コラム

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愛知四大オーケストラフェスティバル 「チャイコフスキー」はやはりいい!
9月も下旬になり、ようやく暑さも和らぐ今日この頃であります。 すでに3週間も前になるのですが、9月5日(土)「愛知4大オーケストラフェスティバル」を観に行きました。 この催しは、昨年から始まりました。昨年も同じ時期に開催されたと記憶していますが、前回は「ブラームス」の4つの交響曲を各楽団が演奏したのです。人気のブラームスということもあって、チケットは「完売」であったと記憶してます。今年もまた、「チャイコフスキー」の交響曲を取り上げるということが前々から宣伝されていました。チャイコフスキーの交響曲を一度に生演奏で聞ける機会というのは、ほぼないですからね。チャイコフスキー好きの私はぜひ聴きに行きたいと感じました。チャイコフスキーは、全交響曲は6つあるのですが、演奏機会が多いのは、1番と後期交響曲の4番から6番です。その4曲を異なるオーケストラ、指揮者で聴けるというまたとない祝祭のようなイベントです。今回も、想像した通りで開催相当前から売り切れとなっていました。私は、発売開始から日も絶たないうちにチケットを購入していました。手配できたのは、愛知県芸術劇場コンサートホールの1階前方のシートです。前の方の席ほど「熱気」を感じ取れるのです。私としては、そこが大好きです。 さて、当日チケットは、最近はすっかりなじみになった「電子チケット」。スマホの充電切れさえ気を付けていけば、非常に管理は楽で、紙のチケットよりも良いと思います。 プログラムは、交響曲作曲年代順に並んでいます。すなわち「番号順」ということでした。 1番は愛知市内オーケストラ、4番は名古屋フィルハーモニー交響楽団、5番は中部フィルハーモニー交響楽団 6番はセントラル愛知交響楽団の順に演奏されるに先立って、各団の指揮者がプレトークで演奏する各曲の解説をしてくださいました。四者それぞれ持ち味のあるしゃべり方でしたが、一番会場を沸かせたのは、藤岡幸夫さんだったのではないでしょうか。「ブラームスは、チャイコフスキーの交響曲を散々にこき下ろした」という話。そうなのか!という感じで聞かせていただきました。4人の指揮者年齢バランスもちょうどいいくらいだと思いました。40歳代の川瀬賢太郎氏(名フィル)と角田鋼亮氏(セントラル愛知)に60歳代のベテランお二人山下一史氏に藤岡幸夫氏。いずれも日本人なのがいいですよね。一人の外国人もいないので、通訳を介さない楽曲の解説は、分かりやすいように思います。 演奏会は、プレトークが午後0時30分から始まり、午後5時30分終演でしたので、長丁場でした。約5時間でしたが、たびたび聴いてきた耳になじみのある4曲ですので、苦痛はありません。交響曲が一曲演奏されるたびに、休憩を20分ほど挟むので、ちょうどそれがいい切り替え時間となっていたのかもしれません。各交響曲いずれも40分から50分と極端に長い曲はないのがチャイコフスキーの良いところでしょう。 ただ、各オーケストラはそれぞれ、人数が違うので、味わう音の濃度、音圧には違いがあります。愛知室内オーケストラは山下氏の指揮がふくよかで包み込むような優しさを感じさせるものである一方、楽団規模の小ささ、特に弦楽器の人数が少ないのは物足りなさがありました。 スケールの大きさでは、やはり名フィルは一枚上手であると思わされます。「交響曲第4番」での金管楽器の音の厚み華やぎ、木管の優雅で優美であること、さすがに名古屋を代表する老舗オーケストラの風格があります。これは、指揮者はもはやだれでもうまい演奏が聴けるのではというレベルなのではないかと思わされます。 中部フィルは、初めて聴きましたが、藤岡さんの音楽づくりに魅せられたように思わされました。ちょっと最終楽章は、乱痴気騒ぎが過ぎやしないかというくらいの喧騒感がありました。きっと、オーケストラが藤岡さんについていけていない感じはしたんですね。「第5番」、こんな騒がしかったのですねって、初めて気が付かされました。