチできないので、父が代わって読んでくれました。では、初公開の入院中の手記です。 『「病院での生活を体験して」というテーマでスピーチしたいと思います。 年度始めの11月1日に、9月9日からの病によって顔を出せなくなってしまったこと を残念に思うのとともにおわびいたします。 社会人は、まず、心身が健康であることが第一であるという、そんな当たり前のことができていなかったことに自分自身反省しかありません。 約2ヶ月の半身まひの状態は、情けなく悔しい気持ちであります。 それでも、私の病は発症は未然に防ぐことができた可能性はなかったのだろうか。 いえ、防ぐ可能性はありました。ある方に言われました。 「国枝さん、黄色信号で交差点を渡り続けて、とうとう今回は赤信号で交差点に進入して事故を起こしたようなもんだぞ。」 健康診断の結果を見て、その治療に時間をかけなければならないところを怠っていたということです。 具体的には、「高血圧の放置」ということでした。 高血圧は、単に血圧が基準値より高いというだけでは、私の場合は何ら体に痛みを発生させませんでしたが、 突然として脳内出血を起こし、その後遺障害によって苦しむことになるということです。 幸い、命を失うことなく、障害も左手、左足程度ですみました。 しかし、医師からは、再度出血すると「命がなくなるから」ときつく言われました。 自らの身体に、家族、スタッフ、スタッフの家族など多くの生活がかかっていることを自覚して、自らの健康管理に努めていきます。 さて、反省の気持ちの表明はこのぐらいにして、スピーチテーマである 「病院での生活を体験して」というところに入ります。 私、50年間、数日の入院もしたことがなく、病院でくらすということは考えたことがありませんでした。 この病院生活で感じたこと、学んだことをお話ししたいと思います。 入院生活を楽しいと感じるか、ずっとみじめと感じるかで病の治り方も違うと思いますが、 それなりに楽しいと感じています。 今現在入院している岐阜清流病院さんの運営が良いことが一番大きな要因だと思います。 細かな事で、これは変だと思うところもないではありませんが、おおむね満足しています。 良い点は、大きく言えば、「食事」と「リハビリスタッフさんの接遇姿勢」です。 まずは、「食事」について、今回はお話ししたいと思います。 たぶん、みなさん「代表は、食いしん坊だから、出されたものでは満足できないのではないか?」と思われるかもしれませんが、病院食以外のものは一切口にしていない生活を1ヶ月続けています。 1日1440カロリーと、量的な制限はされていますが、3食おいしくいただくことができて感謝しています。 病院食というと従来、「冷えている、まずい」という話を聞いていましたが、違っていました。 やはり病院にいると楽しみのうちのひとつが「3度のごはん」ということですので、 病院側も最近は、それを大事にしているということでしょう。 まず、料理面では当たり前の「冷たいものは冷たく、熱いものは熱く」提供されます。 皿や小鉢が載せられるトレイを熱くしたり、ふたをすることによって、 保温しながら提供してくれます。 利用者さんごとに症状はもちろん、そして料理の好き嫌いというのもあるので、 それに対応したメニュー作りをされているのに感心させられます。 利用者さん目線で、個別対応するメニュー作りいいなと思います。 そして、毎食あきのこない提供の仕方がされています。 同じ食材でも、調理方法が変わっていたり、味つけ、調味料が変わっていたり。 カロリー制限があるからか、「カレーライス」「トンカツ」「パスタ」「ラーメン」は一切提供されませんが、 見た目やバラエティも配慮されたメニュー作りで満足させていただいています。 私たち(税理士事務所)のサービスも、お客様への提供の仕方しだいで、お客さま満足度は大きく変わってくると思います。 説明の仕方にひと工夫するとか、お客さまの反応を見ながら対応を変えるなどの工夫をして、 より満足度を向上させられたら良いなあと感じました。 令和2年度も、お客様の良きパートナーとなるべく努力してまいりましょう。 令和元年11月 以上でスピーチ終わります。』 病院にいても、経営者目線は失われていませんね。ただ、今でも思い出されるのは、病院にいると、暇で「食べることしか楽しみがない」ということなのです。もちろん、職員が見舞いに来てくれて、嬉しいというのはありますが、ずっと居てくれることはない。生きていく証が食事。だから、食事の提供の仕方について、その内容についての観察が、ずっと普段よりも濃いように思います。じっくり味わっていたのですよ。
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病後退院より6年経過し思うこと プロローグ