ある意味、衝撃的であったかもしれません。 最後は、静けさの中で終わる第六番悲愴交響曲。やっぱり、悲愴が一番チャイコフスキーらしいほの暗さがあって一番好きです。そして、最後を締めくくるという覚悟の指揮が角田氏にはあったように思いました。指揮者では、唯一暗譜で指揮されたのが角田氏。第三楽章の行進曲の明るさ、にぎやかさと対照的な、最終楽章の陰鬱な空気と張りつめた緊張感と悲しみの減の響き。この曲の持ち味を生かし切った指揮でした。静かな最後、無音になっても完全にタクトを下ろさず、静寂に包まれた時間が見事でした。会場も一体となっていました。 四楽団ともに、大きな拍手が贈られていました。最後に、四人の指揮者がステージに戻ってきてくれて、拍手に応えてくれて、ほんといいシーンでした。やはり音楽が作る「和」を体現する4オケのフェスティバルと思われました。 ついでにホワイエでは、四つの楽団の事務局がグッズを販売したり、CDや今後の演奏会のチケットの販売があったいりと、まさにお祭りという感じでした。来年は、ベートーヴェンイヤーということで、ベートーヴェンの交響曲を4つ取り上げるということです。さて、何番を取り上げるのか、各団が何番を演奏するのか非常に楽しみです。ついでに、私の誕生日が、4大オケの演奏会という日程まで決まっているというので、もう行かなきゃいけませんね。
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9月8日名古屋を中心にした大雨による交通マヒ、あなたの行動は?
9月8日午後の激しい雨によって、名古屋市内を中心とした公共交通機関がすべて止まってしまいました。 その時、私は名古屋駅前の「大名古屋ビルヂング」内5階で、セミナーの受講中でした。妻よりのLINEが何度もあり、「洪水」の危険があるというのを知りました。ところが、ビルの中では、まったく風の音も雨の音もしない静かな空間です。ブラインドが閉められた室内では、外界の様子が全く見えないので、気にならなかったのです。かえって、なに?セミナー中に邪魔なこと言ってこないでって感覚でした。 ところが、そのあとになってスマホが勝手に鳴り出しました。例の警報音が何度も何度も。セミナー中であったので、警報音が数多くのスマホより鳴り響き、セミナー内容に集中できませんでした。異常事態なのは間違いないということがようやくわかりましたので、交通機関の状況を調べてみると、その時は、JR在来線、JR東海道新幹線が止まっているという表示でした。岐阜大垣方面が全面ストップとなっていました。そして名鉄への「振替輸送」も行っていないというのでした。そうすると、名鉄も止まっているというのかと、名鉄の運行状況を調べてみましたら、ここも岐阜方面は運転取りやめているという表示でした。 セミナーが終わる5時30分になれば、事態も改善されるだろうと思っていたのですが、再びJR東海の運行状況を調べると、「新幹線」が遅れはあるが運転再開という表示になっていました。在来線は、動く見込みが立っていないということでした。本当に新幹線は災害に強いというのが実感できますね。この段階で、名古屋宿泊も考えていたのですが、宿泊の予約サイトを検索してヒットする宿泊先はありません。 在来線がいつ動くか分からないので、「新幹線で帰る」という選択をしました。岐阜羽島駅まで、妻に迎えに来てもらうということで帰宅するという方法です。新幹線で、わずかに一駅の岐阜羽島駅へという選択は果たしてみなさんが発想されたことだったのでしょうか。そこまで多くはなかったように思います。名古屋駅でも、大々的に案内していませんでした。ただ、在来線の発車案内はすべて真っ黒になり、まるで終電後の灯ってたのに対して、新幹線は発車案内が灯っていて対照的でした。ただ、切符売り場には列がさほど長くできていませんでした。岐阜に帰る人はそこまで多くないのか?家族に名古屋まで車で迎えに来てもらうのか? 売り場の列では、東京方面へ一駅の「三河安城」までの切符を買い求める人がいました。これは、珍しいことです。在来線には岐阜羽島駅がない、その先どうするのかということもあったかもしれません。私はたまたま午後6時過ぎに来た「ひかり号」に乗れました。確かにデッキに乗り込む人も大勢いましたけれど、客席となりに立つ人もおらず、混乱状態にはなっていませんでした。 岐阜羽島駅にほどなく着くと、大量の客が降りていたのは、非常に珍しいことでした。エスカレータの位置まで「のろのろ」としか進まないのです。改札も、いつもよりは当然人は多いなあとは思うものの、あふれる感じはありませんでした。岐阜羽島駅構内は広いので、そこまで混雑して見えませんが、待合室に空席がないというのは、普段の午後7時では考えづらいでしょう。 行きに西岐阜駅近くに駐車して名古屋に行ったので、西岐阜駅近くを経由して帰宅しました。 しかし、午後10時になっても、市営地下鉄は動きませんでした。全線が4時間以上もストップという珍しい出来事でしたね。 幸いのことに、死亡事故が発生しなかったのが素晴らしいことでしたね。非常にまれな経験をさせていただいた一日でした。とてもセミナーでの話が頭に入っていきませんでした。 やはり、新幹線は最強でした。本当に頼りになる大動脈を実感します。
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トイストーリー5は、さすが定番の面白さだった(ネタバレあり)
ディズニー&ピクサーが作ったアニメのうち最も好きなのは、「トイストーリー」です。 トイストーリー5、夏休み休暇の最中に観に行きましたが、究極のエンタメでした。面白く、感動シーン、過去作の思い出シーンがいっぱいです。そして現代を風刺する「現代のおもちゃ登場」が、また良くすごく考えられた作品だと思わされます。 最初の1、2作は、劇場では鑑賞せずにVHSビデオで鑑賞したと思います。おもちゃたちが動き出すという発想が楽しいですね。そして、旧式のおもちゃであるウッディと最新式おもちゃであるバズライトイヤーの見事な対比。ウッディがまるで、人間のように扱われている。正義を守る保安官のような扱い、おもちゃたちのリーダーのように描いているのが楽しいなあと思ったものです。そして、新しい最新式おもちゃであるバズライトイヤーが、子どもたちに大きな人気となるのに嫉妬してしまうというのも何か人間世界の縮図のように思えたのです。対して、バズライトイヤーの生真面目な性格、自分を最初はおもちゃではなく、本物の「スペースレンジャー」と思っている抜けた感じが、面白くて笑わされました。一作目では、おもちゃをバラバラにしたり、壊してしまうシドがおもちゃたちの敵役として描かれていますね。その敵に対しておもちゃたちが団結して立ち向かっていく場面が印象的でした。バズライトイヤーを救出しようと必死になるウッディたちの姿は、「友情って大切だな」って思わせてくれますし、おもちゃを大切にしないシドに対して、お灸をするようなストーリーね、私には「物は生きているんだよ、粗末に扱えば、物からも嫌われてしまうんだよ」という教訓にもとらえられます。 そして、二作目三作目で、おもちゃの持ち主が、成長しておもちゃが前の持ち主から離される、そして新しい居場所を見つけるというシーンが描かれますね。あれだけ、自分たちを大切にして一緒に遊んでくれた少年アンディが成長して進学を機におもちゃを手放していく、そこになんとも言えない別れの切実さを感じます。それがまた好きですね。 実際、私たちの生活は、出会いと別れに満ち溢れていますよね。おもちゃを大事にして、別れを惜しむということは自分ではやっていなかったのですが、トイストーリーのなかでは、おもちゃに生命力を与えているように描かれていますので、アンディが第三作の最後で、ボニーにおもちゃを大事に手渡して、そのおもちゃのキャラクターについてボニーに説明していく部分。そして、ボニーにウッディを渡す時のアンディの表情ね。僕が大事にしていたものから引き離される、その辛さと同時に、いつかは離れていかねばならぬという決意が見られて良かったですよね。 それにしても、アンディからボニーに引き継がれていったおもちゃ。第四作からは女の子とともに過ごすおもちゃに変わっていくようですね。