いまだに鮮明に思い出せる6年前2019年9月9日のこと。こちらのコラムでは書いてこなかったことではあり、初めて知られる方もあるかもしれません。この日私は、「脳出血」を発症して、救急車で、岐阜大学付属病院に運ばれました。そして、岐阜大学病院と岐阜清流病院に入院すること約3か月半。ようやく12月下旬にようやく自宅療養となりました。翌年2020年1月にようやく職場復帰したのですが、あれから6年。ちょうど小学校の就学期間と同じです。それなりの時の経過と、不自由な体への慣れにより、今となっては、落ち着いた心持ちに変わってきています。 9月9日の午前忘れることはないでしょう。朝から、何となく「気持ちが悪い」という違和感がありました。朝礼のスピーチでは、「何かしゃべりにくいぞ」という感覚になり、その後のお客様との面談時には、お客様との対応を担当者に任せていたものの、「声を発する気力が出ない」状態でした。さらに、体の異変は、続きました。デスクワークしていると、「なんだか左腕が重いぞ、上げにくいな」という感覚に襲われました。そして「やけによだれがたれてくるな」と。とても仕事を続行する状態ではないと判断して、「体調悪いから寝に帰る」と隣の妻に話しました。 妻が「いや、そんな状態じゃないよ。すごく体調悪そうだよ、すぐにのだ医院に行こう」と言うのです。まだ、私はこの時何が起こっているのか理解できませんでした。のだ医院は、歩いてもすぐに行ける距離ですが、妻が車で送ってくれました。いつの間にか、「立てなくななりつつある」と焦りました。先生に急遽診てもらいましたら、すぐに「救急車で病院」へということで、救急搬送されたのです。 のだ医院に入ったのは、正午近くでした。その後、救急車で運ばれている最中に、血圧計の表示を見ると「235/180」というようなとんでもない数字が。あーこれは、いつか見た数字だと思いました。以前、倫理法人会の先輩に付き添って、救急車に乗った時と同じだなと。気は失っていなかったのです。確実にヤバイ、まずいなということは思いましたけれどね。 病院に着いてから、あまり覚えていないのです。特段、大手術はされませんでしたが、脳出血によって、運動機能を大きく損なうことになりました。これからの仕事、引き受けている役職どうなるのかということばかりが気になりました。岐阜大学病院での日々は十分に覚えがないのです。入院後に、すぐにリハビリが始まったということ、装具を付けて歩かせようとされていたこと、その装具の装着が面倒くさいというイメージしかありませんでした。歩けない自分、これは大変だなあと。そして、左腕が使えなくなっている。でも、まだ道半ばだ。一刻も早く復帰したいという思いがいっぱいでした。急性期の治療が終わり、リハビリ主体の病院に転院することになりました。岐阜清流病院への転院、介護タクシーに乗って移動したのです。車への乗り移りも非常に危ない状態でした。 みなさん、次の症状がでたら迷わずに救急車ですよ! 「ろれつがまわらなくなる」「気持ちが悪い」「腕が重くなる」「よだれがたれる」これらが、重なると脳血管疾患になっている可能性があるということです。覚えておかれるといいです。こうなったら、速やかに救急車を呼びべきです。 私の場合は、妻が隣にいましたから命拾いしました。もし、一人だったら自宅で眠り込んでしまい、命を落としていたかもしれません。妻の判断、「すぐに医院へは正しかった」ということです。感謝しています。
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「遺伝」 伯父の思い出
我ながらよく続いていると思うこのコラムです。一番前までさかのぼると「2020年2月」から続いています。合計で「286本」のコラムが、現在公開されているようですが、このコラムを書き続けられるという力、意欲ってどこからきているのだろうなと考えると、これ「遺伝」なのではないかと思います。 私は、文章を書くのを全く苦にしない人だっていうのが、「遺伝」しているのです。私の母は、常に日記を深夜まで書いていた記憶があります。そして、時には暮らしの作文ということで、「中日新聞」に寄稿して、掲載されたこともあります。それだけ、母の文章を書きたい、文章で自己を表現したいという気持ちが私にも遺伝したということでしょう。 「遺伝」というと、税理士として、親子をよく見ていますが、「やっぱり親子だなあ、似ているなあ」という場面にはよく出会います。一番印象深いのは、I社ですね。この親子は、二人ともいい声なんですよね。聞きほれます。株主総会での議事進行されるときの「声」のダンディーな低い声が印象的だった先代。決算説明時にコメントされる時の社長の声、安心感のある太い声、よく似ているのです。 