第四作で、一線を退いていったウッディが描かれていたようでしたね。すっかり第四作の内容が置き去りになってしまっていて。やはり、私にとっては、トイストーリーの主人公はウッディなので、そのウッディの出る幕がかなり減ってしまったのがパート5では寂しかったことでした。 ただし、ウッディに代わって保安官になったのがジェシーという女の子の人形ですよね。これがまた勇猛果敢で、素晴らしい行動力なのですね。女性の首相となった日本などのように、時代を反映しているのも若干あったのでしょうか。そしてボニーという女の子が持ち主になったからというのもあったからでしょう。 まず第一点、おもちゃの主役の交代!「ウッディからジェシー」へというのが大きなテーマであったと思います。 あえて注文すると、ウッディを貶めないでほしいということですね。さすがに人形でボロボロになってくるという表現のであっても、そこまで「ピカッ」とを強調しなくても良いではないですか。お笑いのつもりだろうけれど。 第二点、デジタル機器がたくさん出てきたのが、現代ぽさを感じさせてくれましたね。みんなが画面に夢中になる現代社会の反映、この描写については、「電車の中」を見ればまさしくその通りであろうと思います。新しくメインキャラクタになった「リリーパッド」は、まさにタブレット型おもちゃなのだろう。通信をしてとか画像を送信してとか、面白さがたっぷりありましたね。 第三点、ボニーは、デジタル機器になじんだ友達の輪に入れず仲間外れにされるも、「おもちゃの助け」で、従来型おもちゃでも楽しく一緒に遊べるブレイズという名の友達を得られたという点。これ、無理して周りに同調しなくていい、価値観は多様であるから、気が合うもの同士で遊べばよいではないのかというメッセージではないかと思わされる。 第四点、やはりバズライトイヤーの動きが面白い。今回は、大量のハイテクバズ軍団が登場していましたが、これが第一作をほうふつとさせる演出で良かったですね。第一作では、無限のかなたにさあ行くぞといいながら、飛び上がれないバズでしたが、今回のは、時代を反映してのドローン機能を装備したバズへと進化していましたね。やはり、時間の経過とともにおもちゃも進化していくというのが第一作からの共通テーマなのであると思いました。 やはり、この作品がいいのは、過去の経験に対する深い思い入れなのではないでしょうか。ジェシーは、過去持ち主に捨てられたというマイナス面ばかりに苦しんできたのですが、今作では元の持ち主がジェシーに対する愛情と思い出をずっと心に刻んでいることがわかって、心を打たれるのですね。私も、泣けてきましたよ。 もう一つ、今までの4作品には、悪役がいましたね。今作いじめ的な場面はでてくるものの、怖いとまで思える悪役キャラクターがありませんでした。これは、心穏やかに観られる作品です。親子で、いや三世代そろって、ぜひ観てほしい作品だと思います。 興行成績も絶好調のようで、日本の興行収入は126億円超(9月5日)だそうです。次、すぐにではなくとも第6作目もあるのでしょう。今度は、どんな驚くしかけがあるのでしょうね。楽しみです。
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姪の結婚披露宴を参加して感じたこと
8月29日に姪(妹の子)の披露宴に参加させていただきました。結婚というめでたい席であり、何度参加しても良いといいたいところでありますが、首をかしげるような披露宴もあったので、どのような披露宴が私は望ましいと思っているのかを述べたいと思います。もちろん、様々な考え方があることを承知しています。価値観が多様化している中で、これは披露宴や結婚式で外せないなと思われるものがあると思うのです。 手前みそではありますが、姪の披露宴がその備わっていているべきものが備わっていて、とても良かったと思わされました。 豪華な会場、豪華で品数の多い料理、派手な演出っていうのが披露宴の醍醐味であるのかもしれませんが、そこではないと思っています。 まず、いかに今まで新郎新婦とかかわってきた人たちにスポットライトが当たるのかではないかと思っています。