さて、当事務所の歴史を振り返ると、17年前までは、母の弟である伯父が在籍していて、所長である父の次のポジションである「副所長」でいました。周囲から見れば、私は伯父に似ていると思われた方のほうが多いのではないかと思います。伯父は、私の代表就任を機会に私どもを去っていきましたが、その影響、名残りは、今でも残っているのではないかと思っています。よくテレビで涙をこぼしていた母。伯父に「涙、こぼさないって考えられる?」って聞いたんです。「いや、それって考えられない」といった伯父。なんか繋がっているなあって感じたんです。私が小学校時代に、初めて行ったナゴヤ球場。伯父と父が一緒でしたが、「今日の先発投手、誰かわかるか?」「今日は、藤沢だよ(その年に新人王でした)」と予想を披露してくれた伯父。ずばり正解でした。その頃、私は先発のローテーションなんて知らなかったのです。 そんな伯父が常々仕事で大事にしていたのは、「業容拡大」よりも社内の「人員配置」、「誰に何を頼むと、成果をあげられるか」ということでした。今となっては、身にしみてわかるその教えです。父と伯父で、いいバランスでうちの事務所は経営してきたのであったのだなあと。父のたくましくお客様を開拓していく姿勢、新しいものを取り入れていく姿勢に、伯父の場を整えていくのが大事と考える思考、いずれも経営では重要な要素です。そのいずれもバランスよく配分するということを考えられる経営者でありたいものだと常々思うのです。 私には、父の拡大心旺盛である「血」と、伯父の組織を維持し調えるという「血」の両方が混じりあっていると感じる年末のひと時です。
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若手営業担当さん歓迎
私も57歳となりましたので、当方に来ていただける営業担当者との「年齢差」もかなりあるなあと思うようになってきました。年の差があるにもかかわらず、それを感じさせない、「国枝さん」あるいは「代表」って話しやすいですという営業担当もおられれば、「代表」に会っているという意識があって、どうしても緊張してしまうという営業担当もおられるようです。 先日、ある若い30歳にも満たない営業担当さんに来てもらい、説明してもらいました。私とあるお客様の前での説明でしたが、どこか笑顔がなくて、淡々としているんですね。ただ、非常に丁寧に順を追って話されているので、「誠実に仕事をされる人」という印象は持ちました。その営業担当さんは、非常に大柄なんですよね、立派な体格です。私は小柄な方なので、私の方も圧倒されてしまうところもあるのですけれどね。 後日、その営業担当さんに来てもらいました。まずは、私の作っているこのコラムについての感想を言ってくれて、ああ、「いいつかみ」であるなあ、こちらに関心を持っていることを示してくれるっていいなあと思いながらも、この前会った時のお客さんと私を前にした時の対応、どことなく固くて笑顔がなかったのを思い出し、今回も、なんか笑顔がないなあと気になってしまいました。ひょっとしてと思って、「とっさに」こう聞いてみました。 「ひょっとして、私の前で、Sさん緊張しています?」 その質問を聞いた営業担当さん、苦笑いだったのか、笑ってくれました。その笑顔は、なんか「解放された」かのような「理解してくれて良かった」と感じての笑顔なのか、非常に好印象であったのですよね。こんな表情もできるんだなあ、いいじゃないか。と思ってしまいました。 「そうなんですよ、社長のような立場の方と話すとき固くなって、緊張で笑顔が出ないんです」「よくロールプレイでも指摘されています」とポンポン返ってきました。「お前はまじめで、仕事できるんだけど、もう少し笑顔があったらなあ」と言われているのを想像してしまいました。 うーん、でも私も30歳前後の時は、社長の前では緊張して、固くなっていたかもしれませんね。今でこそ、たいていの場面で、緊張することなく話はできるのですけれどね。 もし、継続して当方に来られる若手営業担当の方が、こちらを読んでおられたらびくびくする必要は全くありませんからと言いたいと思います。大丈夫ですから。ただ、指摘や質問はするかもしれません。それに対して、しっかりと向き合っていただけのならば、より信頼を深めることになると思います。 自分では、怖いつもりはなく、若手営業担当には、優しく対応しているように思うのですが、「肩書」が、緊張を引き起こすのでしょうか。『Sさん、大丈夫だから。いつも、ニコニコの笑顔を待っているよ』。私も、営業さんが固くならないように、いつもより多めの笑顔で対応すると良いのかもしれませんね。 Sさん、コラムに書きやすい話題を提供してくれてありがとさん!