今回は、途中新郎新婦が中座する際に、エスコートする近親者がいました。新郎は、三人兄弟の長男ということで、妹と弟を伴い、三人が年の順に並び、後ろから肩に手をかけて、電車ごっこのように退場していったのが印象的でした。その際、妹と弟に、司会者がインタビューしていましたが、これも良い演出ですよね。兄弟の良い関係性が見えてきます。そして、姪の方は、じいちゃん(87)とばあちゃん(81)をエスコート役に指名していました。この二人は、私の両親であります。両親にとっては、夢のような時間ではなかったでしょうか。母は、喜びで声が上ずっていました。父は、仲人の経験があるからか堂々としてました。ちょっと説教めいたことをしゃべっていたのが、父らしいなと思いながら聞いていました。 そして、当人二人の声は当然聞かされましたし、ご両親四人の声も聴くことができました。そのほか、ご友人がたの話も7人から聞けました。前に出てきてのお話でないということから、リラックスしてしゃべれたのではないでしょうか。 新譜である姪については、確かに生まれた時から知っているのです。しかし、新郎については、まだ8ヶ月前に初めてお会いしたばかりです。どんなふうに育ってきたのかというのが分かりません。そこは、参加者に届けてほしいと思うのですよね。どこで生まれ、どこで育ち、何が得意で何に夢中になってきた子なのかですよ。それが、十分に語られていましたね。そこが大切なのではないかと思っています。 核としては、次の点ではないでしょうか。両親の下から飛び立つ二人が、両親へお礼をする場。新郎新婦に深くかかわった人に新郎新婦が感謝する場。もちろん参加者は二人を祝福する場。その中で、こんな家族の中で育ってきましたということ、こんな仲間に恵まれてきましたという姿が見られないと物足りなさを感じます。 以前は、友人がスピーチするとかがありましたよね。また、余興で歌を歌ったり、ギターを演奏する人がいたりというのがあったのですが、今はそういうのが全くないのですね。そこについては、時代の変化として受け止めるとしましょう。 結婚式で、両親が息子をハグする場面があったのですが、中学以降でやったことがないよ。これ、息子が結婚したらやるのかなと、思わされたのですが。いきなり新郎が式で泣いてしまっていたので、こちらももらいなきしてしまったんですよね。 地元での結婚式披露宴、しかも青春の一ページであるバイト先であった結婚式場での挙式という選択も、とても良かったのではないでしょうか。縁のある土地、場所での披露宴、非常に良いと思いました。
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なぜ、当事務所には大きな看板がないのか
なぜ、当事務所には大きな看板がないのか ときどき、こんなことを聞かれます。 「ここ、看板がないけれど分かりにくくありませんか?」 たしかに、事務所の外観には目立つ社名看板を掲げていません。 けれどそれは、「出していない」のではなく、そういう選択をしているというのが正確な表現です。 当事務所から役場までは、直進で約300メートル。 役場前には、相続のご相談を意識した看板を一本だけ設置しています。 「見つけてもらう場所」としての役割は、そこで十分果たせていると考えています。 一方、事務所のある場所は、山が見え、周囲に大きな建物もなく、落ち着いた環境です。 役場から事務所までの道のりには、白い建物は他にありません。 そのため、「役場からまっすぐ行った、あの白い建物」で自然と伝わります。 実は、事務所の看板については、スタッフにも意見を聞いたことがあります。 「もっと分かりやすい看板があった方がいいだろうか」と尋ねたところ、返ってきた答えは意外にも、 「今のままで困ったことはありません」 「かえって、この静かな感じがいいと思います」 というものでした。 毎日この場所で働き、お客様を迎えているスタッフがそう感じているのであれば、 それが現場の実感なのだと思います。 実際、以前は電柱広告や建物上部の社名表記、業界団体の看板を掲げていた時期もありました。 