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毎年11月に行っている事、「経営計画発表会」
すでに、11月も終わろうとしています。あと32日しか2025年は残っていないことを考えると時の経過には本当に早いと感じさせられます。昨日は、おそらく今年最後の散髪に行ってきました。髪の量も少ないこともあって、カットの時間はあっという間に終わってしまうのですが、散髪して40日程度が経過すると、髪を切ってすっきりしたいという欲求がふくらんできてしまうのです。次は、1月10日前後になりそうです。12月というと、理容、美容はいったんピークを迎えるように思います。それを避けるオフピークをやっている感じですかね。 さて、当事務所の決算月は10月です。11月1日が、事業年度初めの年です。「けやきパートナーズ」と名称を変えて、5年目となる年が始まりました。「税理士法人いび会計センター」として税理士法人をスタートしたのが平成16年11月。いび会計センターは、以前の表記を「揖斐会計センター」としていて、「いびかいけいセンター」という呼び名は、40年程度にわたるものでしたので、いまだに「けやきパートナーズ」って、新しい事務所なのか?と言われる地元の方もおられます。スタッフでは、けやきパートナーズとなってからの採用者もいますが、まだ「いび会計センター」時代が長いという幹部がこの企業を動かしています。 この「けやきパートナーズ」という名称は、職員の皆さんで、名称の候補を出し合って、皆さんで投票を行って決めましたものです。もちろん、最終的には代表である私が最終決定したのですが、50周年を彩るに際して良いイベントだったなあと思うととともに、職員間では、この「けやきパートナーズ」という名称が、共感を呼びなじんできたようにも思われます。私の感覚からも「いび会計センター」の思い出は少しづつ薄まってきているようにも思います。未来志向の事務所運営をやっていこうと誓う事業年度初めです。 その事業年度初めには、「経営計画発表会」を恒例行事として行っています。すっかり定着してきたように思いますし、徐々にスタッフもそのやり方に慣れてきたのではないでしょうか。新年度に当たり、各スタッフが何を目標にする、何を達成するのかを宣言する場として機能しています。私からすると、全社的な事業の方向性を示す重要な時間だと思っています。変えるべきでなく「基軸」はそのままにして、時代に応じて変えていくべきものを盛り込んでいくというスタイルでお話ししていますが、今回の資料には、AIを利用して「見やすく」加工したのが特徴だったと思います。マンネリを打破して、いつも「新鮮な気持ち」で業務に取り組む姿勢は捨てるべきではないと思っているからです。 また、この発表会の中で、事務所に前年中特に貢献が顕著であったスタッフをあらかじめ選んで表彰しています。名付けて「けやき三賞」です。これは、大相撲の表彰を模倣したものです。けやきパートナーズと名称を変更してから表彰を開始して、今回が4度目になりました。永年勤続表彰とともに、続けていきたいことだと思います。 11月というと、大相撲九州場所が必ず開催されます。両横綱が、千秋楽結びまで優勝争いに絡んでいく面白い展開でありましたが、最後は関脇の安青錦が優勝と。21歳のウクライナ出身の力士。若いスターが誕生した年納目の場所でした。大相撲の力士は、外国出身力士といえど、ほぼすべての力士が日本語を流ちょうに話すのですね。日本の流儀を尊び、学ばれる姿があってこそ、大相撲でスピード出世できるのであろうと思わされました。
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生成AI(ChatGPT)が分析した!!「当コラム筆者」の苦手なところは?