当時はそれが必要で、意味のある選択だったと思います。 しかし、役割を終えたものは、整理していく。 それもまた、経営判断の一つです。 先代からは「白い建物は残せ」と言われていました。 当時はどこかノスタルジーのようにも聞こえましたが、今になってその意味がよく分かります。 白い建物は、景色を邪魔せず、季節や行事、人の動きをそのまま受け止めてくれます。 主張しすぎず、それでいて確かな存在感がある。 この場所には、それが合っていました。 当事務所は、看板で選ばれたいわけではありません。 腰を据えて話ができる場所であること。 人と仕事の中身で信頼していただくこと。 そして、そこで働くスタッフ自身が「ここでいい」と感じられること。 そのために、あえて静かにたたずんでいるのです。 これからも、 現場の声に耳を傾けながら、 必要なものは取り入れ、役目を終えたものは手放し、 その時代に合った「見せ方」を選び続けていきたいと考えています。
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運転免許証の更新の「講習」に思う
5年に1度とはいえ、大事な「運転免許証」の更新。私は8月の誕生日ということで、いつも8月の中旬に更新に出かけます。西濃地方では、大垣市の新幹線がすぐに通っている西濃運転講習センターまで行かなければなりません。5年間に1度しか違反をしていない、あるいはゴールド免許の人も、ここまで行かねばできないって不便ではないでしょうか。交通も、車を運転してが前提のような立地です。とにかく、バスの本数も少ない。非常に利用者目線に立っていない立地であると思います。車の運転する人は、必ず最低5年に一度利用することになるのであれば、岐阜県公安委員会さんに考えていただきたいものです。 いや、まずは今回以前と比べて良くなったなというところから言わないといけません。係の応対が非常にソフトになりました。以前の無機質、不愛想からはかなり変わりました。これは、称えねばなりません。明確に良くなりました。ただ、更新を受ける人の顔がどこかもやもやしている、係のお疲れさまでしたという声に反応したのは数人でした。どこか、心が通い合わない講習センターなのです。どこが要因なのでしょう。 ただ、もう一つ良くなったのは、「キャッシュレス」対応し始めたということです。手で色んな書類を抱えて手続きするのが苦痛の上に、財布に手を伸ばして、お札を取り出す。これって、非常に手間なのですよね。それを、さっとタッチで決済ができることに非常にありがたさを感じました。念のため現金は持っていたのですが、取り出さなくて済むというのは、非常に楽でした。そのあと、交通安全協会の会費の支払窓口に行くと、ここは「現金のみ」っていう。思わず、現金の持ち合わせがありませんから、あとでと言ってしまいました。とはいえ、皆さん支払っている会費ならばということで、講習が終わってから、ゆっくりと財布を出して支払いました。以前は、安全協会会費は任意ですと言いながら、窓口で講習料金などとともに一緒に支払っていたのと比較すると良くなったように思います。 それにしても、座る場所も少なく、「立ちっぱなし」で並んで回るスタイルです。さらに、前後左右の余裕がないこと、まさに「狭い」と言わざるをえません。そして、聴力検査、写真撮影の次の「講習」の会場が、二階。階段を上がってというのが、あまりに時代遅れではありませんか。今時、エレベータすらないのかと思わされます。「バリアフリー」という感覚が欠けていると感じます。さらに、講習で使われる机といす、あまりに小さくないですか。小中学校の椅子机をもってきたかのようで、椅子に腰をかければ、すぐにお尻が痛くなる代物ではありませんか。 運転免許更新、5年に1度とはいえ、年間に何人が利用されるのでしょうか。皆が、快適に利用できることは大事ではありませんか。そこに県の税金を使うのはおかしなことでしょうか?ただ、それよりも前に、利便性です。各警察署で更新ができるようになってほしいと切に願っております。 更新を終えて、新しい免許証をもらった方々が笑顔で「ありがとうございました」と言えるような施設にしましょう。 ちなみに、今回私は、「マイナ免許証」に切り替えました。マイナンバーカードを持ち歩くという選択に。まーどは、多く持つのが嫌だというのが理由です。ただ、多数派は、従来通りの運転免許証でという方だったように思います。マイナ免許証の不便さは、レンタカーを借りる時にあるようです。