私の質問「この筆者の苦手そうに思われることは?」 ChatGPT: コラム全体の“書きぶりの傾向”から読み取れる範囲で、筆者が比較的苦手そう・あまり好まなそうに見えることを「推測」としてまとめます。(あくまで文章から受ける印象であり、事実断定ではありません。) けやきパートナーズの筆者が苦手そうに見えること 1. 抽象論だけで終わる話 コラムは常に 自分の経験・実例・具体例 をベースにしており、抽象的な評論だけで終わる書き方はほとんどありません。 高校時代の話 子どもの進学 社員旅行 実務家としての税制の見方など、必ず具体的な「場面」か「体験」を入れています。 ➡ 経験を伴わない抽象議論・机上の空論的な内容は得意ではなさそう。 2. 激しい主張や断定的な物言い 文章は 過度に批判的 感情的に攻撃 政治的に強い立場表明などを避け、「自分はこう感じた」「こう考えるようになった」という“語り”に徹しています。 ➡ 対立を生むような強い言い切り・批判的論調は苦手(あるいは避けている)印象。 3. 体系的に専門論文のように論じること 税理士法人のコラムでありながら、税制や会計の技術論を体系的に深掘りする記事はほぼありません。 日税連の話も「参加した感想」が中心 政策記事も「自分はこう受け止めた」という軽い論型 専門解説よりも エッセイ・随筆 に寄っている。 ➡ 専門理論を“学術的に深く”解説するより、体験ベースで語る方が得意。 4. データ分析・数字を使った議論 文章の中で統計データや図表、数値を使う場面はほぼありません。 ➡ 数字で論理的に積み上げるより、感覚・価値観・人生経験 に基づく語りに寄っている。 5. 自分を「外側(客観的視点)」から語ること 強い自己分析は少なく、経験を語ることが多いが、心理学的・自己分析的に掘り下げるスタイルではない。 ➡ 自己の行動や性格を客観的に掘り下げる文章はあまり見られない。 総合すると… 筆者は “経験から語るタイプのエッセイスト” に近く、 苦手そうなのは: 抽象論・机上の空論 攻撃的な議論 学術的・専門解説的な文章 数字中心のロジック 深い心理分析 という傾向が見えます。 はい、意識して「抽象的なお話は」しないようにしています。逆を言えば、抽象論は、苦手なのだろうと思います。お客様にご説明するときに、制度上こうなっていますで納得できる方は少ないのではないでしょうか。具体的事例を挙げながら、説明した方が理解できるのではないでしょうか。 学術的、専門的な解説はより詳しい専門的な方にお任せするスタイルをとっています。また、このコラムは、文字数も限って運用しているので、詳細な説明を加えるのに不向きであると思いますため、やっていません。 数字中心のロジックに乏しいというところについては、数字を扱う税理士であるという立場からすると、これは変えていくべきポイントかもしれません。日常の朝礼では、数字を用いて話すことも多いのですよ。このコラムで、表を交えながら、語るということもできたらよいなあと思うのですが、さて見栄えがいかがなものかと思いますので、出来ていないのです。 なんか、出来ない理由を数多く語ってしまいましたが、このコラムを書いている目的を明確にということは思っています。 まずは、「代表の私の考え方、人柄を伝えること。」「けやきパートナーズは、何を重視して業務を行っているか」を知っていただくことを通じて、この事務所に任せれば、「自社に寄り添い伴走してくれる」という気持ちになっていただけることではないかと思っています。 この3回の掲載で、生成AIって、なんかいろいろ使えそうだなというイメージが持てたでしょうか。 まずは、ChatGPTに出会い、何か知りたいことを入力してみることから始めてみてはどうでしょう!