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いびがわ「ありがとう花火」に感謝
8月1日、いつもの暑い(熱い)空気の中、恒例の揖斐川町の花火大会が開催されました。 いつも場所を変えつつ、花火を鑑賞しています。昨年から、けやきパートナーズは、この揖斐川の花火である「ありがとう花火」に協賛させていただいています。当事務所駐車場から見る花火でも十分に大きく、大迫力だと思います。当事務所は、花火打ち上げ現場からほぼ正面の位置でもあるので、この花火大会に協力するのは当然のことでありましょう。 一時期、コロナによって花火大会が中止になった時期があったのですが、やはり夏の風物詩として「花火大会」は欠かせないものであるなあと思わされます。もともと、この揖斐川の花火はいつから始まったのか私は知りません。気が付いたらあったのが、この花火大会ですから、少なくとも50回の歴史は間違いなくある歴史ある花火大会であると思います。もとは、明治期に起きた大水害からの復興を祈願して始まった「水神まつり」を由来とするものであるようです。 もともとは、お祝いということではなくて、「祈り」であったのだということが分かります。この花火は、「ありがとう」と名付けられているように花火玉に感謝のメッセージシールを貼って打ち上げるということが行われているのです。そのメッセージは、一部読み上げられて紹介されています。 さて、この花火は以前は岡島橋の東側で打ち上げられていました。ところが、車を使って来場される人が多くなったこともあったからでしょうか、車の通行に支障が少ないように打ち上げの場所が変わったのです。以前は、国道417号線の岡島橋に通じる道路がメインの会場で、商店街と露天で非常に祭りらしい雰囲気があったと思うのです。 それを新揖斐川庁舎が完成した後頃から、メイン会場を「揖斐川町役場」駐車場に設定され、前島橋西側が、花火打ち上げの場所に変更されました。確かに、揖斐川町庁舎前からは、やや花火まで遠いものの、十分にみられるようになっています。広い駐車場でイベントもやりやすく、催事スペースもとりやすいのも良いと思えます。 また河川敷がよく整備された場所も多く、より多くの人に見てもらいやすくなったのではないかなと思えます。前島橋には、橋にもたれて鑑賞できないようにフェンスが設置されていますが、これは観客の安全を守るということで、やむをえないでしょう。橋から人が落下して事故が起きてはいけません。 去年は、自宅の二階から眺める花火でした。照明を消して、静かに鮮やかな花火と迫力の音を一人楽しむ、これも時にはあっていいと思います。自宅から、十分に花火が見られるのはぜいたくと思います。 さて、今回は「協賛者」に提供される観覧席ができたということで、その観覧席で花火鑑賞しました。自宅から、徒歩で10分ほどで、観覧席なのですが、協賛者用鑑賞スペースは、混雑しておらず、ゆったりと鑑賞できました。花火があがる30分前のやや薄暗い時に入場して、花火の打ち上げを待ちます。西の空の夕焼け、河川敷の開放感をしばらくの時間味わいました。これほど近くで見るのは10年以上ぶりだろうか。川を挟んで真向かいから見られるのかと思っていたら、そうではなかったのです。打ち上げは、さらに西でしたが、間近に見られる大迫力の花火を堪能させていただきました。夜、決して涼しくなく、歩いて帰宅すると、汗だくになっていました。多くの協賛企業さん、花火職人さん、ガードマンさん、祭りを企画制作される皆さんありがとう! コロナ、完全に終わりましたね。浴衣姿の若者の多さに、こんなに若い人が揖斐川に来てくれている!と嬉しくなります。やっぱり夏まつり、いいもんだな!このありがとう花火、ずっと続きますようにと願います!
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採用のための面接、応募者の何を見るべきか考える
私ども中小企業そして人口も減少する過疎地にある事務所では、私どもの求人に対して応募が少ないのが現状ではあります。応募者が少ないから、応募者の質が落ちても、採用して良いのだろうかと言ったらそれは違うだろうと思います。 「採用できない人」をまず考えることは大事であると今までの採用経験、採用後の指導経験から学ばされました。 採用してはならない人を正社員で、採用してしまうリスクはやはり甚大だと思います。既存な優秀なスタッフのモチベーションを奪う可能性があります。また、幹部がフォローに回らねばならないこともあります。幹部の貴重な時間を割かれて、精神的にもダメージは大きいものです。 まず、第一に「プライドが高い人」です。自分は、国立大学を出ているからとか、地域トップの私学を卒業しているとか一切仕事ができるかどうかは関係ありません。その大学名を誇らしげに語る傾向にある人です。さらに中途半端な知識しか持っていないのに、「私は知っているよ」と言い始めるような人です。こちらが質問した内容以上に、しゃべってくる人これも要注意です。自己顕示欲が高い人ではないかと疑ってよいと思います。 本当に、良くできる人は、謙虚です。自分は知ってますなど、聞いていないのに言いません。とりつくろわずに、「わかりません、教えてください」と言える人が強いと思います。自分をいかに良く見せようと取り繕う人は、ほとんど謙虚さを持ち合わせていませんから、自ら質問して、自分の血肉にすることができません。プライドが高い人は、他人に知恵を求めに行かないので、成長しません。もちろん、周囲もお高く留まっている人を助けたい気にはなりません。自己に自信を持つのは良いのですが、それをことさら外に向けているという姿勢があれば、警戒するべきです。 第二点、社会人としての基本力に照らして、かなり外れているなと思われたら、採用は控えるということでしょう。「約束した時間を守る」「礼儀正しい挨拶をする」「書類を丁寧に扱う」「感謝をきちんと伝える」「服装、身なりを清潔に保つ」といった基本的なルールが、最初からマイナス点が多い場合は、注意するべきでしょう。多少のことならば、直せるけれど、数多く存在していれば、職場に迷惑をかける可能性が高いと思われます。 第三点目、ちょっとした「違和感」は見過ごさずに。なぜ、こんなに転職が多いのだろうか、きちんと説明できないという場合は、慎重な判断をして、深堀した質問をすることが大事だと思わされます。 最後に、転職事由が、他責志向ではないだろうかということです。「雇っていただき」、「働かせていただいて」いたという意識が低く、前の職場の悪いことを次から次にいう人は要注意であり、「額面通り」受け取ってよいのかを真剣に検討するべきです。転職事由を自分の会社のせいとする人は、たいてい次の職場でも失敗するように思います。そのような人は、「自己中心的の待遇」を求めてくるように思います。会社のせいにする前に、まず自分はづ動いたのかという視点が非常に乏しく、採用すると、「自分は悪くない」という自己弁護を始める人が多いように思えます。まずは、自己の行動を振り返ってという視点に欠けている人を採用することになるという観点で、採用を控えるべき人に分類することです。 まとめましょう、採用してはいけない人 1.プライドが高く謙虚さが感じられない人 2.社会人としての基本マナー意識の乏しい人 3.面接して違和感がある人 4.退職理由を会社のせいにする人 これら、すべてに共通するのは、心が貧しく感じるという点です。「心の清らかさ」、これさえあれば、一生懸命努力してくれるのではないかと想像できます(もちろん、基礎的な学力は大前提ですが)。